五章 迷いの森の魔法使い・七
次の日の朝。
私は家の玄関で向こうに持っていく物で忘れ物がないかチェックしていた。
「はぁ……」
昨日、これからのことを話し合って決まったことは、まずカイがリントヴルムについての情報を集める。
それから対策を立てる、という非常におおざっぱなもの。
もっとしっかり対策をしたいが肝心のリントヴルムの情報がないから立てようがない。
私はと言えば、夜はこっちの世界に帰り、朝になったら向こうに行くということにした。
流石に向こうの世界に泊まる気はない。
私は胸元からネックレスを出して見た。
チェーンには深い紫色の石が嵌った指輪がついている。
昨日、カイが持たせてくれたものだ。
この指輪を持っていると向こうの世界にはカイの家につながるらしい。
迷子にならないようにとの、カイの気づかいだ。
ネックレスをまたTシャツの下にしまい、リュックを背負おうとしたときに「出かけるのか?」と声をかけられた。
声の方を向くと、パジャマ姿のお兄ちゃんがいた。
「うん、まあね」
「そのわりには楽しくなさそうだな」
「まあ、ね」
そりゃ、リントヴルム、いわゆるドラゴンを探しに行くんだから楽しいわけがない!
「ふーん。まあ気をつけて行けよ」
気をつけるどころか、命がけになる外出なんだけど。
だけどそんなこと、お兄ちゃんには言えやしない。言ったところで別の心配をされるだけだ。
「うん。行ってくる」
そして足取りも重く、ドアに手をかけ開けた。
開けた先はカイの屋敷のエントランスだった。
サンジェルマンに言われた通り、しっかりカイの家、と念じたせいもあるんだろうけど。
そして着いたはいいけど、明かりがついてないせいか薄暗い。
とりあえずキッチンに行こう。
そこにいればカイかアロイスに会えるだろうし。
私はキッチンに向かって歩き出し、キッチンに続くドアを開けたらカイがいた。
カイはちょっとびっくりした表情でこちらを見た。
「おはよう、カイ」
「あ、ああ。おはよう」
「どうしたの? 何か変?」
「あ、いや、随分朝早いんだなと思って驚いただけだ」
「え。こっちって今何時?」
「朝の五時半」
「え! うちは朝の八時半」
「そうなのか?」
「うん」
朝、時間がズレたのは初めてだ。今までは帰りの時間だけだったのに。
あ、でもその分捕獲時間が長くなったからお得と思っておけばいいか。今日に限っては。
「それだと大変だな」
「そうなんだよね。特に今回は期限付きの試合だけに」
そう。早い分にはまだいいけど遅いとなるとものすごく困る。
「まあ、異世界間を行き来するんだから仕方ないな」
「そうだね」
カイは淡々と答えながら、朝食の準備をする手を休めることはない。
「何か手伝う?」
リュックを椅子に置き、カイに訊いてみる。
手伝いの邪魔になるかもしれないけど、何もしないでここにいるのも何かなと思って。
「いや、必要ない。セリは座って待っててくれ」
「そお? でも皿出しぐらいならできると思うけど」
「いいよ。お前はのんびり待っててくれ」
きっぱりと断られた。
なら、遠慮なくダラッと待たせてもらおう。
私は食卓へ移動して椅子に座り、キッチンの中を見回した。
(結構広いよね、ここ)
初めて来た日も思ったけど、ここのキッチンは広い。
て、言っても屋敷の規模を思えば妥当なのかなーと。
そして、キレイに片付いている。
物が少ないっていうのもあるんだろうけど。
これが男のキッチンというものなのだろうか。
カタンと音がしたのでそっちを向くと、カイがオーブンを開けた音だった。オーブンからは焼きたてのパンのいい匂いが漂って来た。
(何のパンだろう?)
匂いにつられて椅子から立ち上がり、ひょいっと背伸びをしてカイの方を覗き見るけど、カイの背中が邪魔で見えない。
それでもあきらめず覗き見ようと頑張っていたが、カイの背中が小刻みに震え出したかと思うと「くくっ」と押し殺したような笑い声が聞こえてきた。
くるりとカイがこちらを向くと、俯きながら「来い」と言われた。
その声は微かに震えていた。
私は一瞬にして恥ずかしさが込み上げた。
「もうっ! カイひどい!」
カイは抑えていた笑いを解放した。
「ははっ! 悪い、セリ」
そんなにおかしかったのかお腹にまで手をあてている。
私は赤い顔をカイから背けて椅子に座る。
「悪かった。お前があんなに一生懸命こっちを見ようと頑張っているのが面白くてな」
一旦おさまりかけた笑いがまた甦ってきたらしく、またくくっと笑い出した。
「もうっ、笑いすぎ!」
私は穴があったら入りたかった。
この際テーブルの下でもいいかと思ったがそんなことをしたらさらに笑われそうなので、机に突っ伏して顔を隠した。
(あー、恥ずかしいっ! でもあんないい匂いしてたら気になるしっ!)
ちゃんと朝食を食べて来ても、あのパンを焼いているいい匂いがすればどうしたって気になるし、誘われる。
言い訳をしつつ、恥ずかしさに悶えていると「セリ」と、すぐ近くからカイの声が聞こえた。
名を呼ばれた条件反射で顔を上げると、すぐ隣にカイが立っていた。
カイと目が合うと少し引いた顔のほてりがまたぶりかえしてくる。
慌ててカイに背中をむけようとしたら「笑って悪かった。ほらこっちを向け」とカイに呼び止められ少しだけ振り向くと、手には一口サイズに切られたパンを持っていた。
「ほら、口開けて」
パンは出来たてで、ほわほわと熱を発し美味しそうな匂いを出している。
私はカイの方に向き直り、雛鳥のように口を開けるとカイがパンを入れた。
「美味し~」
出来立ての柔らかさと甘さに、外側のカリッとした歯ごたえ。
堪らなく美味しくて、顔が幸せに緩む。
「美味いか?」
「うん!」
即答で返す。
「よかった。他にも焼くからしばらく待ってろ」
カイが嬉しそうな表情でまたキッチンへと戻る。
「セリ」
「何?」
キッチンからカイが呼ぶ。
「朝食、食べるか?」
「食べる!」
こうして私はまた、カイとアロイスと食卓を共にすることになった。




