九章 宣戦布告・二十一(リーンハルト)
皇族の控室に戻ると、先程はいなかった無能な女が皇帝とユリウスに挟まれ、チヤホヤされながらソファーにいたが、俺に気づくと女はあからさまに怯えて俯いた。
「ひっ、あっ、あ……」
女の顔は一気に青ざめ、呼吸が荒くなる。
「サラ、大丈夫だ。私がいるから大丈夫だ、ほら息を大きく吸って……」
皇帝が俺から無能女を隠す様に抱き込み、その二人を隠す様にユリウスが立ち上がった。
「兄上、お話は私が代わりに」
ユリウスが社交用の微笑を浮かべた。
「ああ、開会の準備が整ったので陛下に御出で頂きたい」
「わかりました。では先に兄上が御出で下さい」
ユリウスは俺を観覧席に繋がる扉に案内するが、俺は動かずソファーの女に視線を向けた。
「今日の御前試合には勿論皇后陛下もご出席頂けますね。第一皇子たる私の婚約者が決まる大事な試合です。その試合に国母たる皇后陛下がいらっしゃらないなどあり得ない事です。さあ、お早く皇帝陛下と共に観覧席へと御出で下さい。さあ、早く」
俺は、感情を乗せない様に平静に淡々と告げた。
「あっ、あうっ、あっ、はっ……」
無能女は返事もせず、いつも通りあうあうと言葉にならない言葉を発するだけだ。
「兄上、皇后陛下も御出でになります。ですのでお早く」
「ああ、いつも通り幻影魔法での出席か。それに出る順番なら皇帝陛下だろう。私が先に出るわけにはいかない。それぐらい理解しているであろう、第二皇子ユリウスよ。さあ、さっさと無能女を捨てて観覧席に御出で下さい、皇帝陛下!」
俺はユリウスの言葉を遮り皇帝に告げた。
「リーンハルト!」
「兄上!」
「っひ、っひ、ふあーっ!? ×△※○♯??」
皇帝の怒号、ユリウスの制止、無能女の支離滅裂な悲鳴。
いつも通りの流れだ。
「お前は母親に対してよくもその様な口をきけるものだな! サラに謝罪しろ!!」
「兄上、何故いつも母上と父上を煽るのですか? 母上はお心が繊細なのですよ」
「あうっ、あ、あ、ぎょっ、ぎょめっ、ゔっ、ごっ、ごめ、な、っ……」
返る言葉もいつも同じ様なもの。
そして返す言葉もいつも通り同じだ。
「母親というなら、母親らしい事をされた覚えはありませんので、私にとって母親には当たりません。皇后としての職務も果たさない皇后陛下など無能な女という存在でしかありません。ああ、された事といえば殺されそうになった事でしょうか。皇后陛下の侍女に。あの女は今頃何をしているでしょうかね、皇后陛下」
「リーンハルト!」
「兄上」
「きーーーーっ! ひひっ、はっ、ふっ、ふっ、っ、はっ…………、ごっ、ごっ、ごべ、っな、さっ、とうさま、かあさま、ごべっ……ぐずっ、さら、わる、こ、で、ごべっ……き、きゃあーっ!! あは、あははっ、あひっ、あひゃっ、あひーーっ!!」
無能女はいつも通り、意味不明な言葉や奇声を上げ、泣いて詫び騒ぎ喚く。幼い時はそんな姿に溜飲を下げていたが、今では少しも下がらない。だからもっともっと、壊していかねば。そして俺より先に逝ってもらわねば。それでもこの身を蝕む呪いの代償にもなりはしないが。
皇帝とユリウスは頭を振り乱し、狂う無能女を必死に宥め、慰める。侍女達は付かず離れずの距離で呼ばれればすぐに対応できる場所に待機している。
この控室に居るのは、俺達の事情を知っている者達だけなので、無能女が発狂しようが驚く事は無い。
「父上、母上は私が部屋まで付き添いますので式の方をよろしくお願いします。さあ、母上、戻りましょう」
「えへっ、えへへっ。ゔー、あー、あーなた、だれ? さら、かあしゃまのとこ、いきた、ぐへっ、へひゃへひゃ」
目の焦点も合わず、着飾った身なりも乱れ、口端からは涎を溢している。これがこのヘルブラオの皇后かと思うと不愉快で悍ましく、吐きそうだ。
「サラ、式が終わればすぐにお前の側に戻るからな、いい子にしているのだぞ」
だが皇帝はそんな狂人でも愛おしいのか、優しく頬を撫で、溢れた涎をハンカチで拭っている。
「ユリウス、頼んだぞ」
「はい、父上」
ユリウスは頷き、俺から無能女を隠しながら控室を出て行った。
室内は暗く重苦しい空気と、これから何が起こるのかという緊張感が漂っていたが、俺は言うべき事、やるべき事を皇帝に告げる。
「さあ、皇帝陛下。お早く観覧席へ。早く私の婚約者を決めたいのでしょう? ならば急ぎ観覧席へ。観客は今か今かと痺れを切らしているでしょう」
皇帝は顔を憤怒で紅潮させ、両手を強く握りしめて俺を睨め付けていた。
「リーンハルト、お前の様な屑はどう躾ければ真っ当な人間になれるのだろうな」
「心外ですね、皇帝陛下。私は誰よりも真っ当ですが。少なくとも、誰かの様に色恋で道を外す様な愚者ではありません。それに……屑から高級なものができるとお思いですか?」
「リーンハルト、貴様っ……」
皇帝は唸る様に言葉を発したが、俺は無視して観覧席に繋がる出入口を右腕で指し示す。
「さあ、お早く」
皇帝は一際凶悪な顔を俺に向けたが、すぐに開けられた出入口から出て行った。
「全く。またやらかしたんですか、リーンハルト様」
背後から俺に呆れた声がした。
「心外だな。言うべき事を言っただけだ。お前も見ていただろう」
「途中からですが」
カールは軽く肩を竦めて言った。
「まあ、リーンハルト様の言う通りではありますけどね」
「なんだ。何か言いたい事があれば言え」
「ありませんよ。リーンハルト様に害しかならない両陛下の事なんて」
「不敬罪で牢屋行きだぞ、カール」
「この部屋にそうと思える人間がいれば、ですね」
カールは不敵に笑んだ。
今この場所には俺達に賛同する者しかしない。
皇帝に早々に退位して欲しいと願う者達。
完全な味方達ばかりでは無いが、少なくともカールの言に意を唱える者はいない。
「ふっ。……それよりお前の方はどうだったのだ」
「ええ、控室での世話や手続き等はヒルデに任せました。それにしても、まさかあいつが絡んでいるとは思いませんでした」
「ああ」
カールは苦々しく言い、俺も同意した。
「一体どんな伝手を使えばあいつを引っ張り出せるのかわかりません。しかも、セリの出場経緯が本当なら余計にどこの伝手かなんてわかりませんよ。はぁ」
「ああ」
「リーンハルト皇子殿下、お時間です」
ハーゲンが促す。
「ああ」
俺はこの不愉快でたまらない茶番劇を終わらせるため、出入口の方へ歩き出す。
開かれた扉の向こうからは平民達の大歓声が上がっていたが、俺の心には何も響かず、ただの雑音にしか聞こえなかった。
開会式も終わり、俺は観覧席に着くと、小娘とバスラー伯爵令嬢との試合が始まった。
護衛騎士が相手をすると思ったが、まさか令嬢自身が出るとは想像もしなかった。
そして更に意外だったことが小娘の腕だった。観れる程度には実力があった。令嬢の方も、伯爵令嬢という立場から見ればできる方だろう。
暫く打ち合った後、小娘が止めを刺した。
「勝者、セリ・ハヤカワ!!」
審判が声高かに勝者を告げた。
「さぁ! これで次が最後の試合です! 次の試合の勝者が、我が国の皇子、リーンハルト皇子殿下の花嫁でーす!!」
審判が言うと、闘技場内が一気に湧き上がり、その熱量が全て俺に向いた気がした。
不愉快で、鬱陶しくて堪らない。
俺はその元凶たる小娘に視線を向けた。
距離はあれども視認はできる。
あいつさえ俺の前に現れなければ、俺はこんなにも始終苛つかないですんだのに。そう思うと憎悪しか湧いてこない。
ん? あいつ、俺を睨んでいるのか。
ああ、ああ、何て身の程知らずな小娘なのだろうな。
ああ、イライラする。
心の奥底からごぼりと音を立て、悍ましく穢らわしいあいつが溢れて来そうだ。
俺は席を立ち、控室へと向かった。
後をついて来たカールが精霊水を用意する程か視線で問うてきた。
俺は小さく頭を振り、ソファーに座る。
カールは冷えた柑橘水を用意し、俺はそれを飲んだ。程よく冷え、爽やかな風味が、溢れそうだった醜悪な穢れを少しはらった様な気がする。ただの気休めだろうが。
「次の試合までこちらでお休み下さい」
「ああ、そうだな」
俺はグラスをテーブルに置き、小さく息を吐く。
この控室は皇帝とは別の控室なので不愉快になる事もない。
居るのもカールとハーゲンだけだ。
「リーンハルト様はどうするのですか」
「どうする、とは」
カールが嫌味な微笑を浮かべて問う。
「セリとの結婚です」
「宣言した通り婚約者とし、一通りの教育が終われば結婚、だな」
「何他人事みたいな口ぶりで仰っているのですかね、リーンハルト様は。本当の本気でセリを婚約者にするのですか? あの得体の知れない無教養な小娘を?」
「何だ、カール。随分と不満そうだな」
「当然です。どんなに身元を調べても何の情報も掴めない。身元が判明したらしたで最悪な身元。おまけにあのチェリーゼルの悪魔が護衛についた。最高に最悪な少女ですよ。リーンハルト様に相応しいとは到底思えません」
「はい、私もカールに同意です」
「何だお前もか、ハーゲン」
俺は意外な賛同者に少し驚いた。
「ハーゲンが同意するんですから、間違っていないという事ですよ」
「ふん」
ハーゲンは基本俺の言う事には何も逆らわない。同意するだけだ。たまにこうして反対する事があるが、強く反対する訳では無く自分の意見はという感じだ。だが、今のハーゲンは強く反対だという表情つきでの言葉だった。
「私は皇子として宣言した事は反故にしない。もし小娘が教育に耐えられなければ、それで終いだ」
「そうですか。それはそれで残念ですね」
ハーゲンが淡々と言う。
「意外ですね、ハーゲンがそこまで言うなんて」
カールが軽く驚きながら言う。俺もカールと同じ気持ちだ。
「そうですか。私はそう思っただけです」
「でも私もハーゲンと同じ気持ちです。あの悪魔を従えているのですからね。ただうまく躾けられれば、なにかと使えるのではないでしょうか。騎士は主の命には逆らえませんから」
「ほう。お前ならできると?」
「いいえ。私はではなくリーンハルト様が躾けるのですよ。下準備なら私がしっかりいたしますので」
カールは仄暗さを隠しもしない微笑を浮かべて言った。あの小娘にはカールも散々振り回されていたからな。だが、あの悪魔がついているのだ。そう簡単にいくはずはない。
「好きにしろ」
これ以上この話をする気はない。
俺はグラスに残った柑橘水を一気に飲んだ。
「それよりもクロード王女の方だ」
「ああ」
カールが不機嫌そうな表情になる。
「誰が漏らしたのかはわかりません。調べてはいますが、今の所、誰も漏らしてはいないようです」
「ええ。私もカールとは別方向から調べていますがそれらしい者はいません。少なくとも国内ではいません。ですので、その情報は盗まれたと考えた方が妥当です」
カールとハーゲンが報告する。
誰が小娘に情報を漏らしたのか。二人で調査してもはっきりしないのならもうこれ以上出ないだろう。だが、放置はできない。
「わかった。引き続き調査は続けろ」
「「畏まりました」」
「それとクロード王女だが、どうやら私との契約は反故にして国に帰るつもりだな」
「まあ、そうでしょうね。そうするしかないでしょう」
カールは空になったグラスに柑橘水を注ぎながら答えた。
「私と契約し、無断で反故にしようなど許せるものではない。だから、王女にはユリウスの婚約者になってもらおう」
「ユリウス皇子殿下ですか。でもユリウス皇子殿下にはシラー侯爵令嬢が内定しています」
ハーゲンが答えた。
「ああ。だが正式に発表はしていない。だからこちらで正式に発表してしまえばいい」
「リーンハルト様。それはクロード王女殿下およびフラージュ国に対して礼を失しています。ですが、先にリーンハルト様に対して礼を失したのはクロード王女殿下ですので問題無いですね。ええ、畏まりました」
カールは生き生きとした笑顔で答えた。
ハーゲンは特に意見も返事もなく俺達の話を黙って聞いていた。
「ではそろそろ最終試合の時間ですのでご準備を、リーンハルト皇子殿下」
「ああ」
俺は立ち上がり、カールが衣装を整えているとノック音がした。
「リーンハルト皇子殿下、もう間もなく最終試合の開始時間です。観覧席の方へ御出で願います」
「わかりました」
呼びに来た兵士の声にハーゲンが答えた。
「行くぞ」
俺は観覧席へと続く扉の前に移動する。ハーゲンが扉を開けた。先程同じく、熱気の籠った声が闘技場から溢れていた。だがその声を聞けば聞く程、俺の心は冷えていくのだ。




