一章 悪夢の始まり・三
「リーンハルト様、カールです」
皇子の部屋の扉をノックして、カールさんは皇子の返事を待つ。
ほどなくして中から「入れ」と返事が来た。
「失礼します」
カールさんは扉を開けると、私達を部屋へ通した。
「リーンハルト様、この方が皇帝陛下のお選びになった花嫁候補のお嬢様です」
カールさんは私に皇子の前に出るよう促す。
チラリとサンジェルマンに視線を向けると、カールさんと同様に皇子の前に行けと視線で言ってきた。
(はぁ……)
私は仕方なく皇子の前に行く。皇子は仕事中なのか、机の上に積まれた書類に目を通してはサインをしているようだ。
(まあとりあえず挨拶だけはしておくか……)
自分の意に反してこんな所に連れて来られはしたが、礼儀として挨拶ぐらいはしておこうと思い、名を言った。
「こんにちは、早河芹です」
皇子は椅子から立ち上がりもせず、手を止め、ちらりと私を一瞥すると「カール、もういい」と言い、また書類に視線を戻した。
「はい」
(え!? 何それ!!)
ロクな挨拶もなしに下がれだなんて。呆れた。
カールさんは私を退出させようと促したが、それを拒否して私はカールさんに質問した。普段なら初対面の人につっかかるようなことなんてしないけど、あんまりにも腹立っていたのでついやってしまった。
「カールさん、この人って本当に皇子なの?」
カールさんは意味がわからないという表情をしつつも「はい。正真正銘、リーンハルト皇子殿下ですが……」と答えてくれた。
「ふーん、そうなんだ」
私は馬鹿にするように皇子を見た。
皇子は表情を崩さず、変わらず書類に目を通しサインをしている。
「だって、人が挨拶したのに返事もないなんて、偉い人のすることなのかなーと思って」
皇子のサインする手が一瞬止まったが、すぐにまた動き出した。
む。まだ無視するか。ならこっちも言いたいことは言わせてもらおう。
「こっちだって挨拶なんかしたくなかったけど、紹介されれば挨拶ぐらいはするのが礼儀なんじゃないかと思って。いくら気に入らない相手でもね」
もちろん最後のセリフには力を込めて。
「ほう。初対面の相手にそのような口をきくのは礼儀正しい振る舞いと言えるのか? しかもそのような格好でよくも私の前に立てたものだ」
皇子がペンを置き、ようやく私に顔を向けた。
「いいとは思わないけど、でも初対面の人に挨拶も出来ないような人にはちょうどいいんじゃない?」
(格好についてはスルーしておこう。正装とかそんなの知らないし)
皇子が不快感を露わに私を睨む。
もちろん私も同じように、不快感を込めた視線で睨み返す。
火花ぐらい散ってもおかしくないくらい、互いに強く。
いつまで続くかと思った睨み合いだけど、皇子が先に視線を外し、立ち上がった。
「リーンハルト・フォン・ヘルブラオだ。これでいいだろう」
「ええ、皇子様。やればできるんじゃない」
「ほう、この私に対して随分な口をきくな」
「へぇ、そんな風に聞こえたの? 私はただ素直に褒めただけなんだけどね、皇子様」
当然、嫌味を込めて言ったんだけどね。これぐらいしないと私の怒りが収まらないから。
すると皇子は何がおかしいのか、いきなり笑い出した。
「はっ! いい度胸だ、小娘。この私に対してそんな口をきくとはな。お前みたいな者を見ると、徹底的に躾をしたくなる」
笑いはすっと消え、代わりに炎のような怒りと見下す氷のような冷たい視線を私に向けてきた。
もちろん私も負けない。
「へぇ、奇遇ね。私もね、いかにも自分は偉いんです、自分以外の人間は役立たずだと思っているようなナルシストには自分の方が役立たずだって認識させたいのよね」
また睨み合い、火花が散る。
「よく言った。今の言葉、覚えておけ。必ず後悔させてやる。だかどんなに謝ろうと、泣き喚き、赦しを懇願しても決して赦しはしない」
「それはこっちのセリフ。そっちこそ自分の不甲斐なさに死ぬほど恥じればいいのよ!」
まさに一触即発。次に言葉を交わせば、お互い手が出そうな状態だ。
「お話も終わった様ですので、セリ様はこちらへ」
そんな事態を回避させるためもあるだろうが、カールさんが今度こそ私を退出させようと割って入って来た。
私も言うことを言ったので、こんな所には一秒たりとも居たくない。さっさと扉まで移動する。
そして一礼してから部屋を出た。
本当はそんなことしないで扉も壊れるぐらい強く閉めて出て行きたかったが、礼儀云々と言った手前そんなことはできない。
ムカつく心を押さえ込んでの精一杯の見栄をはってみせた。
「リーンハルト様にあんな態度を取って生きている方なんてあなたぐらいですよ、セリ様」
カールさんが回廊を歩きながら、呆れた果てた声で話しかけてきた。
「普通なら重い処罰を受けています。最悪の場合は……」
カールさんは最後まで言わなかったがわかった。
「つまり、処罰も受けず生きて部屋を出られたことが奇跡だと」
「はい」
にこりと笑いながらカールさんは私達の方を振り返った。
「まあ、それ以前にリーンハルト様にあのような態度をとろうという方もおりませんがね」
「ははは……」
そりゃあ皇子、しかも次期皇帝に対してあんな態度をとろう人なんていないよね、普通。
「ほんとに。僕も焦りましたよ」
サンジェルマンもそう言うが、焦っていたような感じはしなかった気が。
「で。もうこれで帰っていいよね。挨拶したし」
私はとにかく帰りたい、一分一秒でも早くとっとと帰りたいのだ!
「はい。本日はもうお帰りいただいて構いません。後日、出場者の方達との顔合わせの時にまたいらして下さい」
「はい、わかりました」
返事をしない私のかわりにサンジェルマンが答える。
「では、私はこちらで失礼します」
カールさんが出口らしき扉の前で止まった。
「ありがとうございます」
私は礼を言って外に出た。
「しっかし、あのリーンがあんなに笑うとわなぁ」
俺は扉を閉じた後、そう呟かずにはいられなかった。
あのリーンが他人に、しかも初対面の女の子に感情を動かされるとは、驚きを通り越して奇跡といっても過言じゃない。
「ロクな女しかいないかと思ったけど、少しは期待出来るか?」
こんなコンテスト、茶番以外の何物でもないが、少し付き合ってやろうかという気になった。
「さて。取りあえず今は、リーンの御機嫌を直さないとな」
今頃、物凄く荒れているだろうから、好きな茶を飲ませて気分転換でもさせないとな。
俺は伸びをしてから踵を返し、どの茶にすべきかと考えながら厨房に向かった。




