1 わたしは人間にいたずらするのが大好きな妖精・リオーナ。
「そんな! 王様、お願いです、どうか人間にだけはしないでください!」
わたしは王様に懇願したが、王様は無表情であごひげに手を添えたままうーむとうなるだけで、首を縦にふってくれそうになかった。
なぜこんなことになったかって?
それは今から一時間ほど前にさかのぼる。
今日も朝から寒かった。
風が吹き荒れてわたしの体をさらっていこうとする。でも、風になんて負けない。自慢の金色の髪が乱れたけど、そんなものはあとで直せばいい。
森を出て、市壁を超える。
風に煽られたのでいつもよりも時間がかかってしまったけど、太陽はちょうどてっぺんくらいにあった。
市壁の中はちょっとだけ風が落ち着いているので、飛びやすい。
毎日飽きもせずにわざわざ人間の町まで来て、やることはひとつしかない。
町に入ってすぐの家にあたりをつける。
今日はこの家に決定。
わたしは窓からその家に侵入した。窓を開けると、強くて冷たい風が部屋中を吹き荒らした。カーテンがバタバタとはためく音がうるさい。
これだと、すぐに家の人に気づかれちゃうな。早めに終わらせよう。
「急がなくっちゃ」
わたしはベビーベッドに寝かされた赤ん坊をのぞき込む。
突然吹き込んできた凍てつくような風と一緒に、きらきら光るりんぷんを撒き散らしながら入ってきたわたしの姿に、赤ん坊は目をまん丸にしていた。
この子にはまだわたしの姿が見えるのだ。
人間は妖精を見ることができないけど、それは単に妖精を見る能力を失ってしまったにすぎない。大人と違って、赤ん坊はわたしたちが見えるし、子どもも見える。成長するにつれて見えなくなるのだ。
くりくりっとした丸い目をしたその赤ん坊は、わたしには男か女か判別できなかった。赤ん坊の上を何周かすると、わたしを遊び相手と勘違いしたのか、その子はきゃっきゃと笑い始めた。
「なにがおかしいのよっ」
部屋は外から入ってきた風ですっかり寒くなっていた。それなのに、そんなことは意も介していないように赤ん坊は笑う。
「ふんっ」
むかっ腹が立ったので、鼻を鳴らして、わたしは背中の羽で赤ん坊の鼻をくすぐった。
「ヤーッハハハ」
まだ起き上がれない、会話もできない赤ん坊が、楽しそうに笑った。
「何笑ってるのよ。あんたを笑わせるためにこんなことしたんじゃないんだから」
赤ん坊のそばり降り立って、今度は、鼻の中にずぼっと羽を突っ込んだ。
なにが起こったのか分からなかったのだろう、赤ん坊はぱちくりと目をしばたかせて、次の瞬間、顔をくしゃりと歪ませた。
わたしは羽を引っこ抜いて、空に逃げた。
「うぇえええええええええ!」
部屋いっぱいに赤ん坊の泣き声が響いた。
赤ん坊は激しく泣いている。
うるさいけれど、それ以上に愉快な気持ちになって、わたしは声を上げて笑った。
「きゃははは」
驚きから泣きわめく顔に移る様子があまりにも面白くて、わたしは笑いながら室内を飛び回った。
もちろん、部屋を荒らすことも忘れない。
「えいっ!」
赤ん坊のおもちゃが音を立てて床を転がり、きれいに畳まれ重ねられていた服は広がり落ちる。
おっと、このままじゃすぐに母親が来ちゃう。なんせこの泣き声だ。
わたしは木でできた椅子をちょうど扉をふさぐような形で倒すことに成功した。
「ふぅ……」
自分の体の何倍も大きいものを動かすのは、文字通り骨の折れる仕事だ。おかげで、母親の帰還を阻止できそうだけど。
もう一度赤ん坊のそばに降り立つと、わたしを敵と認識したのか、さらにいっそう泣き声を激しくさせた。
「最初は笑ってたくせに。今度はどうして泣くのよ」
あまりにも頭が悪くて、また笑ってしまう。
人間って、本当におバカ。
サルみたいな顔で泣く赤ん坊を見る。
おまけに醜いしね。
でも、だからこそわたしは人間にいたずらをするのが大好きだった。
生物の頂点みたいな顔をしてえらそうにしている人間が、姿も見えない妖精に振り回されているのを見るのは気持ちがいい。
ドンドンと音がした。
椅子でふさいだ扉が開かれようとしているのだ。
「早く逃げなきゃ!」
まあ、今日はこのくらいで許してあげるわ。
最後に赤ん坊の薄い毛を引っ張る。
「じゃあね、おバカな人間の赤ん坊、バイバーイ!」
わたしは明けはなった窓に、一直線で飛んで行く。
おっと、窓から出るその前に。
窓辺にあった花瓶を体全身で押し、床に落とす。
ゴンッという鈍い音がして、花と水が床に広がった。その音を聞いた赤ん坊が、いっそう大きく泣きわめいた。これが本当の最後だ。
脱出して振り返ると、赤ん坊の母親らしき人間が部屋の惨状を見て、あっけに取られた様子で立ち尽くしていた。
「アハハハハ!」
こらえきれずに、わたしはおなかを抱えて笑った。
今の顔、見た?
豆鉄砲でも食らっていたような顔をしていた。
「あはははは、人間って本当に面白い。とってもいたずらしがいがあるわ!」
一軒目はすぐに終わってしまった。わたしの手にかかれば、もっとすごいことにできるのに。
次はどの家に侵入しようかと考えていると、ぴゅーっと目の前に一人の妖精がが飛んできた。
知っている人物だったので、わたしはあっと声を上げた。
「オルトゥスじゃない! どうしたの、こんなところに?」
息を切らしてやって来たのは、透き通った緑色の羽に、緑色の葉っぱでできたベストとズボンを着た男の子。オルトゥスだった。
いつも勝手についてきては、「人間にいたずらなんて、もうやめなよ!」と言う。そんなのわたしの勝手でしょ。
「リ……リオーナ……」
「なに? どうしたのよ」
オルトゥスの服は、もう一年着てあったので、古くなって裾の方から枯れ始めていた。
生意気だし、わたしに意見するし、こういう清潔じゃないところがあるから、わたしは全然オルトゥスのことが好きじゃなかった。でも、家が近いからという理由で、昔から一緒に遊ばされることが多かった。まあ、弟みたいなものだ。
今日も、さっきのいたずらを見られて、また何か言われるのだろうかと思ったが、なんだか様子が違う。ずいぶん急いできたようだった。
オルトゥスは、まだはぁはぁと息を整えている。
「はやく言いなさいよ!」
「……っと、そう、急いで!」
「なにをよ!」
「妖精王が……っ、きみをっ、呼んでる……」
それを聞いても、わたしは驚かなかった。
「ふぅん」
どうせ、また、「人間に迷惑をかけすぎだ!」とか言って、一日牢屋に入れられるのだろう。それか、お城の掃除をさせられるか、落ち葉を集めて、肥料でも作らされるのかもしれない。
なんにしろ、またか、といった感じだ。
そんなことをさせられたって、わたしは人間へのいたずらをやめる気はない。
だって楽しいんだもん。
「違うんだ、なんだかいつもと様子が違うんだよ! ほら見て、今日は正式な令状が出ているんだ!」
オルトゥスが左手に持っていた、丸まった紙切れをわたしに寄こした。
「なんですって?」
驚き、急いで開いてみると書かれていたのは、お城へ来いという内容。末尾に印されているのは、確かに王のサインだ。
「そんな……」
今まで何度もお城に召喚されて、そのたびお叱りを受けたけど、こんな書類を受け取ったのは初めてだった。
「行かなきゃ!」
わたしは森に向かって、猛スピードで飛んだ。ドレスが風にはためき、町の市壁を越え、草木の隙間を縫っていく。
「待って、リオーナ!」
後ろからオルトゥスが折ってきたけど、今までで一番急いでいるわたしのスピードにはかなわない。
森の中心にあるお城に着いたとき、オルトゥスはわたしのはるか後ろだった。