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九章 宣戦布告・一

「せーりさん。捕まえましたよー?」

「げっ!!」

「げっ、て何ですか!? 酷くないですか!?」

「ちっとも! それが正直な気持ちなんだから。当然の反応!!」

「ひっどいですねー。本当に酷い! 善良な僕に対して酷いと思わないんですか?」

「ちっっとも思わないっ! ていうかなんで! あんたなんか呼んでないっ!」

「芹さんがなくても僕にはあります! 最後の試験の説明会、すっぽかす気だったんでしょう?」

サンジェルマンが私の右手首をガッチリと掴みながら、じっとりと不信な目を向けて来た。

「失礼な! ちゃんと行くわよ。まだ登城の期日まで日があるでしょ」

そう。最終日に行くつもりだったわよ。

カイにはさっさと行ってこいとは言われたけど、行きたくない場所にはやっぱりちょっとねぇ……?

それなのに。それなのにっ!

図書館近くにあるコンビニに新作スイーツを買おうと思って入ったはずが、何故かお城で。驚く間もなくサンジェルマンに右手首を掴まれ今に至ると。

「馬鹿ですね、芹さん。こういうことは期日の指定がなくても事前に他の方々がいつ登城されるか確認して合わせるんですよ」

「はあっ!? 何それっ!? じゃあそれならこの日に来いって言えばいいじゃん!」

「はあ〜、本当に馬鹿ですねー芹さん」

呆れ果て、憐れな生き物を見る顔でサンジェルマンが言う。

「いいですか。相手は芹さんよりとても高貴な方々です。特にクロード王女殿下など他国の庶民がそのお姿を見ることなど絶対に無いお方です。その方がこの日、と決めればそれより身分が下の我々は従うのが当然です。その日に参加者全員登城すれば説明も一回で終わる。そうすればヘルブラオ側も手間は一回で済むんです。わかりますか、芹さん。ああ、わからなくてもいいです。僕の指示通りに行動してくれればいいです。だから大人しくしてて下さいねっ!」

「なっ、に、それっ! ふざけないでよっ!」

サンジェルマンに引きずられつつも、一方的な説明に頭にきて大声で言い返したら、目の前の部屋の扉が開き、とんでもなく冷たい空気が流れて来た。


「ぇ……?」


目に飛び込んだのは、静かに椅子に座っている皇子達。

そこにいる全員の視線が私に向いた。皇子達と私の距離は多分五メートルぐらいあると思うんだけど、射抜くような視線と空気だったが、一部からは殺気も混じっていた。苛立ちや不愉快は仕方ないとしても殺気はおかしいよね!?

とにかくその冷たい空気で満たされた空間に私は本能的に後退りしたけど、右手首をがっちり掴まれてる私は逃げられず、売られる子牛のようにズルズルと引きずられて空いている席に放り出すように座らされた。

「これで皆様揃いましたので、最後の試合について説明させていただきます」

私達が席につくと、一息つく間もなくカールが話し出した。

「今回の試合は剣術勝負となります。試合には候補者の方々ではなく代理人での試合となります。ですので、騎士、あるいは剣士の方が出場となります。すでにクロード王女殿下とミリヤム姫の代理人は決まっています。あとはセリ嬢のみです。もうお決まりですか」

は? なにそれ。もう決まってるって。

あとは私のだけって。

私がいきなりのことで固まって返事ができないでいるとすかさずサンジェルマンが返事をした。

「お心遣いありがとうございます、カール様。こちらで伝手を何人かあたりましたが、いいお返事はいただけず困っておりまして。ですので、あつかましいとは十分承知していますが、誰かご紹介いただければと存じまして……」

なにっ!?

何言ってるの、コイツ。

冗談じゃない!

断ろうと私が言うより早く、一番奥に座っている皇帝が口を開く。

「うむ、そうだな。セリの後見としてそれは見過ごせぬ。私が何人か騎士を見繕うので、その中から好きなのを選べばよい。よいな、サンジェルマン。リーンハルトもよいな」

「ありがとうございます、偉大なる皇帝陛下」

「構いません」

「クロード王女殿下にミリヤム姫もよろしいでしょうか」

「はい」

「はい」

「では、次ですが……」

自分以外の人達には確認するのに、私には一言もなし。

何これっ!

悔しい。

悔しい、悔しい!

私って、本当にここではいてもいなくてもいい存在なんだと痛感する。

なら、おもいっきり存在感をだして嫌だって言ってやる!

私はすぐに声を出して立ち上がろうとした、が。


えっ!?


口が開かないし声も出ないし、身体も動かない。

なんでっ!?

って、こんなことするのは皇子達か。

力を込めてなんとか首を皇子達の方に向ける。

皇子達は王女達に試合会場とか今後のことについて話しているようだ。

カールが私の視線に気づいたけど、一瞥しただけで特に何をっていうのはなかった。

その一瞥はすごく冷ややかだったけど。

皇子達じゃないなら、あとは……。

私は向かいに座るサンジェルマンに顔を向けた。

こっちか!!

当たりだ。サンジェルマンはとても機嫌良く、馬鹿にした顔でこっちを見てた。


むっ、むっ かっ つっ くっ……!!


こうなったら、いやならなくてもだけど。

絶対になんとかしてやるっ!!

……とはいっても身体は動かない。

全く動かないわけじゃなくて、多少は動くけど、腕を上げたりとか、立ち上がったりとかはできない。

指先や手首足首が少し動く程度。

声も出そうとお腹に力を込めても無理。

あーっ!! もうお願い!! 

声出てよ!! 身体も動いてよ!!

なんで自分の身体なのにいうこときかないの!?

動いて、動いて!!

動けっ、動けっ、動けーっ!!


パチン


声にならない声で叫んだ後。

身体の中から何かが割れるような感触を感じた。

そして身体が動くことに気づいた。

「ぁ、あ……?」

よし、声も出る。


「ではこれでご説明は以上に」


ドガッ!!


テーブルが揺れ、テーブルの上にあったティーカップの中身が白いテーブルクロスに跳ね、シミを作った。

そして全員の視線が私の方に向いた。


「待てっ、ごほっ、けへっ……」


カールの言葉を遮るために、テーブルを下から蹴り上げたのだ。

テーブルは重すぎて、私の右足の方が痛い。

おまけに出ない状態からいきなり大声を出したから、ちょっとむせた。恥ずかしい。

けど、今はそんなのどうでもいい。


「ちょ、けほっ、んんっ。……ちょっと待って下さい。私、騎士も剣士もいりません。どうしても選ばないといけないなら、自分で探します」


私は全員の顔をざっと見て、すぐに視線はテーブルクロスに落とす。

さすがにちょっと、全員の視線は受け止められない。無理、怖い。

だけどここで怯んだら負けだ。

というか、臨死体験も乗り越えたんだから、これ以上怖いことなんてない、はず……! うん、多分。

とにかくなんとか自分で自分を励まして、話を再開しようとしたが、先に皇帝が口を開く。


「セリよ。それは私を信用していないということか」


厳しい表情と圧倒する気迫で、早くも怖くて怯んだけど。臨死体験に比べればマシだとなんとか持ち直す。


「そうです。信用なんてできるわけないじゃないですか」


私の言葉に場が冷凍庫になったように凍った。


「ほう。たかが庶民の小娘がここまで言うとはな。皇帝陛下はこのような愚かな小娘を私の婚約者候補にされたのか。それともそこのサンジェルマン伯爵に騙されたのか。どちらにしても、このような小娘に婚約者など務まるはずもない」


皇子が随分と嫌味をのせて言ってきた。

こっちだってあんたの婚約者なんて絶対ぜーったいにお断りよ! 全力で拒否する!


「そうですね。皇子の言う通りだし、皇帝陛下の言う通りです」


親子の空気がさらに低くなったようだけど、どうでもいい。

私は続けて話す。


「理由は簡単です。私がこの国の人間を信用できないからです。だって当然でしょ。初対面の人間を信用しろなんて皆さんできますか? 例えば自分が、この国とって利益のある人間なら相手を信用できなくても命の保証はされるでしょ。でも相手が何の後ろ盾もない庶民ならどうなってもいいと思いますよね。特に身分の高い人なんて」


ここで視線を皇子と皇帝に向けた。

当然二人ともなんの反応もない。

わかってたけどね!


「だから剣士は自分で探します。当然でしょ。自分の一生を見知らぬ他人に賭けられるわけないでしょ!」


言い切った私に向けられる視線はさっきと変わらず冷たい。

しばらくの沈黙を過ごした後、カールが沈黙を破った。


「言いたいことは全てですか、セリ嬢。それならば、代理人の選定はこちらで行います。よろしいですね、皇帝陛下、サンジェルマン伯爵」


「そうだな。安心するがいい、私が責任を持って選定しよう。よいな、サンジェルマン伯爵」

「はい、もちろんです、皇帝陛下」


そう言うとまた何か皇帝達は話始めた。

私の意見は完全無視で。

なにこれ、なにこれ、なんなのっ!?

なんでこんなに無視されて話が通じないの!?

頭がふわふわして話声もぼやけて聞こえる。

私の頭や全身は言いようもない悲しみと怒りがぐるぐる回ってる。

どうすればいいの、どうすれば私は……。


ガタガタと椅子や人が立つ気配がした。

皆立ち上がって部屋を出ようとする。

どうしよう、どうすれば……あ……。

ふとアロイスの言葉を思い出した。

そんなことしたくないし、できるかもわからないけと、やらなきゃダメだ。

もうなりふり構ってられない。


ガン、ガタガタン!


皆その場に立ちつくし、護衛の人らしき人達が皇帝や皇子達を庇うように出る。

そりゃそうだ。

私は座っていた椅子を投げたんだから。

あ、もちろん人のいない方向にね。

険しい視線がいっせいに私に向けられている。

でもそれがなによ!

こっちは人生かかってるんだから!

もうそんなものには怯まず逆にこっちも睨み返す。


「ほんっとに最悪。何、ここの人達って何様なの!? ああ、皇子様や皇帝様でしたっけ? 高貴な人ってほんっと庶民のことなんてなんとも考えてないんですねっ! その庶民のおかげで暮らせてるくせに偉っそうに! なのに暮らさせてあげてる庶民の意見は偉そうに無視! ふざけんな! 偉いなら庶民の話も聞いて対応しろっ!!」


大声で言い切り、一旦息を吐く私の方に皇子が前に立つカールを退け、私に視線を向けた。

怒りで今にも殺されそうな強い蔑む視線だ。

人生、ううん、命もかかってるかも知れないんだ、こっちは! 怯むもんか! 私はその視線を受け止めた。


「ほう。随分と好き勝手言うな。庶民が皇族の為に働くのは当然だろう」


馬鹿にして蔑む声と視線。

もちろん私も言い返す。


「なんで当然なのよ」

「それが庶民の義務だろう」

「なんで義務なのよ」

「皇族を生かすのは庶民の義務。考えることもないだろう。それに皇族自体が国だ。国として庶民を守ってやっている。庶民が国に貢献し従うのは当然というもの」

「そうだね。庶民が無能な皇族に貢いで上げてるんだから、それはやって当たり前。威張る方がおかしいのに。ふふっ」

あんまり偉そうに言うから思わず笑ってしまった。

それが癇に触ったのか、皇子だけでなく皇帝からも皇子と同じように虫ケラを見る視線を受けた。やっぱりね。絶対私のことなんて死んでもいいと思ってる。

「おっかし。なんで貢がれて当然なんて暢気に思えるんだろ。まあ、お互いが信頼し合える間柄ならそう思えてもおかしくないけど。でも大抵はそんなことありえるわけないのに。皇族や国はもっと庶民に媚びなきゃいけないのにね」

「なんだと? 誇り高い血を引く我が皇族が庶民に媚びろだと? 言っていいことと悪いことの区別もつかんのか」

あら。

言い返してきたのは皇帝だった。

怒り、というか憤怒っていうのか、爆発一歩前なのは感じる。

「そうよ。皇族よりたくさんいる庶民の方が凄いのよ。だって、全国民がいっせいに皇族や貴族を襲ったら絶対に負けるよ? 負けなくても瀕死寸前かもね。でもそんなこと考えたこともないんでしょうね」

「はっ、庶民にそんな勇気も知恵もないだろう。愚かなお前達はそんなことに気づくこともないだろうに」

カールが馬鹿馬鹿しいと一蹴する。

「そうだね。この国の国民ならそうかも知れない。でも私はこの国の人間じゃないから、そういうことも考えられるしできる」

この言葉に私以外の全員が反応した。

今まで黙って見ていたクロード王女やミリヤム姫も。危険人物として認定されたのかも。なら上等。

「だから私も好きにさせてもらう。別にいいよね。だってどんなに話しを聞いてって言っても無視されるし」

にっこり笑顔で言ってやる。

「話なら聞いてやった。それなのに不満だと? 愚か者が」

皇子が答える。

「確かに話は聞いてくれたけど、私の意見やお願いは聞いてくれなかった。それって理解する力はないってことだよね? ははっ」

「貴様……」

「…………」

もうこの人やだっ!!

怖い、怖すぎる!!

それどころか全員結束したみたいで黙れという圧が凄い。

多人数対私だけって不利すぎる!

けどもう少し頑張れ、あと少しっ……!

「だから私も好きにします! 剣士は自分で探します。もし見つからなかったら私が出ます!」


「……は?」


この間抜けな声はサンジェルマン。

「芹さんが出場?」

「そうよ。なんか文句でも?」

「は、ははっ! ふっ、ははっ、芹さん、それ本気で言ってるんですか? くくっ」

笑いながらサンジェルマンが訊いてくる。そんなにおかしいことか。

「本気よ。見知らぬ誰かに人生賭けたくないもの。当然でしょ」

「おやおや、随分と信用されてないんですね、僕は」

肩をすくめ、やれやれといった感じで呆れている。

「今までのことを思い出してみても信用なんて爪の欠片程もできるわけないでしょ! もし信用できるなんて人がいたらよっぽどのお人好しか馬鹿よね」

「はぁ〜、そんなに信用ないんですね。こんなに芹さんに尽くしているのに。悲しいなぁ、本当に悲しい」

大袈裟な振り付けと嘘くささ全開のパフォーマンスをしながら言うサンジェルマンが目茶苦茶ムカつく。

「とにかく! 私は私のやりたいようにさせてもらうから。私の人生かかってんだから。あんた達の茶番になんて付き合ってられないのよ、こっちは!!」

「茶番だと?」

皇帝が口を開く。

「茶番以外のなにがあるのよ! 嫌がる私を無理矢理出場候補者にして! そのくせ私の味方でもない。そもそも変なのよ! こんな得体の知れない私を息子の婚約者候補にすること自体! それを疑問にも思わない、思ってても何も言わないのか知らないけど、こんなのどう考えても茶番でしょ!? もしくは嫌がらせ? わかんないけど巻き込まれたこっちは超迷惑なの! そもそも皇子の婚約者になんてなりたくないのに、むしろ大嫌いなんだけどっ! こんな陰険モラハラ男の婚約者なんてこっちから願い下げよっ!!」


思いつく悪口を並べて言い返す。

だって、よく考えればおかしいこと満載。

普通、後継ぎの皇子の婚約者をこんなコンテストで決めるなんておかしくない? どんな人が勝ち上がるかなんてわかんないのに。

それにこういう人達って血統がとか絶対言いそうなのに、どこの誰だかわかんない庶民を皇帝自ら推すって、なんかあるとしか思えない。

皇子達の出方をじっと見ているとサンジェルマンが一歩前に出た。


「芹さん、照れなくて良いんですよ。そうやって皇子殿下の気を惹こうとしなくても。仮に婚約者になれずとももしかしたら側室になれるかも知れません。だから、ここはちゃんと僕達の言うことを聞いて大人しくしてて下さい。ほら、皇帝陛下や皆様にも謝って、ね?」


サンジェルマンがにこにこ笑って近付いてくる。

でもその笑顔は怒っている笑顔だっていうのはわかる。

捕まったらダメだ。

でも椅子は投げちゃってし……あ!


「寄らないで!」


言いながら、私はテーブルクロスを引っ張った。

ガシャガシャンと音をたてながらティーカップが床に落ちたけど、床は上等な絨毯らしくカップが割れる音はしなかった。


「おかしい、おかしいよ! なんでこんなに言葉が通じないの、無視されるの!? もし私がおかしいならこんなおかしい私を婚約者候補にする皇帝はもっとおかしいんじゃないの!? ねえ、どうなのよ、どうなんだって聞いてるのよ、皇帝!!」


私はもう本当におかしくなりそうだった。

こんなに、こんなに話が通じなくて意見を、自分を無視されるなんて初めだから。

こんなに自分を無視される、蔑ろにされるって、精神を壊される、殺されるってこういうことなんだってわかった。

味方なんて誰もいない、味方は自分だけ。

ならとことんまでやってやる!!

皇帝は私の豹変ぶりに一瞬気を取られたみたいだけどすぐには返答できなかったみたいで、かわりに皇子が答えた。

「いや、その小娘は興奮して気が立っているだけだろう。偉大なる皇帝陛下が気の狂った娘を息子の婚約者候補にするはずもない。もしそうなら何か深いお考えがあるのでしょう。違いますか、皇帝陛下」

皇子はいつもの冷徹な表情だけど、どこか高揚してるような感じもする様な……気のせい?

「…………そうだな。初めて訪れた国、慣れないしきたりなどで疲れているのだろう。セリを別室で休ませてやれ」

皇帝が背後にいる護衛らしき人に命令し、護衛が動こうとしたがそれを皇子が制した。

「疲れているなら見知らぬ人間より、多少でも交流のあるカールに付き添わせましょう。その方が幾らか安心でしょう。カール」

「はい、リーンハルト殿下」

言われて今度はカールがこっちに来る。

そんなのサンジェルマンより悪いじゃない、きっと!

なにせ皇子の秘密を知っちゃったんだから、今度は本当に命の危険が。

なんとか逃げなきゃ、ってどうすれば、今なら走って逃げられるだろうけどそれだけじゃダメ! えーっとえーっと……あ、アレだ。


「カール!」


これ以上こっちに来るなという牽制もこめて大声で名を呼んだ。

すると向こうもちょっと警戒したのか歩みが止まる。


「何でしょうか」


私への警戒は解かず、冷たい声で返事をした。

「この前カールと廊下でぶつかったとき、手鏡を落としちゃったみたいなんだけど見なかった?」

本当は廊下でぶつかってなんてないけど。

でも私の言いたいことは察したらしい。

「手鏡ですか」

「そう。銀の手鏡。見なかった?」

「……いいえ。残念ながら。その手鏡は大事な物なのですか」

「ううん、そうでもないけど貰い物だからね。無くすのもちょっとね。でもいいや。くれた人には謝ってまた新しいの貰うから」

「そうですか。もし見つけたらお届けします」

よし、脅しは通じたはず、多分。

同じ手鏡はいくらでもあるからな、という意味だ。私ははにかむような照れたような表情で言ったけど、カールは見事なぐらい昏い表情で目からは光が消えた、っていう表現がきっと合うんだろう。

でもそんな顔したって負けるもんか! これで言いたいことは言った! あとは逃げるだけ。

出入口の扉のとこには人はいない。深呼吸して……よし。


「私は正気よ! おかしいのはそっち! 試合には出てあげるけど、どんな小細工したって無駄なんだから! じゃあね」


最後に宣戦布告したのでもうここに用はない。

出入口目指してダッシュして扉を開けた。

運良く鍵とかかかってなくて良かった……!

背後から追え、逃がすなとか聞こえるけど無視して逃げるための扉を廊下沿いに探すけど、どこにも扉がない!

ない、ない! あるのは一ヶ所だけ。衛兵がいる外に出る扉だけ。しかもそこは私の背後の状態から警戒して扉をガッチリ守ってる! 当然後には戻れない。前もあんな体格のいい衛兵二人をどうにかできる気はしない。どうしよう!? 

あと逃げれる場所は窓しかない!

窓を開けようとしたが、鍵がかかってて開かない。

なら手段は一つ。

カバンを鍵の所に勢いよくぶつけると、ガゴっと鍵の部分が壊れた。よし!

急いで窓を開けてバルコニーに出るとなんとここは二階だった! 連れてこられたときはそんなこと確認する余裕もなかったから気づかなかった。

しかも下は池みたいな堀。

屋敷をぐるっと囲むようにある。幅は五、六メートルぐらい?


「気がすみました、芹さん」


バッと後を振り向くとサンジェルマンを筆頭に、カールと皇子、護衛がズラッといる。

「あなたは本当に手間のかかる人ですね。後始末するこちらのことも考えて下さいよ。はあ……」

言葉や態度は面倒だな怠いなみたいな感じだけど、腹立つんだよこのガキ! って言う副音声がしっかりガッチリ聞こえる。


「んっ……」


後に下がろうにも手摺がぶつかるだけで動けない。

今は冬じゃないし、低体温とかでは死なない……はず、だよね?

どっちにしてもここで捕まるぐらいなら答えは一つ。

(アロイス、信じてるからね!)

私は勢いよく手摺を越えて堀へと飛び込んだ。


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