八章 変貌・ 二
私は今の状況も忘れてしまうほど驚いた。
いきなり叫び声が聞こえたかと思えば、そこには変身? した皇子の姿。
皇子の髪の毛が真っ赤になっていた。
それはもうキラキラと輝いて、本当に綺麗だった。
ていうか、何、何でいきなり真っ赤!?
わからない……。けど、悔しいけど綺麗ってことだけは言える。真っ赤って言っても血みたいな赤じゃなくて、煌くような鮮烈な緋っていうのかな。とにかく綺麗。たとえそれがムカつく皇子の髪の毛だろうと、だ。
「リーン!」
変身した皇子を見るやカールが私の上から飛び降り皇子の元へすっ飛んで行った。
「リーン、お前一体どうして……」
「わから、ない……」
「わからないって……。突然とけるような魔法じゃないぞ!?」
(なんだかよくわからないけど、逃げるなら今がチャンスかも)
私は静かに起き上がり二人の様子を伺いつつ、ソファから離れようとしたとき左足に何かが当たった。
「これ……」
当たったものを見るとそれはメーアから借りた手鏡だった。返しそびれてつい持ってきちゃったけど。さっき暴れたときにジーパンのポケットから落ちたのか。
同時にカールが私の存在を思い出したようで、怖ろしいほどの気を向けながらこっちに戻って来た。
(しまった!)
せっかくのチャンスを自分で潰してどうするのよ! バカっ!
鬼気せまるカールから逃げようと反射的に後に下がったけど、ソファの上だ。自分の背中をぎゅうぎゅうと押し付けるだけで逃げることなんて当然できなかった。
カールが足元に落ちている手鏡に気づき拾い上げると鏡面やら柄の部分と、全体をじっくり調べ始めた。
調べ終わると皇子に負けないぐらいの冷たい表情で詰問してきたので、怖くて思わず下を向いて視線を避けた。
「セリ、これをどこで手に入れた」
「どこって……」
魔法使いから借りた、と言っていいものなのか。
「早く答えろ。これをどこで手に入れた」
答えに迷い、ちらりとカールを見上げると、言い逃れや嘘は許さないと視線が語っている。
あまりの気迫にますます身の危険を感じた私はできるだけ正直に答えるしかなかった。
「魔法使いの人から、借りた」
恐怖のせいか声が掠れていた。
「名前は」
「知らない。女の人だった」
嘘だ。何となくだけど、メーアの名前は言ったらマズイ気がして知らないふりをする。マユキのこともあるし。
「本当か? 嘘は言うなよ」
カールが私の顎を遠慮もなく手荒に掴み上向かせた。
視線の先には殺気を放つカールの顔。
「しら、ないっ……」
「そうか。ではどこでどうやってその魔法使いと知り合った。お前みたいな小娘が何の伝手もなく会えるほど、おいそれと会える者じゃないんだ、魔法使いは。言え、どこで出会った」
カールは顎を掴む手に力を込めた。溢れる怒りをビリビリと感じて、怖くて早く逃げたい。
「ほら、早く言えよ」
「…………!」
またさらに力を加えられ涙が滲む。それでもなんとか答えようと、抑えつけられる力に抵抗するように口を動かす。
カールは力を入れすぎたことに気づいたようで、抑える力を話せる程度に緩めた。
「しま……。そこ、で、会った……」
「島? なんだってそんな所に。まあいい。どこの島だ」
「知らない……。っ!!」
カールがもの凄い力で顎を握り潰してきた。
「知らないだって? じゃあどうやってその島に行ったんだ。嘘はつくなと言ったはずだ。今すぐここで死にたいのか、セリ」
「島、に、は、同行……者……ごほっ……」
「チッ」
無理な体勢で喋っていたせいで声が出なくなった私から、カールは放り出すように手を離した。
私はバランスを崩してソファから滑り落ち、絨毯の上でむせた。
空気がいきなり大量に肺に入って苦しかった。顎も痛い。むせたせいで涙がにじむ。
「うっ……」
一体なんなんだろう。なんでこんな目にあってるんだろう。なんでここに来ちゃったんだろう。なんで……?
「痛っ!」
今度は前髪をカールに掴まれ、また顔を上げさせたれた。
「さっさと俺の質問に答えろ」
腰を屈め、私の顔を見るカールからはもう殺気しか感じられない。でも、ここで折れるわけにはいかない。悔しいけど髪を掴まれた痛みでほんの少しだけ、正気に戻れた。
「その前に、教えて。あの鏡が、なんだって、いうの……」
どう見ても普通の鏡なのに。
「は? セリ、何言ってるんだ? あれがただの鏡だって!? 馬鹿にしているのか、俺を」
カールの瞳がすっ、と細まる。
あれってただの手鏡じゃないの? メーアはなにも言ってなかった。でもメーアの物ならその可能性もある?
「は……。その表情、本当に知らないようだな。いいだろう、教えてやる。あの手鏡には魔法がかけられていた。手鏡の文様、巧妙に隠されているがあれは魔法の文様だ。おそらく魔法を解除する系統の魔法が仕込まれていたんだろう。そうじゃないと説明がつかないからな」
私は視線をカールの背後にいる皇子にちらりと向けた。
皇子は俯いて、力なくただ立ちつくしていた。サラサラでキラキラ輝く緋い髪。ほんと……
「綺麗、なのに……」
ぽろりと言葉を洩らしたことにハッとした。余計なことを言ってこれ以上カールを刺激したら本当に命が危ない。
「うっ……」
だけど反応したのは皇子の方だった。
「あっ、あ……はっ、ぐっ……」
「リーン!?」
カールは呻く皇子の側へと行き、私は解放された。
「おい、リーン! 大丈夫か!?」
顔を両手で覆い、震える皇子の両肩をカールががっしりと掴んで皇子を呼び続けるけど、皇子の呻きは大きくなって叫びになった。
「あ、あっ、ぅあーっ!!」
その声の大きさに驚いて私の身体がビクリと震えた。
皇子は苦しげにまだ叫び、それをカールが必死に宥め落ちつかせようとしている。
そんな中、私の頭の中にマユキの声が響いた。
『セリ、今だ。逃げて』
「マユキッ……!!」
突然の呼びかけにびっくりしたけど、それはすぐに嬉しさになった。この状況で声だけでも自分の味方に会えて嬉しくて泣きそうになった。でも泣く暇なんてない。すぐにここから逃げなきゃ。
(でも扉には鍵がかかってて出られない)
声には出さないで返事をする。
『大丈夫。扉は開くから。僕を信じて』
そう言ってくれても少しの不安はある。けど、今はマユキの言葉を信じて動くしかない。
(わかった)
私はゆっくりと座ったまま、扉の方へと移動する。カールが投げ出していった手鏡も拾って、カールの視界に入らないように姿勢をなるべく低くして這うように動く。
ようやく扉の前にたどり着き、ほっとする。大した距離もないのに何キロも歩いたような気分だ。
二人にはまだ気づかれていない。皇子の暴れぶりは落ち着く気配も見えない。でも今の私には好都合。
ゆっくり立ち上がり、ドアノブに手をかけ、回す。
(開いた!)
扉の開く音に気づいたらしいカールが私の名を呼んだけど、振り向かずに一気に走り出る。
あとはもう、わき目もふらずひたすら出口に向かって走った。道はマユキが教えてくれたので迷わなかった。城を出て、兵士に不審に思われないように、外へ出ることを伝えて跳ね橋を下ろしてほしいと頼んだ。兵士は一瞬怪訝な顔をしたけど、橋を下ろしてくれた。よかった……。
けど、跳ね橋の所で橋が落ちるのを待っている時間が怖かった。皇子達が追ってくるんじゃないかと、もう気が気じゃない。でも、皇子達は追って来なかった。橋が落ちるとその先ではアロイスとマユキがいた。
「アロイス! マユキ!」
私は二人の元へ走った。
二人も私の元へ走って来た。
橋の真ん中あたりで私達はぶつかるように抱き合った。
「アロイス、マユキ……」
二人の温もりにすごくほっとして、緊張していた気持ちも一気に弛む。
「セリ」
アロイスが後頭部を撫でる。
「もう少しだけ我慢して、橋の先の木の元で休もう」
「うん……」
アロイスとマユキは私を支えるように両側について歩き出す。
橋を渡り、近くの林の中に入ると「もういいよ、セリ」とアロイスが止まって正面に回ってきた。
『もういいよ』
なにがもういいんだろう。
アロイスはなにも言わず、ポケットから取り出した柔らかい布で私の頭を拭きだした。
「セリ、濡れてる。何されたの?」
マユキが自分の洋服の袖で、濡れた私の左手を包むように優しく拭い始めた。顔は走ったせいでもう乾いていた。
「あ、ありがとう、マユキ」
私は笑顔でお礼を言った。だけど……。
マユキが背伸びをして、私の左頬にそっと手を添えた。
「セリ、もうそんなに怖がらなくていいんだよ」
「え?」
「セリ、顔、笑ってないよ。引きつってる」
アロイスも私の右頬に手を添えて優しく撫でる。
「そっ、か……。ごめん」
引きつってる、か。なんで、だろう。
「セリ、傍にいられなくてごめん。でももう大丈夫だから」
アロイスの手が、頬から滑るように私の後頭部に行くと、私の頭を自分の肩へと引き寄せた。
そしてそのまま労わるように優しく頭を撫で始めた。
「あ……」
ありがとう、そう言おうとしたけど言葉が詰まって出なかった。代わりに涙が両目からほろりと流れた。
「うっ……」
泣きたくなんかない。
泣き顔なんて見せたくない。
泣いたらあの二人に負けた気がして悔しいから。
でも気持ちとは裏腹に涙は止まらない。
「セリ」
アロイスが腰も引き寄せ、優しく包むように私を抱きしめた。それだけでアロイスの私を心配する気持ちが伝わった。
今度は腰のあたりがあったかくなった。
「僕もいるよ」
マユキが背後からしがみついてきた。
二人から伝わる、身体と心の温もり。
これは反則だ。頑張って堪えたのに……。
でも、もう、『もう、いい』んだ。怖かった気持ちを、泣きたい気持ちを抑えなくても。
「うっ、う、わぁーん」
アロイスにしがみついて泣いた。顔はアロイスの肩に押しつけ、なるべく声が漏れないようにした。
そんな私を二人は優しく受けとめてくれていた。




