四章 波乱の前触れ・四
私はアロイスを見送ると、路地に置かれた木箱に座った。
「はぁ、ちょっと疲れたかな」
アロイスに連れられて会場を出てから大体二十分ぐらい、結構なスピードであちこち走りまわった。
それなりに身体は鍛えているから、これぐらいの運動ならどうということはない。
それよりもアロイスだ。
アロイスも結構鍛えているんだろう。息切れなんてしていなかった。
(やっぱりただ者ではないってことだよね)
身体だけなら、単に日頃から鍛えている人なんているだろうから別に怪しくないけど、気配消してるのは普通の人じゃないよね……。
一緒に走っていても、アロイスの気配は感じなかった。追って来ている人は私の気配を追って来ているんだろうし。気配消すなんてこと、私にはできない。
ていうことは、余計なことを言っちゃったかな。
追って来ている人が二組なんて言ったら、怪しまれるか警戒されるよね〜。
普通の女の子だったらそんなことわからないもん。失敗した。
「あーあ」
私はまた溜息をついた。
(初めて会ったときの嫌な感じは当たってたってことか)
あのゾワッとした嫌な感じ。絶対、スキを見せちゃいけない人だ。
(ん? それならアロイスが最初からつけると言われた同行者なのかなぁ。ただ者じゃないし、追手? からも守ってくれてるし)
私が皇帝や皇子の関係者だと嫌がるのを知ってて、仲が良くなった頃、実は……とか言い出す予定だったとか。それなら私も無碍にはできないはずという計算の元、付けられたのか。だとしたら、あざとい。
(うーん……)
と、一生懸命考えていたところ、それを邪魔する影が現れた。
「セリ様ですね?」
一人の男の人が私の前に立ち塞がったのだ。
私は影を見上げた。
その人は白いシャツに黒いコートという出で立ちで、腰には剣を差していた。
「…………」
男の人はにこりと微笑むと一歩下がって跪いた。
「私はヨハンと申します。城からセリ様の同行者として、今回の試合の手伝いをする様遣わされた者です」
言って、ヨハンさんは私を見上げた。
多分二十代後半ぐらいで、人の良いお兄さんって感じ。
「会場からいきなり見知らぬ少年と出て行ってしまわれたので、急ぎ後を追っていたのですが、ご無事で何よりです」
私を安心させようとしてくれているのか優しい笑顔を見せてくれる。
「さ、私と一緒に一旦城に戻りましょう。そこで、これからのことを話し合いましょう」
ヨハンさんは立ち上がり、右手を私の前に差し出した。
でも、私はその手は取らず、木箱から立ち上がり、ススっと左側に出ようとした所、ヨハンさんがバン! と壁に手をついて道を塞がれた。
いわゆる、壁ドン状態。
「どちらに行かれるのですか、セリ様」
退路を塞がれ、威圧的な態度にでているのに表情は笑顔。
さっきと変わらない笑顔なのに、シチュエーションが違うだけで、今の笑顔は怖い。
「…………」
私は答えず黙ってじっとヨハンさんを見上げているだけ。
それがカンに障るのか苛立つ声音と態度を私にぶつけてきた。
「人が下手に出てればその態度。ガキのくせに生意気だな」
ヨハンさんは壁から右手を離すと、私の手を引っ張ろうとした。
(今だ!)
私はその手を流すように払いのけ、開いた左側からヨハンさんの後側に回り込んで、ヨハンさんの右手を後側に捻り上げる。
ついでに足払いをかけてバランスを崩させて跪かせ、木箱の方に押してやったので、左手は木箱につき、右手は私に取られているので身動きがとれない。
「痛っ! 何しやがるこのガキ!」
ヨハンさんは首だけ私の方に向けて、すごい剣幕で睨みつけてくる。
でも皇子の睨みに比べれば何とも思わない。こんなの可愛いものだ。
「ごめんなさい。私、城からの人って信用できないんです。だから、同行者の手配は丁重にお断りします、って上司の方に伝えてもらえますか?」
ニッコリ笑顔で、私はヨハンさんにお願いする。
「はっ! ふざけるなよ、ガキ! 言いたきゃ城に行って自分で伝えろ、よっ!」
「わっ!?」
ヨハンさんは左手で木箱を押し、その反動で私のバランスを崩し、捩り上げられた右手を力任せに振りほどくと同時に、私を押し倒そうとしたがそれはできなかった。
「はーい、そこまで」
いつの間にか帰って来たアロイスが、ヨハンさんの首に手刀を打ち込んだのだ。
ヨハンさんは「うっ!」という声とともに、木箱に凭れかかる様に落ちた。
「アロイス」
私は突然現れたアロイスにびっくりした。
やっぱり気配を感じなかったからだ。
でも、ヨハンさんの相手をしていたせいもあるからわからなかったていうのもあるかもだけど、やっぱり油断できないな、と思う私の心中などは知らず、アロイスは呆れて話しかけてきた。
「セリ、何やってるのさ」
「え、何って……」
ヨハンさんから逃げようとして捕まったので反撃してました、と、正直に言えないというか、言いたくないというか。
普通の女の子が男の人を後ろ手にとって、跪かせてた、なんてねぇ……。
「いや、まあ、その……」
言いたくないので語尾を濁して逃げる。
「まぁ、聞かなくてもわかるけど」
やれやれという感じでアロイスが言う。
「じゃあ聞かないでよ!」
「そこは本人の口から聞きたいので、一応ね」
アロイスはニッコリ笑顔で返してくる。
「何にしてもセリ、やっぱり君って普通じゃないよね」
「は? 普通じゃないってどういうこと!?」
ムカッときて強めの口調でアロイスにつっかかる。
「え、何、セリ。自分のこと普通だと思ってるの!? あんなことしといて!?」
嘘だろ!? という表情でアロイスが私を見る。
「あんなことって!?」
「コレのこと」
アロイスは気絶しているヨハンさんを指差している。
「うっ……。で、でも気絶させたのはアロイスで私じゃない……」
「気絶させる前に、コレの腕を捩上げていたのは誰?」
「なっ! 見てたの!? どこから!?」
「セリが木箱から下りたとき」
「うっ……!」
そこから見られていたのでは否定ができない。
そんな私を見て、ここぞとばかりにアロイスが攻めてきた。
「普通の女の子はさ、城の騎士相手にあんなことは絶対しないよ。騎士じゃないにしても、自分より力のある男に刃向かおうなんて、ねぇ?」
「う……。で、でも、自分の身ぐらい自分で守るのは当たり前よ!」
アロイスはキョトンとした。珍獣でも見るような感じだろうか。
「え。セリ、すでにそこが違う。普通の女の子は自分で自分の身を守るより、男の人に守ってもらいたいと思うものだよ」
「う……」
痛いところを突いてきた。世の大半の女性は確かにそう思っているだろう、多分。
「で、でも、そうじゃない女の人だっているよ!」
「そりゃいるよ。でもさ、年頃の、しかも皇子の花嫁候補者がそんなこと思う? 普通」
「お、思……、思わ、ない、と、思う」
即答したくないので、どもりながら返事をする。悔しいが、アロイスの方が正論だ。むしろ守られるのが当然と思っているはず。
「でしょ? それに」
アロイスがニッコリと人懐こい笑顔を見せながらすっと私に近づいて来た。
私は近づかれた分、後に引く。
「ほらそれ」
「?」
「今、俺が近づいた分下がったでしょ」
「それがどうしたの?」
アロイスははぁと溜息をつきながらわかってないなーという表情になる。
「普通さ、俺みたいな可愛い少年が、人懐こい柔らかな笑顔をして近づいたら、ギュッて抱きしめたくなるか、可愛いって思ってその場に釘付けになるの。なのにセリは留まりもせず下がるんだよ! 普通じゃないね」
「へー……」
私はそれを自信たっぷりに言い切ったアロイスに引いた。
こんなことを言い切る人は、黒い人か残念な人かのどちらかだ。
でも確かに初めて会った時は、その天使の笑顔に釘付けになったけどね! 悔しいけど全くその通りです!
私はあらためてアロイスを見た。
ふんわりと柔らかそうな金色の髪の毛に、明るく透き通る様な翠の瞳。それに子犬のように可愛い無邪気な笑顔。
確かにこんな子に言い寄られたら多分大体の人は落ちるか、心がぐらつくんじゃないかとは思う。
「ま、それはさておき、今はここから離れないとね。話は道すがらできるし」
「うん。でも……」
これからどうすればいいのかさっぱりわからない。
リントヴルムが何かなのかもわからない。
「大丈夫。俺がちゃんと教えてあげる」
アロイスは私の言わんとすることがわかっていたのかそう答えた。
「じゃ、行こうか。こっちだよ、セリ」
アロイスは路地を歩き出した。
「うん」
私もアロイスの横に並んで歩き始めた。
アロイスがどんな人かわからない不安はあるけれど、今はアロイスを選んだ自分を信じて先に進むしかないのだから。




