第2話 手の骨
ギロームさんに手招きされて、あたしはしずしず近寄りながらも、目を合わせるのは何だか怖くて……
視線を泳がせているうちに、足もとの置物を蹴っ飛ばしてしまった。
「ごっ、ごめんなさい!」
慌てて置物を立て直す。
石像だとばかり思っていたそれは、触れてみると本物の骨だった。
「!?」
何かの動物の、足首より先。
少なくとも人間のものではないし、見慣れた家畜のものでもない。
ウォーターメロンを軽くわしづかみにできるくらいに大きくて、おまけに鋭い爪が生えてて……
これは……もしかして……
「……拾った本に書いてあったんですけど、ラリルと戦ってる最中に死霊魔道は真っ黒なドラゴンに変身して、その前足をラリルが剣で斬り落としたってなってたんですけど……」
えーと、んーと、確か死霊魔道の本体は、銀の杭を打ち込まれて聖なる力に焼かれて灰になったんだけど、先に斬り落とされた前足だけは残って、ローズ姫の計らいでどこかに埋葬されたとか……
「・・・手を出せ」
ギロームさんの声は低くて、明らかに男性のものだった。
「手相でも見るんですか?」
無防備に広げたあたしの掌の、端から端まで突き抜けた極太の生命線を断ち切るように、ギロームさんの人差し指が軽く撫でる。
軽く……本当に、軽く撫でられただけだったのに……
「きゃ!」
針でなぞられたような痛みが走り、驚いて手を引っ込める。
爪を立てられたわけでもないのに、ジワリと血の筋が染み出てきていた。
「ハリエットちゃん……ごめん!」
ベルナリオさんがあたしの手首を掴んで体ごと引き倒し、あたしの掌を、床に置かれた死霊魔道の骨に重ね合わせた。
「!?!?!?」
まるでハイタッチのような格好……
磨いたように不自然に白い骨に、あたしの血が流れ伝って紅色のラインを描く。
「いやっ! 嫌ッ!」
もがくうちに指が滑って、死霊魔道の指と指の間に一本ずつバラバラに入り込んで、ますます外せなくなってしまった。
そして、そのまま……
………………。
一刻も早く放してって念じていたから、どれくらい時間が経ったのかなんて計るどころじゃなかったけれど、それなりの頃合いなのだろう。
「……何も起こりませんよ」
ベルナリオさんがおずおずと、ギロームさんの……ギロームの表情をうかがう。
「・・・」
「やっぱり死霊魔道は三百年前に勇者に倒された時に完全に滅んでいたんじゃ……」
「・・・ならば何故、あやつの呪いを受けた娘がここに居る」
「…………」
「・・・血の量が足りないのかもしれん」
ギロームの手の中に手品のようにナイフが現れ、ロウソクの淡い光に照らされて、刃が赤く妖しく輝く。
「ギロームさん! あまりひどいことはしないって約束したじゃ……あ!」
あたしはベルナリオさんのすねをハイヒールでえぐるように蹴飛ばして、彼の腕から抜け出した。
だけど……
「いやあっ!」
死霊魔道の指は、あたしの指にガッチリと絡まったまま。
手首ごと持ち上がって離れない。
「カップル繋ぎ……」
足をさすりながらのベルナリオさんのマヌケで場違いなつぶやきに、あたしは心底ゾッとした。
ギロームが鼻で笑う音が、閉じた部屋に虚ろに響いた。
ぐにゃり。
景色が揺れた。
目眩?
違う。
黒衣城の壁や床が、粘土みたいに歪んでいる。
グ……グ……グ…………ガッ!
壁に積まれた石材が、ゴムのように軟らかくなる物と、硬いままの物とに別れ、軟らかくなったブロックが震えて、硬いままのブロックをこちらへ向けて弾き飛ばした!
二つ、三つ……十、二十……!
あたしはしゃがみ込んで左手で頭を守りつつ、右手から死霊魔道の指を外そうとして振り回す。
壁に穴が開いたせいで支えが弱まって、天井の石も落下してくる。
ギロームとベルナリオさんは、部屋を飛び出して階段へ逃げ込む。
あたしもそっちへ行こうとしたけれど、階段は真っ暗で進めなかった。
ランタンはベルナリオさんが持っていってしまった。
儀式で使ったロウソクを掴もうとして、振り返ったその瞬間……
階段の上の天井が崩れ落ち、あたしとベルナリオさんの間の道は、瓦礫で完全に塞がれてしまった。




