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八章 皇子と従者

薄汚い小娘だな。


俺の目の前には、皇帝が選んだ小娘――、セリがいる。

ああ、本当に何だ、この小娘は。

俺はまず、その身の薄汚さに苛立った。

髪は乱れ、顔や手、服もあちこち汚れていて見るに堪えない。

服は小娘の国の物だろうが、みすぼらし上衣にズボン。この俺に謁見するのにこのような常識など一切ない格好とは馬鹿にしているのか? 腹立たしい。

俺は椅子から立ち、びくついている小娘の髪の毛を思いきり引っ張った。

「痛っ!」

黙れ!

その不愉快な悲鳴にさらに苛立ち、怒りで執務卓を叩いた。

小娘が恐怖を感じたのか怯えだした。情けない。だが……。

「はっ……。いい様だな、小娘」

その不様な格好が滑稽で愉快だ。

ああ、すっとした。

そう思えたのもほんの僅か。

「やだっ!」

小娘の態度に驚いたカールがとんで来た。

「大丈夫か、リーン!」

「ああ」

「ん? ちょっと待て、お前その顔」

カールが俺の左頬を自分の方に傾けた。

「この傷、今やられたのか?」

「傷?  ああ、そういえば一瞬、小娘の爪が掠ったかもしれないな」

「よく見せろ」

カールの顔がさらに近づき、傷を調べる。

「血は出ていないな」

安堵したカールが息を吐く。

俺に傷がつくのをとても嫌がるカールは、他にも傷つけられていないか丹念に調べ始めた。

俺は傷つこうと構わないが、この外見に価値を見出だす輩共を利用するためにも傷はないほうがいいだろうと思う程度だ。

俺はカールの好きにさせた。カールの気がすむまで解放されないのはいつものことだから。

ふと、視界の端で動くものを捉えた。

油断も隙もないとはこのことか。

「小娘、どこに行く気だ」

もちろんカールも小娘の動きには気づいていた。扉に鍵はかかっているから逃げることは出来ない。もう少し様子を見る気だったのだろう。だが俺は許せなかった。俺の許しも得ず、この場を動くことを。

俺が口を出したことで、カールも動く。

「へぇ、セリ。君は傷つけた相手に謝罪もしないのかい。いくら平民とはいえ、そんな基本的なこともできないなんて呆れるな」

カールが苛立っている。

当然か。この俺に対する無礼、その上傷までつけたんだ。いつ激昂してもおかしくない。

黙って二人のやりとりを眺めていたが、突然小娘がおかしなことを言ったので俺とカールは唖然とした。

あろうことか、この俺、ヘルブラオ国第一皇子の俺に謝罪を要求してきたのだ。

「皇帝陛下ご推挙の娘がまさかこんなに教養のない娘だったとはな……」

カールが大袈裟なぐらいの溜息をつき軽く頭を振った。

「どこの者ともわからぬ小娘だ。無教養でも驚くことはないだろう」

「そんな女性をリーンの花嫁候補に推すとはな。皇帝陛下のお前に対する気持ちがよく理解できたよ」

「今頃か」

「いや、改めて確認できたということさ」

ああ、そうだ。あいつは、あいつらはどれだけ俺を貶め、侮蔑するのだ。

いつまでも、いつまでも、いつまでも……!

腹の奥底からこみ上げる憎悪が口から溢れ出そうになるが、ぐっと飲み込みカールと小娘のやりとりにまた意識を戻す。

カールが容赦なく小娘を叱責している。

あそこまでカールに叱責されれば、心が折れるのも時間の問題だろうと思っていたのだが。

小娘はとんでもないことをカールにしでかした。

流石に見間違いかとも思ったが、カールが膝をついたことで見間違いではないということだ。

あろうことか、小娘がカールの股間を蹴り上げたのだ。

有り得ないことだ。俺の護衛も務めるカールに膝をつかせるなど。そもそも、女子供が男に歯向かおうということが常軌を逸している。

カールも相当な屈辱だろう。あいつへの屈辱や侮辱は、俺に対する侮辱行為と同然だ。

想定外のこととはいえ、大の男が小娘にしてやられるのは見るに堪えない。

俺はカールの側へと寄り「不様だな」と告げながら、少し屈み右手を差し出した。

カールは俺の手を取らず立ち上がろうとしたが、不愉快な笑声で動きを止めた。

小娘だ。

カールと俺を馬鹿にして笑っている。どこの者とも知れぬ薄汚い小娘に、皇子たるこの俺がこの様な愚弄を受けるなどあってはならない。

もう、コンテストなどどうでもいい。この場で殺すか。

そう考えた時。

カールがゆっくりと立ち上がった。

顔を見ずともわかる。激昂している。当然だろう。

カールは逃げる小娘を捕まえると、近くのソファに放り投げた。

さてどうするのかと見ていたが、小娘はまだしぶとく抵抗を続けている。何てしぶとい小娘なんだ。もうこれ以上、俺は耳障りな声は聞きたくない。

俺はカールの執務卓に置いてあった水差しを持ち、小娘に勢いよくかけた。並々と入った水を一滴残らず全て。

「黙れ、小娘」

これで頭も冷えただろう。小娘は呆けた顔で俺を見ている。なんとも間の抜けた顔だ。

「あーあ、俺まで水かかった。酷いなリーン」

とばっちりを受けたカールが文句を言うが、早々に抑え込めなかった方が悪い。

「手こずるお前が悪い」

「それは俺のせいじゃないよ。言うことを聞かないセリが悪いんだ。ま、でもこれでようやく話ができるね。俺の質問に全部答えてもらおうか。抵抗するなら容赦はしない。それは身をもって理解してくれたと思うからね」

小娘は黙り、恐怖に怯えた顔をしている。いい顔だ。

ああ、ようやく本題に入れるのか。

小娘からあいつの情報を吐かせる。この俺を潰そうなど、愚かにもほどがある。……いや、やつらの愚かさは今に始まったことではないがな。

とりあえず、小娘の相手はもうカールだけで十分だろう。俺は少し休むとしよう。

そう思い、執務卓の方に戻ろうしたとき、何かの光が目に入った。

光のほうに視線を向けると、そこには銀色の手鏡が落ちていた。

小娘の物か。カールともみ合ったときに落ちたのか。

正体がわかればもうどうでもいい。今度こそ執務卓に戻ろうとしたが、突然、心臓が大きく跳ねた。

(何だ?)

次の瞬間、何かが剥がれ落ちていくような感覚と、突然身体の奥底から湧き出るような不快感に襲われた。嫌というほど覚えのあるこの感じ。身体の中を精神を悪意に嬲られ侵され喰われていく絶望。

何故今起こる!?

俺は普通だったはずだ。

何故……。

「ぐっ……」

湧き上がる不快感と悪意の感情に飲みこまれそうになり、叫びだしたい欲求に襲われたが、ここで取り乱すわけにはいかない。喉元まで出かかった声を無理矢理飲み込む。

その時。

視界を緋いものが掠めた。

(まさか……)

緊張で身体が強張る。

もしそうなら、この異変に説明がつく。

だが何故……。

今は起こった理由よりも確かめなければいけない。

緊張で微かに震える右手で髪の毛を一房掬い、視界に入れる。

緋だ。

緋い、色だ。

何故だ、何故だ、何でだ!?

もうこの魔法でも抑えきれないほど呪いが強まってきているのか!?

嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だっ!!

「はっ……、う……あ、あっ、ああーっ!!」

「リーン!?」

誰かの声がする。

「リーン、お前一体どうして……」

誰かが、俺の身体を揺すって、いる。

「わから、ない……」

意識が、ぼんやりと、する……。

「わからないって……。突然とけるような魔法じゃないぞ!?」

誰だ、俺を心配する、この声、は……。誰、だっけ……?

嫌だ。俺は、俺だ。俺、俺は……?

まわりで聞こえる声が、遠のく……。

………………。


「綺麗、なのに……」


綺麗……?

どうして、だ。女の発した、この言葉だけ、なぜ聞こえた? なぜ?

「うっ……」

考えようとすると、頭が痛い。

「あっ、あ……はっ、ぐっ……」

痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!

「おい、リーン! 大丈夫か!?」

煩い、苦しい、煩い、苦しい、狂しい……!

「あ、あっ、ぅあーっ!!」

「リーン、しっかりしろっ!」

俺はリーンの両肩を掴み、落ち着かせようと声を張る。

だがリーンはますます感情を昂らせ、落ち着く気配は全くない。

もうこうなると手は一つ。

精霊水を飲ませ、落ち着かせるしかない。

手持ちの精霊水を取り出そうと上着のポケットに手を入れたとき。

ガタリと音がした。

振り向くとそこには扉を開け、逃げ出そうとするセリがいた。

「セリ!?」

何故だ? 何故扉が開く? この部屋の外に衛兵はいない。

衛兵はこの東の宮の入口にしかいない。ヨハンも東の宮の入口に待機させている。そもそも鍵は俺かリーンしか開けられない。なのに何故扉が開いたんだ?

いや、そんなことよりも。

「待てセリ!」

今逃げられてはまずい!

だがこんなリーンを放っていけるわけがない。

「くそっ!」

俺は取り出した精霊水を開け、口移しでリーンに飲ませる。

俺の腕の中でもがき暴れていたリーンが徐々に落ち着いてきた。

「よしよし、どうだ。もう話せるか?」

背中をぽんぽんと子供をあやすように軽く叩く。

「……子供扱いはよせ」

子供扱いがお気に召さないらしいリーンが、力のない両腕で俺を押し退けるも、疲労が足にきたのかガクリと膝から落ちそうになったので、すぐに抱き止めた。

「おっと。残念だったな、リーン」

俺はニヤリと笑ってリーンを見た。

「ふん」

悔しいのか、フイと俺から顔を背けた。

普段は絶対に見せない可愛らしい表情で拗ねられると、本当に理性がとびそうになる。くそっ!

もう少し遊びたいがあきらめた。まずはリーンを休ませなければ。

俺はリーンを濡れていないソファに座らせた。

リーンは座って落ち着くと俺に訊いた。

「髪は……」

「緋だよ」

「そうか……」

声に感情はなかった。

ただ音を発しただけ、だ。

「カール」

「何だ」

「魔法がとけたのは……呪いが強くなったから、か?」

怯えながら俺に問うてきた。

ああ、手鏡に気づいていなかったのか。 

「違う。セリのせいだ。セリが魔法解除のかけられた手鏡を持っていたんだ。それにリーンを写して魔法をといたんだ。だから呪いが強まったわけじゃない」

「そう、か……」

幾分安堵したのかリーンの声と表情が弛んだ。

「だがこれをどうみるかだ」

俺は腕を組んで考える。

「あいつが手段を選ばず確実に俺を廃嫡しにきただけだろう」

「まあそれはそうなんだが……」

あんな魔法をかけれる者は限られる。

身近で言えば、アルバン様、ゾンネ、大神官か。

アルバン様は水の城だ。水の城を嫌う陛下が近寄ることはないだろうし、第一アルバン様はそのようなことはしないだろう。

ゾンネには陛下が何かを命令したときは報告するよう言ってある。何の報告もないからゾンネではない。

大神官なら陛下、王宮からの依頼であれば余程のことではない限り、命令に従うだろう。

「魔法に関しては聖堂の可能性があるな」

「そうだな」

リーンも俺と同じ考えらしい。ただ。

「セリは島で手鏡を入手したと言った」

「島?」

「ああ。だがどこの島かはわからない。第一、島に行ったとしてどうやって行く? 少なくとも王宮近郊の湖に移動したとしても、献上品を捜しながら三日でどうこう出来る場所はない」

「ああ」

「ならば第三者、同行者の協力で事を成したと見るのが妥当だな」

「その同行者は」

「わからない。ヨハンの報告では少年だったということだ。ここに来るときにも少年二人と一緒だったと」

「二人?」

「一人は同行者の少年、一人は見知らぬ少年だったそうだ」

「その同行者は何者だ」

「今調査中。だけどそれもセリ同様、中々素性がつかめない」

「お前らしくないな」

「ほんっと困ってるよ」

「なら、小娘に吐かせればいい」

「やっぱりそれが一番手っ取り早いよな」

軽く溜息をつく。

「けど、それは難しいな。今回のことでセリは俺達をかなり警戒するはずだ。こちらから強引な接触を図れば陛下から横槍が入るだろう」

「だが俺の髪を見たのだ。吐かなければ殺せばいい」

リーンの声に力が籠る。

「殺すにしても今はまずい。最終試合が終わってからだな。もちろん誰が黒幕か吐いてもらった後に、な」

「皇帝か、それに乗じたまた別の者か。ああ、小娘の後見人がもう一人いたか」

「サンジェルマン伯爵か」

「その伯爵からの可能性は」

「なくはない、な。そもそもそのサンジェルマン伯爵自体が胡散臭いからな。伯爵はバーダー伯爵の紹介で社交界に出入りし始めた。巧みな話術と占いで男女問わず人気があり、その人気に目をつけたユリウス様が皇后陛下の気晴らしのために王宮へ招聘し、その繋がりで皇帝陛下と縁が出来た、ということだ」

「ユリウスか」

「ユリウス様は皇帝側だからな。ただ、独断で動くとは思えないが。いや、でも……」

「どうでもいい。ユリウスだろうが皇帝だろうが同じだ。あいつらに俺の味わっている以上の絶望と屈辱を与えることは変わらない。ああ…… 早くあいつらの絶望に歪む顔を見たい。だが、まだそのときではない。それに絶望は深いほうがいいだろう。ふっ、そのときが楽しみで仕方ない」

リーンが嗤う。

俺もその日を待っている。

ようやくリーンの心が晴れるんだ。待ち遠しくて仕方がない。

だけど。

それでもリーンの心と身体の苦痛が全て晴れるわけではない。ついた傷が癒えるわけでもない。

俺はお前を苦しめる全てから解放してやりたい。

リーンハルト。

炎のように煌めく緋い髪。お前を傷つけるから言わないが、本当は俺も綺麗だと思う。深い憎悪に身を焦がすお前の心と髪の色が相まって、とても美しいと、俺はいつも心を奪われる。

この髪は炎と同じ様に、触れるものを許さないように熱いのだろうか。

「何だ、カール」

「あ、いや、また魔法をかけないとなと思って」

しまった。無意識の内に俺はリーンの髪に触れていた。もちろん熱くはないが、サラサラと指の隙間をすり抜けていく感触が心地いい。

「ああ」

リーンはぶっきらぼうに答えた。髪を触られるのは嫌がるが、俺は構わずリーンの髪の毛の感触を堪能している。ああ、気持ちいい。

が、俺とは逆にリーンの機嫌は下がっていく。

「いい加減にしろ、カール」

限界か。

「残念。わかったよ」

名残惜しいがリーンの髪から手を引いた。

「じゃあさっさと水の城へ行くか」

「ああ」

俺は立ち上り、リーンの正面へ移動するとリーンへ手を差し出した。

「立てるか?」

「大丈夫だ」

リーンは俺の手は取らず、ゆっくりと立ち上がった。

(ああ、やっぱり綺麗だ)

俺を見る両の瞳は、朝露に濡れ、しっとりと潤んだ紅薔薇のごとく美しかった。

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