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フェアリー・キス ~人間になった妖精(わたし)は人間社会になじめますか?~  作者: 白亜 愛
2. Les Jours avec Jack à Barcelonnette 〜ジャックとの日々〜
18/42

18 ♥魔法のワイン

 メイドが、ひときわ豪奢な両開きの扉をたたいた。そういえば、屋敷を探検したけどここには入らせてもらえなかった。

「リオーナ様を連れてまいりました」


 扉を開けると、そこは神が住まうのかと思うほどに広く大きく、光り輝く世界だった。

 小さな光を何倍にも増幅しているのは、天上からぶら下がっているシャンデリア。カーテンは見るからに重々しく、人間の何倍もある長さで高そうな生地でできていた。今は寒さゆえか閉じられているが、カーテンを開けた向こうには素晴らしい庭が広がっているのだろうと容易に想像できた。赤、白、ピンク、色とりどりのローズ・ガーデン。


「リオーナ……」

 ジャックが椅子から立ち上がった。

 縦に長いテーブルには、お母さまの姿もあった。それに、ジャックのそばに見覚えのない男もいた。褐色の肌にクリーム色のくせっ毛。これがジャックの執事だろうか。主人に負けず劣らずの美しい顔をしている。

 なんだろう? 初対面のはずなのに、心に引っかかるものがある。どこかで会ったことがあるのかしら?

 執事に注目するのは一瞬だけにとどめておいて、ジャックに申し訳ない顔で向きなおる。


「ごめんなさい、支度に時間がかかってしまって……」

「気にすることはない。美しいよ、リオーナ。素晴らしい……」

 メイドに代わって、ジャックがわたしの手を取った。わたしは自分に向けられる賛辞には耳も貸さず、意識は全てこの広間に向けられていた。

「素晴らしいのはこの広間よ。本当に……」


 言葉で言い表すことはできなかった。

 オルトゥスは、『すごい!』『綺麗だ……』『美しい!』『ああ……』と驚嘆しては、部屋中を飛び回っている。カーテンの感触を確かめ、テーブルと椅子の細工を間近で観察し、壁に掛けられた大きな肖像画におっかなびっくり触っている。


 人間の世界に、こんな美しいものがあるなんて。

 わたしがいたずらしに潜り込んでいた家は、どこもわたしたちと同じか、それ以下の家だった。粗末なつくりの家に、自然に依存した道具たち。井戸水を飲んで、畑で耕した野菜をほんの少しの塩で味付けした食事。


 わたしは椅子に座って、またびっくりした。なんて柔らかいクッションなの。

 ジャックがわたしの反応を見てにっこり笑った。

「君のために大広間を用意したんだ。なんせ、いつもは母上とコレットしかいないから使っていなくて、掃除に苦労したよ。しかし、君のようなご令嬢が来たとなっては、形だけでも晩餐会を開かなければなるまい」

 その言葉に、日中この部屋を見なかったことに納得した。わたしが屋敷中を回っている間に、誰かがこの席を整えていたのだ。



 ジャックの言葉通り、晩餐会といっても、出てくる料理は昨日と大差なかった。ジャックとお母さまは肉料理を口にしていたけど、わたしには出てこなかった。ジャックが肉を食べているのを見るのは心が苦しかったけど、食べろと言ってお皿が出てこなかったことにほっとする。

 あ、料理に大差はないと言ったけれど、やっぱり間違いだったかも。粥を一口食べたわたしは思った。いつもより味が奥深い。素材と塩の味だけじゃない。何を混ぜたら、こんな味になるのかしら……。


「そうだ、リオーナ。君の言っていた森に人をやったが、見事に迷って気がついたら森の外に出ていたと言っていたよ。何も見つけられなかったみたいだ」

「そう……」

 まあ、人間があの森に入れないのは当然のことだった。森の中を捜索して、わたしが住んでいた小屋みたいなものは何もなかった、と結論づけられなくて逆によかったかもしれない。真実は闇、いえ、森の中。


 デザートとしてチーズまで出てきた。

 肉じゃなくて乳だから、食べても大丈夫。

 ワインと一緒にチーズをたしなんでいると、お母さまが席を立った。

「お気になさらず。お先に失礼させていただきますね」

 コレットを連れてお母さまが退席すると、ジャックが説明してくれた。

「母上は昔からああなんだ。お腹が弱いんだ」

「あら、そうなの……」

 わたしはまたワインを一口飲んだ。

 ワインと言うのも、ジャックに教えてもらった。透き通った紫色のお酒だ。葡萄をもとに作られているらしい。

 実は、お酒は飲んだことがなかった。両親にまだダメだと言われていたのだ。来年になったら飲んでいいと……。

 でも、ジャックが出してくれたということは、飲んでも害がないのだろうと思って、口をつけたのだった。


「お腹いっぱいになっちゃったわ」

 なんだかいい気分で、おいしかった、と上機嫌に笑うと、わたしを見つめるジャックと目が合った。

「なぁに?」

 ぱちくりと目を瞬かせ、口元になにかついているのかしらと唇をナフキンで拭ってみるが、何もついていなかった。

 そのしぐさを見て、ジャックが笑う。

「いや、何もついていなよ。ただ、あまりにも君が美しくてね」

「そんな……」

 まっすぐ向けられた彼の視線を受けて、頬が火照る。どうしてかしら。ごまかすように身じろぎをする。


「まるで毎日私たちを照らしてくれる、太陽女神のようだ。しかし、今は夜。太陽のように、隠れてしまうのかい?」

 酔っているのかしら。ジャックがおかしなことを言っている。

「君に目を奪われるたびに、どこかに行ってしまいそうな気がしてしまうよ」

 彼の言葉にわたしは顔を曇らせた。だって、わたしには行く場所も、帰る場所もないんだから。

 黙ってグラスに口をつけると、ジャックに見とがめられた。

「飲みすぎじゃないかい?」

「そうかしら?」


 ジャックがくつくつと声を立てて笑っている。どうしてそんなに楽しそうなのかしら……やっぱり、ワインを飲んで酔っているのね。

 そしてわたしは、はたと気づく。

 わたしは、酔っていないのかしら?

 いかんせん、お酒を飲んだのは初めてで勝手が分からない。お酒を飲んだ時の両親が陽気に騒いでいたから、酔うってそういうことなんだと思うけど。


 でも今のわたしは、普通だ。楽しいけど、特別そうかと聞かれれば、わたしは至って普通だった。

 酔うのにも、個人差があるのかしら。

「でもわたし、平気よ」

「それにしては、顔が赤いようだけれど」

「えっ」

 慌てて顔を両手で包み込む。確かに、顔も体もいつもよりぽかぽかするかもしれない。気にしていなかったけど、これが酔うってことなの?

「もうお開きにしようか。送ろう」

「え、ええ」

 いつの間にか、広間にはわたしたち二人しか残っていなかった。

 ジャックが席を立って、わたしのそばへ来た。


「にしても」

 ジャックがわたしを立たせ、じっと見つめる。エメラルドグリーンの瞳がわたしを映す。軽く閉じられた唇が、いつもより腫れぼったく見えてセクシーだ。

 そんな真剣に見つめられると、なんだか恥ずかしくなってしまう。悟られないように彼から目を逸らす。

「リオーナは本当に美しいな」

「まあ……」

 人間と比べたら、どうしようもなく妖精が美しいのは事実だ。

 心ここにあらずといった目でわたしを見つめながら、ジャックがささやいた。

「太陽女神じゃないとしたら、君は妖精だな」

 わたしはびくりと肩を揺らした。それを見てジャックがまた笑う。

「ふふ、冗談だよ」

 そう言って私の手に口づけた。


「そのドレス、本当に似合っているよ」

「ありがとう」

「母のものなんだ」

「まあ、お母さまの」

「髪も……」

 言いながら、ジャックがわたしの金色に輝く髪にそっと触れた。

「素敵だ。コレットがやったのか?」

「いえ、彼女と、オルトゥスが……」

「オルトゥス?」

 ジャックは反復し、その視線が鋭くなった。わたし、なにか言ったかしら?

 そうだ、ジャックは彼のことを知らないんだと気づき、説明を加える。

「あっ、オルトゥスは妖精なの。わたしの友達なの」


 ふむ、とジャックは興味があるのかないのか分からない返事をした。

 そうだ、オルトゥスは?  まだこの中に、いるはず……。

 広間を後にしようとするジャックに導かれながら、わたしは後ろを振り向いた。

 オルトゥス、どこに行ってしまったのかしら。

 振り向いた拍子に、ふらりと体がよろけた。

 あら? なんだか、前がよく見えない。もやがかかったような……。

 離れようとした手を、ジャックがぐっと引っ張った。おかげで倒れずにすんだ。

「どうした?」

 オルトゥスがまだ中にいるはずなのに。

 そう言おうとしたのに、ジャックのその一言が甘くわたしの耳朶にかかって、わたしは肩を揺らした。

「あっ……」

 今度は腰から力が抜けたわたしを、ジャックが抱きとめてくれた。

 大丈夫か、と彼がわたしを見つめる。

 ああ、素敵な瞳。エメラルドみたいな、綺麗な色。吸い込まれそう……。


「君に酒を飲ませるのは早かったようだな」

「あら、どうして?」

 お父さんとお母さんみたいなこと言うのね、ジャック。なんだかおかしくて笑ってしまう。

「君がこんな風になってしまうからさ」

 ジャックがわたしの腰をぐっと引いた。

 わたしたちの距離が一気に縮まり、笑顔が引っ込む。

「ジャック……」

 覆いかぶさるような彼の影が、わたしの視界を陰らせた。

 頬に彼の熱い吐息がかかった。触れたところから彼の鼓動が感じられる。体温も。

 あたたかい。これは、ジャックの心ね……。

 なんだかまぶたが重い。

 わたしはジャックを感じながらまどろんだ。

 力強く暖かい、わたしを守ってくれるような彼の存在は、あっという間にわたしを眠りへといざなった。

 目を閉じた瞬間、全身から力が抜けきった。

 誰か、おそらくジャックがわたしの体をしっかりと抱き留め、それからなにか柔らかいものが唇に当てられた。



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