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八章 十六那

お風呂、食事を済ませたらすぐに自室へ直行。

もちろんゲームだネットだとする気力もなく、すぐにベッドへダイブ。

ウトウトする間もなくスイッチを切るようにストンと眠りに落ちたはず、なのに……。

ふと気づくと桜の花びらが舞う、どこかの山の中に立っていた。

(ああ、ここは……)

夢だ。

そしてあの人が、いる。

(逢いに、行かなきゃ)

私は無造作に生えている桜の森の中を歩いた。パジャマに裸足という格好だけど、地面は雑草が生えているので裸足で歩いても痛くない。この夢はとてもリアルで、地面も桜の木の感触もちゃんと感じるのだ。

目指す場所は、この桜の森を抜けた場所。そこは少し丘になっていて、丘にはとても立派な枝垂れ桜がある。

(ああ、もうすぐだ)

丘の枝垂れ桜に近づくほど、周りの桜の色が紅くなる。淡い桜色から、濃い紅色へと。

目の前が開けると、丘の上にしっかりと根をはっている、とても高くて立派な枝垂れ桜が迎えてくれた。はらはらと舞い散る花びらは、桜の色としては似つかわしくないほど艶めかしい紅色で、まるで桜が血を流しているようだと見るたびに思う。

その枝垂れ桜の背後から、人が現れた。

十六那いざな——」

薄い闇の中、現れた人は、ただこちらを見つめ佇んでいる。

丘の下で足を止めていた私は、十六那に引き寄せられるように、ふらふらと十六那の元へと歩き出していた。


「十六那」

私は佇む十六那の前に立ち、見上げた。

「っ……!」

私はすぐに顔を背けた。

無表情で冷たい、生気のない顔。でもその顔はとても美しくて、儚くて、綺麗すぎて。対して、平凡な容姿の自分が恥ずかしく思えて、十六那を直視出来なくていつもすぐに顔を背けてしまうのだ。

「んっ!」

十六那の冷たい手が、私の右頬にそっと触れ、それからゆるゆると繊細な指先で撫で始めた。

「んんっ」

身体の中がぞわぞわとする。気持ち悪くてぞわぞわするんじゃなくて、気持ちがよくてぞわぞわするっていうのか、もやもやする。指先が触れるか触れないかの絶妙? 微妙? な撫で方で、何て言えばいいのかわからない。いつもこんな撫で方をされるので、私はその度に恥ずかしくて、泣きたくて、逃げ出したくなる。

でも十六那は絶対に逃してはくれない。というより、私の足が動かない。触られるたびに十六那の気持ちが流れ込んで来るので、逃げられない。突き放せない。

この人はいつも哀しみと恋う心であふれていて、拒絶出来ない。

でも今日は違った。もう一つ別の感情が混じっていた。

『……………』

頭上から綺麗な声が聞こえた。私は俯いたまま答えた。

「ごめんなさい……。あんなことになるなんて思わなかったし……」

『……………』

「わかってる! 私は十六那のものだって、その人の代わりに傍にいるって……!」

『……………』

「そう、だけど……。でも、約束したよ……。その時が来たら、十六那と結婚するって」

『……………』

「わかってる! ちゃんとわかってる! 理解してるよ! だからもう、怒らないでよ……。うっ……」

十六那に自分のことを信じてもらえず、怒られて、責められたことが悲しくて、思わず泣いてしまった。

自分勝手な十六那。嫌い! 大っ嫌いよっ!

そう、心の中で思いっきり罵ってやった。もちろんこの心の声は十六那には聞こえている。この夢の中は十六那の世界。私は隠し事なんて何にも出来ない。

十六那は私の頰を撫でるのをやめ、その手をするりと顎に移動させると、私の顔を上向かせた。

まだ涙は止まらず流れっぱなしだ。絶対むくんで酷い顔だ。十六那はそんな酷い私の顔をじっと見つめたまま動かない。

「……見ない、でよ。も、離してよ」

十六那の綺麗な顔に見られ続けるのに耐えられず、嗚咽混じりにお願いした。

だけど十六那は私のお願いなどスルーして顎を掴んだまま、空いている右手で桜の花を一つ取り、その桜を唇で挟み持つと、今度は右手で私の口をこじ開けた。

「!?」

いきなり口をこじ開けられて驚いたが、次にはそれ以上の驚きが私を襲った。

桜の花を咥えた十六那の顔が近づいて来たかと思うと、口の中に桜の花を落とされた。

「!?」

『……………』

動揺する私に十六那は淡々と命令して来た。

私は躊躇したけど十六那に逆らえるはずもなく、言われた通り桜の花を飲み込んだ。

夢の花に味なんてないだろうと思ったんだけど……。

「ん、あま、い? んん? なんか苦い……?」

飲み込んだ後、ほんのりと花の蜜のような甘さを感じた後に、薬の苦さというか山菜の苦味みたいなものを一瞬ずつ感じた。

『……………』

「うん、そんな感じがしたと思う。ほんとに一瞬ずつだったけど……。ねえ、これ一体何なの?」

私は十六那を見上げ、訊いた。

答えは返って来なかった。だって、私の前にはもう誰も居なかったから。周りの風景もぼんやりと霞始め、同時に私の意識も霞始めた。

「酷い。もう帰れって? 酷い、酷いよ、十六那は。いつも、いつも自分勝手で……」

まどろみ始めた意識の中で、もういない相手を思い切り罵った。

だけど、罵れば罵るほど、私の気持ちは痛くて、苦しく、悲しくなっていった。

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