第5話 救いの天使
「捕まえた! やったよ、ハリエットさん! ソリ姉を捕まえ……」
言葉をなくすマリアちゃんに、逃げるように促す。
ソフィアさんの霊体の光がランタンの代わりになるから大丈夫。
マリアちゃんの小さな足音が遠ざかる。
ギロームはあたしをじっと見つめた。
「・・・なるほど。・・・ローズ姫に似ている」
周りには亡霊。
その向こうには明かりのない暗闇。
ギロームの魂が入り込んだベルナリオさんの肉体は、長身でたくましくって、この状況だと威圧的。
さっきは不意をついたのでどうにかなったけど、これを正面から殴り倒して明かりを奪って逃げるなんてのはまず不可能。
ギロームがにじり寄る。
あたしはギロームが持つランタンの光から外れない範囲で後退りする。
「!」
下げた足が空を踏み、体がガクンとなって、すんでのところで立て直した。
地下通路は不可思議な構造の迷路。
後ろは下り階段だった。
……どうする?
さらなる地下への闇が、暗く深く口を開けて、あたしを待ち構えている。
生け贄にされるぐらいなら、いっそ頭から転げ落ちてみる?
首の骨が折れれば一発で……
いや、でも、それにしたってもうちょっと痛くなさそうなやり方はないものか……
あたしはギロームをにらみつけた。
「大事な生け贄に身投げされてもいいの!?」
「・・・」
ギロームが動きを止めた。
けどそれは、あきらめたというものではなかった。
ギロームの魂が封じられた壺の破片が、ベルナリオさんの肉体から剥がれて宙に浮き、あたし目がけて飛んできた!
「!」
あたしはソレを手ではたいて払い除けようとしたけれど、ソレはそのままあたしの掌に張りついて……
あたしの手は、あたしの意思では動かせなくなってしまった。
ギロームは余裕で歩み寄る。
剥き出しの腕から、長ズボンの裾から、壺の破片が飛んでくる。
ベルナリオさんの肉体が、支える力をなくし、階段の縁に膝をつく。
その肩を誰かが……
銀色のハイヒールを履いた誰かの足が……
蹴り飛ばし、ベルナリオさんの大きな体が、階段を転がり落ちていく。
だけどそれを可哀想がってる場合ではない。
あたしの全身がガクンとした衝撃に襲われて、体が浮き上がり……
いえ、体は浮いてない……
魂だけが、体を残して浮き上がる!!
何よこれ!?
浮かぶ、流される、それとも沈む……
嫌! 怖い! 苦しい!
溺れる!?
ああ、そうだ。
溺れるって言い方が一番近い。
息ができず、頭がガンガンいって、心臓が爆発しそう。
魂だけしかないのなら、死んでるのと変わらないはずなのに、死にそうに苦しい。
寒い、いえ暑い、やっぱり寒い。
あたしを包み、押し寄せて翻弄するこのエネルギーは、水じゃないのはわかっているけど、海の真ん中に落とされた感じ?
早くもとの場所に戻らないと!
もと居た船に! 肉体に!
でも駄目だ!
どんなに手を伸ばしても、届いているのに届かない。
触れているのに触れられない。
苦しい。助けて。
何かにすがりつかないと。
だけど、わらくず一つ見つからない。
押しつぶされる、引きちぎられる、駄目、バラバラになりそう……
このまま消えてなくなってしまいそう……
何か……
すがりつけるものは……
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!!
このまま死にたくない!
死ぬってのは消えるってことなの!?
神様は居ないの!? 天国はないの!?
恨めしい!! ギロームが恨めしい!!
全身に壺の破片を張りつかせ、ギロームに乗っ取られたあたしの体が、静かに階段を降りていく。
うあああああっ!!
許さない許さない許サなイ許サナイゆルさナいユルサナイ……
肩に飛びかかってもすり抜ける、腰に飛びついてもすり抜ける、足にしがみついても……
……光が見えた。
地下深くなのに関係なく、屋根も天井もないかのように、朝日のように光がそそぐ。
ああ、あれは天使だ。
お迎えが来たんだわ。
まるで教会のフレスコ画から抜け出してきたみたい。
そうよね、悪魔の力が実在するのに天使は存在しないなんて、そんな都合のいい話があるわけないのよね。
真っ白な翼を広げて、何て神々しい、頼もしい姿なのかしら。
今のあたしを海で溺れてる人に例えるならば、天使様は救命ボート。
ということは……
天使様が連れていってくださる神のみもとなる場所は、安定の超豪華客船に違いないわ!
ああ、なんて安心なのかしら。
さようなら、あたしの肉体。
生まれて十五年、それなりに大事にしていたつもりだったけど、こうして見るとほんの泥舟みたいなものだったわね。
あたしはうっとりと左手を天使様の方へと伸ばし……
同時に、右手が何かを掴んでいるのに気がついた。




