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九章 練習試合・六(カイの気持ち)

台所で今日の夕飯の仕込みも終わり、一息つこうかと思ったとき。

「ちっ!」

憎悪と嫌悪を催させる気配が俺の元へ近づいて来る。

ガチャリ。

真鍮のドアノブが捻られ、忌まわしいものが姿を見せた。そいつはドアを閉めるとその近くに立ち、じっとドアを見つめている。

だが、こいつがここに来たということは、セリがもうじき来るということだ。

俺は不愉快な存在に苛立ちながらも、セリを迎えるための準備を始める。

と言っても回復薬を用意するだけだが。

茶と菓子も最初は用意したんだが、回復薬に美容効果もつけた物を出した以降、茶も普通のではないかもしれないと警戒され、いらないと断られた。

年頃の女なら美容に熱心だからセリもそうだろうと思い、気をきかせて美容効果もつけたんだが。

怒られた。

まさかあんなに怒るとは思ってもみなかった。

普通なら感謝されこそすれ、怒られるなんてありえないからな。

釈然としない中、とにかくセリの要望通り美容効果を消す薬を渡した。

そのあとアロイスに嫌味を言われた。

「カイ、勝手にそんなことすれば怒られるのは当然でしょ。人々に恐れられる魔法使い様も、年頃の乙女心はわかんないか〜」

くそっ!

菓子も、クッキーだったんだが、使った香辛料がセリの口には合わなかったようで、茶と一緒に断られた。

それ以降、セリは自分で飲み物も菓子も持参するようになった。

どんな飲み物か気になったので、セリに少し飲み物と菓子を分けてもらったが、どちらも初めての味だった。

飲み物はほんのり甘いんだが、後味は少し酸味がある感じで。何というか、不思議な味だった。

菓子はクッキーだったが、これは衝撃だった。口に入るとホロリとくずれ、すっと溶けてしまうような繊細さ。味はやや甘かったが、バターの風味がまたいい感じに残り後を引く。

セリの叔母が作ったもので、セリの好物でもあるという。

なるほど。こういう味が好みなら、俺が出した香辛料多めのクッキーは口に合わないだろうなと思い、次の買い出しでバターを多めに買っておこうと決めた。

ガチャリ。

ドアノブが捻られる音に振り向くと、セリがいた。

「セリ! おかえなさい!」

あいつが勢いよくセリに抱きついていた。

「ただいまぁ、マユキ」

セリはニヤニヤしながら、抱きついているあいつの頭を撫でていた。

よくあんなものを嬉しそうに撫でられるものだ。

俺はそれについては心底呆れながら、セリを眺めていた。

するとようやく俺の存在に気づいたのか「カイ、ただいま」と、とってつけたように言われた。

「ああ」

あいつより扱いが下なのかと思ったら、返すことばもぞんざいになっていた。

しまったと思ったが、セリは別段気にした風もなく、まだ抱きついているあいつ構い始めた。

その光景に俺はまた苛立ち始めた。


何故セリは自分を殺した相手を赦せるんだ?

何故セリは自分を殺した相手にそんな笑顔を向けられるんだ?

何故セリは自分を殺した相手を好きだと言えるんだ?


何故、何故、何故……!?


俺は目の前の幸せそうな光景が赦せない。

どうして加害者が被害者に赦されているんだ?

どうして加害者のくせに笑顔を浮かべていられるんだ?


おかしい。

おかしいだろ、そんなの。

間違ってる。

被害者は加害者を絶対に赦しちゃいけないんだ。

セリ、お前は間違ってる。

絶対に間違ってる。

でも間違いに気づけないなら、俺が教えてやる。

だから、安心していい。

お前のことは俺がちゃんとしてやるから――。


俺がセリの方へ一歩、踏み出したとき。

バタンと勢いよくドアが開き、同時に喧しい声が響いた。

「セリ、おかえりー! セリがいなくて俺すっごく淋しかったよ」

「ぎゃっ!」

アロイスがセリの背後から抱きついていた。

「ア、アロイス!? ちょっ、離れてよ! うざい!」

「え、何それ、ひどーい。マユキはよくて俺がダメなんて納得いかないんだけど?」

セリがぎゃあぎゃあ騒ぎながらアロイスを引き剥がそうともがいている。


煩い。


物凄く煩い。


いい加減気づけ、ガキども!


バンっ! 

気づけば音が響くほど壁を強く叩いていた。

「お前達! 騒ぐならここから出て行け!」

全員ピタリと動きを止め、すぐさま外へと出ていった。

そして俺は深い溜息をつき、その場へへたり込んだ。

「またやっちまった……」

最近、どうにも気が短くなっている。

おまけに感情の起伏も激しい。

怒ったり、笑ったり、苛ついたり、呆れたり、心配したり……。

ここ数十年無かったことだ。

正確にはあの日以来、だろう。


「ディアナ……」


セリとは正反対の性格だが、芯の強い所というか、強情なところというのか。そういうとこは似ているよな。

お前を失った歳と同じぐらいだから、似ていなくても思い出してしまう。

俺の大事な大事な可愛いディアナ。

お前は今どうしている?

俺はお前のことを思わない日は一日だってない。

今もお前を取り戻すための方法を毎日探して試している。

だけどどれも違う。お前の所には繋がらない、届かない。

お前を失った日からずっとずっと修行を続け、力もついた。

だけど、お前には繋がらない。

あとどれだけ修行すればいい?

何をすればいい?

どうすればお前をこの手に取り戻せるんだ?


「ディアナァ……」


ポロリと涙が出た。

情け無い、みっともない。

いい大人がこんな風にべそをかくなんて。

恥ずかしいし、惨めだ、屈辱だ。

でも仕方ないだろう?

もう、淋しいんだ。

お前がいなくて。

ずっと、ずっと、淋しいんだよ……。


俺は立ち上がり、地下の作業部屋へと移動する。

こんな無様な俺を見られたくない。

その前に、食卓の上に回復薬を五本、書き置きと一緒に置いておく。

すぐにはいつもの俺に戻れないと思うから。


ああ、ディアナ、ディアナ、ディアナ……!


俺はぐちゃぐちゃの心をどうにもできないまま、足早に地下へと向かった。

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