七章 瞳に映ったものは
(…………。何だろ……息苦しい……のか、な……?)
誰かが必死に私を呼んでるような…………。
(ん……? 誰か、鼻、つまんだ? やめてよ……)
誰かの手を払い除けたいけど、身体が重くて動かない。
(…………? 唇が温かい? 何で? 温かい上に何か柔らかいものが唇の上にある……?)
少しすると唇から柔らかいものが離れ、また鼻をつままれ、また唇に柔らかいものが触れた。
(………………。これ、もしかして……)
キス、されてる?
でも何で鼻をつまむ?
そこまで考えると、意識が一気に戻った。
バッと目を開けると、アロイスの顔が視界に入った。
(やっぱり人工呼吸!?)
アロイスが唇を離すと一気に肺に空気が流れ込んだ。
「はっ……。ゲホッ、ケホッケホッ」
当然、盛大にむせて咳込んだ。
「セリッ!」
アロイスの表情を見る間もなく私は抱きしめられた。
「セリッ……! バカッ! こんなに俺を心配させるなんて酷いよ……!」
(あ……)
私を抱きしめるアロイスの身体が微かに震えてる。
(もしかして怖かった……のかな……?)
もしそうならと思うと申し訳なさで心がいっぱになる。
「ごめん、ね」
まだ掠れる声でアロイスに謝り、その背中をぽんほんと労りを込めて優しく叩く。
「しっかしまあ……。よく生き還れたものね」
側に立っている女性が呆れと感嘆の入り交じったような声で言った。
私は声の方に頭を傾ける。
「ハァイ」
女性はにっこり笑った。
「えっ……と……?」
「私はメーア。この島に住んでる魔法使いよ」
「あ、……えと、早河芹です」
「よろしくね、セリ」
「はぁ……」
よくわかんないけど、とりあえず挨拶しとく。名乗られちゃったしね……。
「セリッ!」
「ん? 痛っ! 何するのよっ!?」
いきなり頭に拳骨をもらい、した相手、カイを睨んで文句を言った。
「何するのじゃない! お前、俺があれほど気をつけろと言ったにも関わらず、最悪の状況になって……! 俺がどんな思いをしたのかわかってるのか!?」
「あ…………。もしかして、私、……死んでた、の?」
念のため訊いてみた。
「うん。死んでた」
淡々と、抱きついたままのアロイスが答えた。
「ええ。あの状態でよく生き還ったものよね」
「え……。そんなに酷かったの?」
「ものすごく。肋骨は肺に刺さるし、背骨は折れて、両腕は砕けてた」
「え…………」
私は一瞬にして血の気がひいた。アロイスは淡々と事実を教えてくれたけど、それ、どう考えても助からない。助かっても一生寝たきりだと思う。
だけどそんな大怪我を負ったのに、私の身体はちゃんと感覚はあるし、問題なく動く。
しかも医療の発達していないこんな世界で、そんな大怪我をして助かった、なんて信じられない!
「嘘でしょ? だって、そんな大怪我、絶対……」
「死んでた、ってさっき言ったでしょ」
メーアが私の言えなかった言葉をハッキリ言った。
「じゃあ何で私、こんなに元気なの!? なんにも変わってないよ!?」
「それはそこの子供が治したんだよ」
「え……?」
メーアの指差した先には……。
「アロイス……?」
アロイスは何も言わず、さらにギュッと抱きついてきた。
「感謝しなさい。その子供の力はとても希有ですごいわ。何せ……」
「言うな」
耳元でとても冷たい声が聞こえた。
「これは俺のことだ。お前が軽々しく言うな。わきまえろ」
「わ。こわーい。はいはい、わかりました」
メーアはわざとらしくおどけて身を引き、アロイスはゆっくりと私から離れた。
「あ……え……? ア、アロイス、目が紫……」
驚いた。というか驚きっぱなしにもほどがあると思うけど、これは……驚く。
澄んだ緑の瞳が、淡い紫色に変わっていた。しかもただの淡い紫だけじゃなくて、髪の毛と同じ様な淡く綺麗な金色も混じっていて、それはもうたとえようがないほど綺麗だった。もし本当に天使がいるなら、こんな姿をしているんじゃないかと思うぐらい神秘的だった。
「ばれちゃったね」
アロイスが苦笑した。
「ばれちゃったねって……。ていうか、きれーい、すごーい。紫の瞳に星が入ってるのなんて初めて見た! ホント、綺麗!」
「ふ、あははっ! ここで喜ぶの?」
きょとんとした表情から一転、アロイスが笑いだした。
「え! だって初めてこんな綺麗な目を見たんだよ!? もう感動! 凄い!」
「そんなに?」
「うん。だってこんなに綺麗な目の色見たのなんて初めてだもん! もうほんと感動!」
「そっか、それならよかった。俺は怒られるかと思った」
「怒る? 何で?」
「だって隠し事はしないって言ったのに、目のこと隠してたんだよ」
「怒んないよ、そんなことで。隠し事はしないって言っても全部なんて無理だし、大体私とアロイス、会ってまだ三日だよ? 三日一緒にいただけの人に話せることなんてたかが知れてるよ」
「ふふっ。そっか、やっぱりセリ、いいなぁ」
「? とにかく、アロイスが治してくれたんだ。ありがとう」
私は頭を下げて、あらためてお礼を言った。
「うん。でも気にしなくていいからね」
「何で? 出来る限りのお礼はしたいと思うよ」
だって命の恩人になるわけだし。
「いい。セリとの約束、守れなかったしね。その代わり、沢山俺と遊んでよ」
「そんなことでいいの?」
「うん。俺にとってはすごいお礼だよ」
「わかった。あ!!」
「どうしたの、セリ?」
そうだ。死んでたのが本当ならあの子……!
私は辺りを見渡した。
「いたっ!」
「え、何?」
アロイスの後の方にあの子は倒れていた。
私は立ちあがり、よろめきながらも真っ直ぐあの子の所へ向かった。
「あ…………」
アスワドは石床に俯せに倒れていた。
身体は傷一つないけど、服は破れ、肌は人の肌に戻っていたけど土で汚れていた。
私はアスワドの側に座り、泣いた跡の残る顔を触ろうと手を伸ばしたとき。
「触るなっ!」
「痛っ!」
厳しい声と同時に伸ばしかけた右手を強く掴まれた。
「カイ……」
振り向くと、すごく怖い顔をして立っていた。
「離れろ。今は魔法で拘束しているがいつまた術を壊して暴れだすかわからない。ほら」
アスワドから引き離そうと、ぐいっと後に引っ張られたけど私は抵抗した。
「やだ! 離してっ!」
「お前……!」
「やっ……!」
カイがグイッと力任せに引っ張ったので、私はバランスを崩して後に倒れそうになったけど、アロイスが支えてくれて倒れずにすんだ。
「大丈夫、セリ?」
「うん。平気。ありがとう、アロイス」
アロイスが私を庇うように前に出た。
「今のはいただけないな、カイ」
私達を見下ろしているカイをアロイスが睨んだ。
「何がだ。あれはドラゴンだ。危険なんだぞ! 今は術が効いているがいつまたさっきみたいなことになるかわからないんだ! なのに一番の被害者のお前が真っ先に近付いてどうする気だ? セリ!」
「っ……!」
(怖い……!)
「大丈夫だから、セリ。俺の後にいて」
竦んだ私を守る様にアロイスは小声で言った。
「ん」
私はアロイスの背越しにおそるおそるカイを見た。
(こんなカイ、初めて見た……)
電気で痺れた時と同じぐらい、身体がビリビリする。カイの怒りが肌を刺してくるのがわかる。尋常じゃないっていうのがわかる。今まで見てきたカイからは想像がつかないほど別人。
そりゃ、カイの言うことはあってるし、正論。
あんな目にあって、怖くないわけがない。だけど、それでも、あの夢が本当かちゃんと確かめなきゃならない。
「カイ、ちゃんとセリの話、聞きなよ。セリだって何か理由があって近づいたんでしょ?」
アロイスが首だけ少し後に向けて言った。
「うん。どうしても確かめなきゃいけないことがあるの。だから……」
「セリ! お前、自分が何を言っているのかわかっているのか!? お前はあのドラゴンに殺されたんだぞ! そんなものに何の用があるっていうんだ!」
火に油、どころかガソリンを入れてしまったのかもと思うほど、カイは激昂した。
そのあまりの豹変ぶりに反射的に身体が竦んでアロイスの背中にしがみついた。
「カイ。冷静になりなよ。今のカイじゃ話にならない。いいよ、セリ、確めたいことがあるんでしょ?」
「うん」
私はカイを見ずにアスワドの方を向こうとしたが、身体が動かなかった。
「え? 何で!? 身体が動かないっ!」
首から下が、まるで石にでもなったみたいで指先すらピクリともしない。
私ははっとした。
「まさか、カイ、私に何かしたの……?」
今の状況、そんなことをしそうなのはカイしか考えられなかった。
「離れろ、と、俺は言ったぞ、セリ」
ぞっとするほど冷たい声。そして言葉には押さえきれない怒りを感じる。
「だからってやりすぎだ。メーア」
アロイスが視線でメーアに命令した。
「はいはい。しょうがないなぁ」
「余計なことはするな!」
「ハイハイ、カイは黙ってて」
私に向かって来ようとするカイをアロイスが抑え留めている。
その間に面倒くさそうに私のところにメーアが来て頭をポンと軽く叩いた。
「あ、動く!」
直後、身体の硬直は解け、普段通りに問題なく動いた。
私はすぐにアスワドに向き、頭に手を出したけど、手がガグガクと震えだした。
「あ……」
身体は正直だった。
あの時の恐怖を思い出して震えだしたのだ。
私は震えだした右手を胸元に引き寄せ、震えが治まるように左手で撫で擦った。
落ち着くまで深呼吸して、震えが止まり、もう一度アスワドに触れようと右腕を伸ばしたとき。
「おや、主殿が起きたようだよ」
「え?」
いつの間にか向かいにいたメーアが言った。
視線の先には、アスワドの叫びで気絶していたジャリルと護衛が身体をふらつかせながら、ゆっくりと起き上がっていた。
私の後では、まだアロイスとカイが言い争っている。
多分この二人のせいで起きちゃったんじゃないかなぁ……。
原因の私が文句言うのもなんだけど。
ジャリルは私達を見るや、一気に目が覚めたのか、脇目もふらず走って向かって来た。
「ちっ。面倒なのが来るなぁ」
後のアロイスが舌打ちしながら呟いた。
「おいっ! これは一体どういうことだ!? アスワドはどうなったんだ!? おい、しっかりしろっ! アスワド、アスワドッ!!」
ジャリルがアスワドの肩を掴んで強く揺さぶるけど、アスワドは何の反応も示さない。
「メーア! 何とかしろっ!」
声をかけても揺すってもピクリともしないアスワドに痺れをきらしたようで、メーアに怒鳴り付けた。
「あー、もうコレね、私の手には負えないよ」
あっけらかんとメーアは言った。
「どういうことだ」
「コレにかけた封印が、もう完全に壊れた。だから私にはどうしようもないよ」
「なっ……、何だと!?」
ジャリルの顔が青ざめた。辺りにアスワドが着けていた金の首輪、腕輪、足輪の欠片が散らばっているのを見ると、抱き起こしていたアスワドをまた床にそっと寝かせ、距離をとった。
「で、ではこいつはいつ本当の姿に戻ってもおかしくないということか……?」
「その通り。前回の比じゃないよ、当然」
「……!」
ジャリルは言葉を失ったみたいで、声にならない言葉で、何かをブツブツ話していた。
「どうするんだ、主殿」
ニンマリと意地の悪そうな笑みを浮かべたメーアがジャリルに詰め寄った。
「ど、どうすると言われても」
「方法は二つ。コレを連れて来たドラゴンハンターにもう一度封印をさせる。もう一つはコレを捨てる。すでに名の効力もないから、次、目覚めたときは……」
メーアは含み笑いをして話を切った。
「なっ……! 捨てるなんてできるかっ! こいつにはまだまだ利用価値があるんだ! メーア、ドラゴンハンターを捜せないのか!?」
「無理だよ。会ったこともない人を捜すなんて。しかもドラゴンハンターもドラゴン並に希少人物なんだから」
「くそっ! どうにかならないのかっ……!?」
イライラしながらジャリルはアスワドをどうにかする方法を探しているみたいだった。
「酷い」
ぽそっと、私の口から言葉が漏れた。
「酷い? 酷いだと!? それはこっちが言いたいわ!」
呟きがジャリルに聞こえたらしく、猛然と反論された。
「そもそもお前が現れなければアスワドはこんなことにはならなかった。そうだ、全部お前のせいだ、小娘! この責任は全部とってもらうぞ!!」
ジャリルの言いようにカチンときた私はキレた。
「はぁ!? 何言ってるの!? アスワドに散々酷いことしてよくそんなことが言えるよね!」
「何だと! いい加減なことを言うな! 儂が大事な息子に何をしたと言うんだ。言いがかりも甚だしい!」
「は? 嘘つきはそっちでしょ! 私、知ってるんだからね。あんたがアスワドにどんな酷いことしたのか。あんな小さな子に封印を沢山つけて、その上大勢の大人の前であんな、あんなっ……!」
それから先は言えなかった。
映画の様に見せられた記憶以外にも、アスワドの記憶が私に流れ込んできたけど、それは目を背けたくなるものばかりだった。
貰った爪も拷問のようなことをしてとられたものだったし、それ以外にも牙や歯も……。その記憶を思い出すと、辛くて悔しさと悲しみがお腹からブワッと込み上げてくる。
「お前、何をっ……」
ジャリルは誰が見てもわかるほどに狼狽した。
「ふーん。まあ、商人は金のためなら何でもするしね」
「特にお前みたいに欲にまみれた者なら当然の様にするだろうな」
いきなり会話に入ってきたアロイスは、ニコッと可愛らしく微笑み、カイは汚ならしい物を見るような目でジャリルに吐き捨てた。
今まで喧嘩してたのにこういうところは気が合う、のかな……。
「はっ! そうだ、儂は商人だ。金を儲けるのが生き甲斐だ。ならそれをどんな手でしようと儂の勝手だろう。それに買い手がいるから、そいつらのために品を仕入れてやってるんだ。丁度お前らみたいなやつらのためになぁ!」
「うっ……」
今度は私が見下された。
確かにその通りだから言い返せない。
悔しいけど、言い返せなくて、かわりに強く、強く、視線で非難した。
「は。何だ、言いたいことがあれば言えばいい。言うことがあればな。ハッハッハッ!」
勝ち誇ったように、嫌みたらしく高笑いをあげている。
「~~~~!!」
悔しいっ! ムカツク!
むこうが正論だけど構わない。言ってやる!
「そうよっ! 私は自分のためにドラゴンの一部を買いにきたわよっ! でもだからってあんな酷いことは絶対赦さないんだから!」
「流石子供。酷いことをしたのは赦さないが爪は貰っていくと。あさましいなぁ。ま、儂は構わんがな。それはお前にくれてやったものだし、儂はまたコレから搾取するだけだ」
ジャリルはアスワドに視線を向けた。
「もう用は済んだろう、小娘共。さっさと出ていけ。メーア、アスワドが暴れないよう何とかしておけ」
「はぁ? だから、ドラゴンの拘束なんて無理だって」
「ほら、さっさと出ていけ」
為す術なく、アスワドの側に座り込む私の腕を護衛が掴んで立たせようとしたけど、その手を振り払い、アスワドの身体を抱き寄せた。
意識のない身体は重かったけど、何とか上半身を腕に抱え込んだ。
「おい、何をしている! とっとと離せ!」
「嫌よ! あんたなんかに絶対この子は渡さない!」
「いい加減にしろっ! おい」
ジャリルは護衛に私を引き剥がすよう指示をし、また腕を掴まれたが離すもんか!
「あんたなんかには渡さない! 私がこの子を買うっ!」
「はぁ?」
これにはこの場にいる全員が呆気にとられた。そりゃそうだよね。
「小娘、お前、今アスワドを買うと言ったのか?」
ジャリルがまさかなという顔で訊いてきた。
「そうよ! 買うっていったの!」
なかばヤケ気味で言っちゃったけど、この子を助けるにはそれしかないと思ったから。ほんとは人をお金で買うなんて嫌だけど……。
「ふ、ははっ! はっはははっ! 小娘、本気で言ってるのか?」
相当可笑しかったのか、ジャリルは笑いながら喋っている。
「当たり前でしょ!」
こんなこと、冗談でも言えない。
「ちょっ、セリ、本気!?」
「セリ! そんなこと絶対に許さないぞ!」
「あはっ! すごいね、セリ」
アロイス、カイ、メーアの三人も当然驚いていた。
「セリ! お前、いい加減にしろっ! そんなもの、お前の手におえるものじゃない上に、封印がないんだぞ! 俺は絶対にそんなことは許さない。さっさと帰るぞ!」
「やだっ!」
「カイ、煩い」
アロイスが私を守るように前に立った。
「そーだよー。カイ、しばらく黙ってて」
メーアが言うと、アロイスを退かそうとしたカイの動きが止まった。
声も出ないみたいで、口だけパクパクと動いてる。
カイはよっぽど腹立たしいのか声は出なくても、また全身から怒りのオーラを沸き上がらせ捲し立てている。せっかく少し落ち着いてたのに……。と言っても私のせいだけど。
「やるね、お姉サン」
アロイスがニヤリと口元をあげ、メーアを見た。
「面倒臭い男だっていうのは昨日身をもって知ったからね」
そうなんだ。何があったのか気にはなるけど今はアスワドの方が大事だ。
「そうよっ!」
「ほう。どうやら本気のようだが、小娘、アスワドを買うだけの金、もしくはそれに見合う品があるのか?」
「ある。ちょっと待って」
私はリュックを探した。
「あった!」
少し離れた所に植わっている大きな木の根元にリュックは転がっていた。
所々破けてはいたけど、中身はばらけていないみたいだった。
リュックを持ってアスワドの側に戻り、中から支度金として貰った金貨をジャリルに差し出した。
七枚使っただけで、あとは手付かずのまま。
「どれ」
ジャリルは金貨の入った革袋を受け取ると、中身を見、護衛の人に渡した。
中を確認しながら金貨の枚数を護衛が数える。
「むこうの地方で使われている金貨が二十三枚です」
「それだけか?」
「はい」
ジャリルは私の顔を見て、馬鹿にしながら笑いだした。
「はっはははっ! こんな端金にもならない額でアスワドを買うだと? 頭の弱い小娘が。話にもならん! 金は返す。いい加減とっと帰れ!」
最後は吐き捨てる様に言って私に革袋を投げ渡してきた。
私もこれでドラゴンが買えるとは思ってなかったから当然の結果だとは思ってるけど、だからといっておとなしく引き下がるわけにはいかない!
「嫌っ! 絶対にアスワドは渡さない!」
またアスワドの上半身を抱きしめ、ジャリルを睨み付けた。
「この小娘……! 痛い目をみないとわからないようだなっ!」
ジャリルが右手を上げ、私を殴ろうとしたけど、その手は届かなかった。
「セリに何するの」
アロイスがジャリルの手を掴み、私を守ってくれた。
「旦那様から手を離せっ!」
アロイスはジャリルの手をあっさり離し、今度は護衛の手を流すようにあしらった。
「俺は安くないよ」
ふわりと花が風に揺れるように柔らかに微笑すると、護衛の人の攻撃的な気が一瞬弛んだ。
ジャリルも同じみたいで、トゲトゲしい気が消えていた。
美少年、恐るべし……。
「セリ」
その美少年が私の前にしゃがんだ。
「何?」
ついさっきの微笑は消え、今は静かな表情と視線で私をじっと見つめている。
「本気でドラゴンを買うの?」
「本気よ」
私も真っ直ぐアロイスの目を見て答える。
「封印のないドラゴンなんて、何があるかわからないよ。それもわかった上で決めたことだよね?」
「うん」
「わかった」
そしてアロイスは立ち上り、ジャリルに言った。
「足りない分は俺が払うよ」
「は? お前、わかって言っているのか!?」
「当然。この『水の精霊石』を足すよ」
アロイスは腰につけているポーチの中から何かを取り出し、ジャリルに渡した。
ジャリルの掌には、ビー玉より少し大きい透明な珠が三つ乗っていた。
「ふむ……」
ジャリルは掌の上でコロコロと珠を転がしたあと、メーアを呼びつけ珠を渡した。
「本物か?」
メーアも掌の上でコロコロと珠を転がしたあと、目の高さまで珠を持ってくると、じいっと見つめた。
「ああ、全部本物だ。しかも滅多にお目にかかれないような高純度だ」
そんなに良いものなのか、メーアはうっとりしている。
「ねぇ、アロイス、精霊石って何?」
価値がありそうなものらしいけど、私にはただのきれいなガラス珠にしか見えない。
「ん? ああ、精霊石は精霊の力が籠った珠なんだ」
「精霊の力?」
「そ。地、水、火、風の力を持つ精霊がいるんだけど、その司る力が入ってる。俺が渡したのは水の精霊石」
「ふーん?」
とりあえず、精霊の力が籠った珠というのはわかったけど、何に役立つものかはよくわからない。
「具体的に言うと、精霊の力を借りる魔法を使う際に必要な道具だな」
今度はメーアが教えてくれた。
「精霊石は入手しにくいし、扱いにくい。そのうえ、純度の高い精霊石なんて殆どといっていいほどない。それを三つ、しかも高純度。相当やり手な商人だなぁ、少年」
「お褒めに預かり光栄です。魔法使い様」
笑顔でアロイスが答えた。でもちょっと嘘くさい笑顔な気がする。
「主殿、その壊れたドラゴンの対価として、この精霊石は十分だ。今この取引に応じたほうがいい。もう一度言うが、ドラゴンに対して私は何も出来ないからな」
メーアが応援? してくれているのかジャリルに私にアスワドを売るよう促している。
「む……」
ジャリルは渋い顔をし、アスワドと精霊石を見比べ、さらに渋い顔になって黙った。
考えているジャリルから、時々うーとか、むーとか、低い唸り声が聞こえてきたけど、決断したのか、私達に話しかけてきた。
「おい、小娘」
「なに」
「アスワドをお前に売ってやろう」
「ほんとに!?」
「ああ。コレに今後何かあっても儂は一切無関係だからな」
「わかってるわよ、そんなこと!」
あ、それならもっとしっかりした方がいいよね。
都合がいいときだけ勝手にされても困るし。
「ねえ、それなら契約書とか頂戴よ。その方がいいでしょ?」
「む……。別にいらんだろう」
「いるよ。もし何かあったとき、ちゃんと文書があれば誰の責任かわかるでしょ」
契約書がなくて泣き寝入りしたとかいうニュースはネットとかでもみるからね。そんな目にはあいたくないもの。
「そうだな、主殿。ドラゴン絡みの揉め事なんてろくなことはないよ」
「はぁ……。わかった、契約書をかわそう」
「なら私が用意するよ。シュー」
ニャアン、といつの間にいたのか、メーアの足下で白猫が鳴くと、白猫は屋敷へと入って行き、しばらくすると紙のような物を咥えて戻ってきた。
「ありがとう、シュー」
メーアが白猫の頭を撫でて紙を受け取った。
よく見るとそれは紙ではなく革をなめしたものだった。
メーアはそれにどこから出したのか、羽ペンでサラサラと何かを書いている。
「できた」
書き終わった革を私達に見せた。
けど、私には何て書いてあるかさっぱりわからなくてどうしようかとアロイスに助けを求めようと思って、アロイスを見るとわかってるよという顔で、書いてある内容を教えてくれた。
「内容はアスワド、このドラゴンはジャリルがセリに売った、セリはこのドラゴンを買った。それにより、ジャリルは今後一切セリの許可なしにドラゴンに関わらない、この契約に背いた場合、相応の罰を受ける、だね」
「その通りだ。主殿、これでいいな?」
ジャリルも契約書に目を通し「ああ、問題ない」と答えた。
「セリもこれでいいか?」
「んーと、罰ってどんなの?」
これは気になる。契約を破った方が悪いとはいえ、酷すぎるのもちょっとね……。
「そうだな、破った度合いによるが、死ぬようなことはない、はずだ」
「え、ちょっと待って! それってもしかしたら死ぬかもしれないってこと!?」
それは困る! 自分が悪くないとはいえ、死ぬとか冗談じゃない!
「落ち着け、セリ。主殿も馬鹿ではない。契約を破るようなことはしない。なぁ、主殿」
「当たり前だ」
憮然とした顔でジャリルが答えた。
「ならいいけど……。もしアスワドに用があるならちゃんと言ってね。話は聞くから」
私はジャリルに釘をさした。どんな嫌なやつでも自分に関わった人が死ぬのは嫌だ。
「小娘のくせによく言う」
小娘に忠告を受けたのがカチンときたのか、ちゃんとした返事はない。けど、私は言ったんだから、なんかあっても知らないからね!
「なら契約を実行するぞ」
メーアは二枚の契約書を左右一枚ずつ持ち、言葉を発した。その言葉に応えるように契約書が淡く光だした。
「主殿、セリ、こちらへ。契約書に手を置け」
私とジャリルは言われた通りにした。
契約書はぱっと光り、すぐに光は消えた。
「よし、これで契約は完了だ。ちゃんと持っていろよ」
私達は契約書を受け取った。
「さて、用は済んだ。さっさと出ていけ、小娘ども!」
ジャリルが急き立てる。
「あ、その金は置いていけ。屋敷の修繕費だ」
「え?」
辺りをよく見回すと、屋敷の入口は半壊、庭も植木や噴水やら全壊かそれに近い状態だった。
さっきは突き返したくせにと思いながらも、この惨状の原因を作ったのはアスワドだけど、保護者の自分に請求が来るのは仕方ないかと納得させ、お金をジャリルに渡した。
「ふん、確かに」
ジャリルは確認すると護衛の人に指示を出し、屋敷に戻って行った。
「さて、アスワドをどうやって運ぼう?」
私はちらりと男二人を見たけど、カイはまだ怒りが治まらないらしく、拒絶の言葉を言っている……みたい。
「これはセリと俺で運んでも、そう遠くまでは運べないなー」
アロイスもカイをあてにはしていないようで、二人でどうしようかと顔を見合わせたとき。
「大丈夫。私が手伝うから。ほら」
「え?」
と、メーアの方を振り向いた瞬間白い光に包まれ、光が消えるとそこは木々に囲まれたどこかの森だった――。




