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2号警備員タカト

「きゃああ。助けて警備員」

寒さと歩行者からの憐憫の目に耐えながらの改修工事現場での立哨中、若い女の悲鳴が聞こえた。空耳だろうか。頭の中は丁度昨夜のドラマの回想をしている所であり、女の悲鳴が現実のそれなのかを瞬時に判別するのは容易でなかった。

「助けて警備員。」

もう一度ヘルメット越しに聞こえた。ヘルメットの内からではなく、外からだった。どうやら幻聴ではないようだ。

愛用の誘導棒を片手に私はその声の元へ足を速めた。思いがけぬ事態に警備員の血が騒ぐのも事実であったが、それを抑えようと冷静に努める自分がいたのも事実だ。

「どうしました?」

私は熱くこみ上げるある種の事件性への期待を必死に隠し、平静を装って一言そう問いかけた。誘導棒を握り締め自分の心を落ち着かせる。この誘導棒は私に幼い頃、母に寄せた絶対的な安心感や安らぎ、といったものを感じさせる。全く妙なものだ。無機質なプラスチックの棒に対して特別な感情を寄せるとは。

「黒い8tユニックが追いかけて来るんです!早く、早く追っ払って下さい!」

「黒い8tユニックだと・・・」

黒い8tユニック。あいつだ。私は五年前の足場解体現場で出会った一人の鳶職人を思い出した。溢れ出す記憶と共に私の中の全神経が己の肉体に呼応し、警備体制を最大に引き上げる。

「わたしから離れろ」

私は震え上がる女を突き飛ばし誘導の体制に入る。

「オーライ!オーライ!」

 私の誘導があいつにどこまで通用するだろうか。だが今は力の限り誘導棒を振り続けるしか道はない。

「ようタカト!久しぶりじゃあないかあ!あいかわらず無様な誘導だぜ」

運転席の窓が開き、缶珈琲と煙草の過剰摂取によって黄ばんだ歯をむき出しにして、私を罵る。

「しっかり誘導しねえとよお・・ひき殺しちまうぜ。はっはー」

マルボロを咥えたドライバーは下衆な笑いを浮かべ、アクセルを踏み続ける。

「オーライ!オーライ!」

絶対に事故を起こすわけにはいかない・・・この誘導棒に誓って。

「オーライ!」

「どうしたーガードマン!そんな誘導じゃ犬だって付いて来ねえぜ」

 交通誘導警備検定二級保持者としてのプライド、いや、今までの警備員としてのキャリアを打ち砕かれた。一人の男によって。一人の鳶職人によって。

だが、やるしかない。それが現場の守り神

「警備員」の使命だからだ。この時私の頭に一つの策が浮かぶ。

「誘導棒点灯」

「なっ、何だと!誘導棒が光を放っている」

私は右手の親指でスイッチを入れた。この時スイッチが入ったのは無論、誘導棒だけではない。 

私自身だ。私自身のスイッチが入ったのだ。「警備員」としてのスイッチが。誇り高き2号警備員の血が寒々とした外気とは裏腹に静かに熱を帯び始めた。

「下がっていろ」

私はパニック状態に陥っていた女を歩道へ誘導し、セーフティコーンとバーで区画した。所謂「シマ」を作ったのだ。「歩行者誘導」これが最も難しい職務かもしれない。警備歴二十五年のベテラン警備員でさえ時折その職務の完遂の難しさには頭を抱えているのだから。今こうして、迅速に誘導出来たのは運とタイミングが都合良く重なっただけであり、決して私の実力などではなく、驕りや慢心もまた、そこにはない。

「あ、ありがとうございます。警備員さん」

区画の中の女はようやく平静を取り戻そうとしている。

「ぬう・・。味な真似を・・」

8tユニックのドライバーは紫の煙をくゆらせ不機嫌そうに吐き捨てる。

「オーライ」

「何度誘導しても無駄だ。タカ・・な?何だと?」

「オーライ。オーライ」

「こ、こいつ・・さっきまでの誘導じゃあねえ」

「オーライ。オーライ」

「く、引っ張りこまれちまう。ガードマンなんぞに」

「ほう、まだ粘るか?いいだろう・・ここからは警備員と鳶の・・プライドとプライドのぶつけ合いだ。オーライ。」

「オーライ。オーライ。オーライ。オーライ。」

基本に忠実に、ゆっくり、大きく私は誘導棒を振り続ける。

「警備員さん頑張って。」

区画の中の女が私の誘導を後押しする。負けるわけにはいかない。

「ぐ、ががが、ハンドルが、アクセルが…」全てはガードマン掌の上だ。

「オーライ。オーライ」

「ががが・・」

もう少しだ。もう少しで8tユニックは現場へ到着だ。

「ストーップッ。」

午前八時四十七分、8tユニック現着。誘導者須藤タカト。

「負けたよ、あんたの誘導にはよう・・。参ったぜ」

車から降りてきた鳶職人は私に右手を差し出した。

私は鳶職人の手を固く握りしめた。普段から足場作りに従事している為か華奢な体からは想像しにくい、肉体労働者特有のごつごつした手だった。

「当然だ。私はプロの警備員だからな。誘導できないものなんて・・女心くらいか?

なんてな」

「おっと。それがそうでもないみたいだぜ。ガードマン、いや、ガードマンさん。後ろを見ろよ」

「警備員さーん。凄くかっこよかった!ありがとうございました」

私が誘導したものは8tユニックだけではなかった。そして、それはここで言うまでもないだろう。本日の警備報告書には「異常無し」とそう記すつもりだ。

 

エピローグ

 日曜日は建築関係者の安息日だ。街は作業着を脱ぎ捨てた若者たちで溢れかえり、賑わっている。

「お待たせ、警備員さん」

「私も今来たばかりだ。」

 現場が全休の為、私たちも道行くアベックたちと同じく逢引を楽しんでいた。

「見て見て、あのクレーン凄く大きい!」

「70tクレーンか・・。五年前の斉藤建設での現場を思い出すなあ。」

休日も頭の中は現場の事でいっぱいだ。根っからの警備員ということか。

                        




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[良い点] 本作品により、ガードマンの真髄を知ることができました!
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