七、魔法見学会
「パンケーキ、忘れないで。楽しみにしているから」
負けたせめてもの腹いせだ。子どもっぽいと内心呆れながらも、取り繕うつもりはない。それくらいには真白に気を許している。
「早く笹木嵐の結論が出るといいですね。それと、あっちの五月蠅い猫はどうします?」
「にゃー」
指差された猫は悠長に鳴いていた。いい気なものだ。
「仕事は早く終わらせたい」
私には仕事上がりのパンケーキが待っているのだから。
「同感です。静かな公園にでも行きますか?」
「賛成」
利用できるものはしてやろうと計画し、真白は公園を検索し始めた。
「笹木嵐、雑誌には満足?」
じき最後のページにたどりつくだろうというところで申し出る。
「後で好きなだけ読めばいいわ。移動するから君もついてきて。悩んでいるなら身をもって魔法に触れてみない?」
「え、もしかして魔法見せてくれるの?」
「そう、実戦的な魔法をまじかで見られるなんて貴重よ。戸締りを急いで」
笹木嵐は「わかった」と言い切らないうちから、大急ぎで駆けだしていた。魔法に対する純粋な憧れは、長く仕事をしている私には懐かしいものだった。
「七夏さーん、海辺の公園押さえましたよ」
「貸し切れた?」
「もちろんです。平日の午後ですからね、事務の対応も冷静でしたよ」
貸し切り――その名の通り私たちで貸し切る。公園の一定区間を、あらかじめ外界から隔離するよう申請しておくことだ。
これで存分に暴れても問題はない。
支度を終えた笹木嵐を伴い、私たちは海辺の公園へと移動する。
コンクリートで整備された長い歩道と、視界いっぱい広がる海は散歩コースには最適、そんな印象の公園だ。とはいえ魔法で事前に貸し切っているため周囲に人はいないけれど。
「すごい、すごいなこれ! 一瞬で、どうやったんだ!?」
瞬間移動を体験した笹木嵐の反応は嬉々としている。それをなだめるように、真白は冷静に魔法解説をしていた。
「杖とスマホが連動しているので、スマホに住所を入力すればイメージする手間もなく移動できます。他にもやりようはありますが、これが初歩です」
「魔女になれば、俺にもできるってこと!?」
「努力次第ですかね」
その言葉だけで歓喜している笹木嵐をおいて、私は手じかなベンチに腰を下ろす。
「真白君、私は座っているからよろしく。笹木嵐もこちらへ」
真白一人いれば事足りるだろうという判断で、笹木嵐を隣へと促した。
「はい、任せてください!」
何が始まるのか、そわそわしていた笹木嵐もようやく座ってくれた。その間に、私はさっさと紅茶を飲む態勢を整え終える。
「君もどう? ストロベリーのフレーバー、甘い香りが気に入っているの」
白地に薔薇の描かれたカップからは甘い香りが立ちこめて、それだけで幸せな気持ちになれそうだ。
「お、俺は間にあってる。なんか、もうお腹いっぱいっていうか、瞬間移動が凄過ぎて」
お腹いっぱいというより胸がいっぱいなのだろう。魔法に対する純粋さは、加入通告に出ると必ずと言っていいほど垣間見れる反応で――
「可愛い」
「え?」
「いえ、こちらの話」
思わず感想が零れてしまう。初めて目にする現象に瞳を輝かせる姿は、私にとって可愛らしく懐かしいものだ。
「笹木嵐。ちょっと七夏さんに可愛いと言われたくらいで、良い気にならないでください」
「少年。この私ですらリリーシアより可愛いという賛辞は受けたことがないのに、良い気になるとは許し難い」
耳ざとく会話は盗み聞きされていた。少し離れた場所に立つ真白と、私のストラップという体位置に収まっているクロから同時に敵意を向けられた笹木嵐は盛大に首を横に振っている。
「真白君、気を散らせていると足元を掬われる」
「はいっ!」
真白は言葉と同時に地を蹴った。尋常ではない脚力は、もちろん魔法の助けがあってのこと。
彼がいた場所のコンクリートは破裂し、無残に砕け散っていた。でも、どれだけ壊れても大丈夫。なんといっても貸し切りで事前準備は万端だ。
「ちょっ! 今、何が起こって!?」
笹木嵐は驚いて席を立つ。
「落ち着いて。想定内よ、問題ない」
「いや無理! 俺たち、テロ攻撃でも受けてるんじゃ!」
「確かにそういう状況に見えるかもしれないけれど、それこそ私の隣が一番安全。魔法を見せてあげると言ったでしょう? 危険性も学ぶべき。私たち、ここへ来る前に恨みを買ったようだから、せっかくだし利用させてもらおうかと思って」
「危険性? 恨み?」
「とりあえず座って話さない? もう来るはずだから」
私が指で見ろと示したのは海の方。この位置取りで着地点に選ぶなら、まずあそこだろうという推測だ。
笹木嵐は戸惑いながらも元の位置に収まる。それと同時に着地点に少年たちが姿を現した。
「な、何だよあれ!」
少年の集団は、ざっと十人以上というという規模。二度目の意表となれば幾分か冷静で、笹木嵐は座ったままで私に問い掛けた。
「中央で杖を構えている少年が井上悠馬十六歳。違反歴は一度、罪状は魔法隠匿行為の不十分さと取り締まり妨害。でも局面によっては、これから罪状が増えるかもしれないわね。ところで、スマホを手にしている子もいるでしょう? 杖よりも、あらかじめスマホにインプットされている魔法を使う方が簡単で――」
「て、呑気に解説してる場合!? あいつら敵意丸出しに感じるんだけど!」
「いつものことよ。取り締まりをしていると報復に訪れる子もいるの。だから連盟の職員にはそれなりの実力も求められる」
こちらは業務で仕方なくというのに困ったものだ。
「状況はわかったけど、一人対大勢って連条さん大丈夫なの? 加勢したほうがいいんじゃ……」
「不要、彼は強い。格の違いというものも、君に教えてくれる」
私は絶対の信頼を持って言いきる。
「報復と言ったけれど、私は女でしょう? そもそも、私はいつも穏便に取り締まっているし、こういう時に一番恨みを買うのは真白君なの。そういった意味でも私の隣は安全よ。彼らの一番の狙いは彼だから、ここで大人しくしていればいい」
「て、それ余計心配なんだけど……。連条さんて恨み買いそうだもんな」
「笹木嵐、余計な発言は身を滅ぼすと知れ、と黒い物体に言われていませんでしたか?」
「そうね、気を付けて。真白君、耳が良いから」
「それ、先に知りたかった……」
気を取り直して。後でとばっちりを食わないか身を竦ませている笹木嵐へ、私は前を向けと叱咤を飛ばす。
「しっかり見ていなさい。天才の魔法なんて滅多に見られるものじゃない」
「お褒めにあずかり光栄です!」
真白は重力を感じさせないほど軽やかに宙を舞う。体をひねり、少年たちの頭上へ飛んだ。蜘蛛の子を散らすように空間が作られ、彼らの調和を乱すように着地する。
甘い、なんて甘い子たちなの――
歴戦の感覚が呼び起こされる。ただ逃げ惑うなんて無駄でしかない。相手が宙を舞っている時こそ攻撃を仕掛けてやればいいのに。真白なら対策はいくらでも講じているだろうけれど、それにしたって何もしないで見守っているというのは温い。