六、西の魔女
今からでも魔法を行使してやろうか。もしくは今すぐ誰かあの口を縫い付けてくれないだろうか。
「偽名ってことは、訳ありってことで、詳しく聞かない方がいいんだよな?」
「そうしてあげてください。七夏さんは繊細な人ですから」
「わかった。でもあの子、可愛いのな。あの子はいくつ――」
どすっ――
私は鈍い音など気にせず、朗らかに元の場所へ戻った。
「お待たせ。支度に手間取って、うっかり手が滑ってしまったかも。私の年齢がどうとか聞こえたけれど、永遠の十八歳でよろしく」
クロの頭には深々と包丁が刺さり、畳の上に転がっている。手は痙攣し、赤い文字で『リリーシア』と書かれていた。
「包丁使う要素なかったよね!?」
「気にしないで、いつものこと」
「いつもなの!?」
ものすごい剣幕で慌てている笹木嵐をなだめようと、私はいたって通常であると主張したのだが、逆に驚かれてしまった。そうだったかしらと、とぼけて包丁を消す。ついでに畳の染みも消しておく。
その間、笹木嵐は真白と内緒話に興じていた。
「連条さん、さっき繊細な人って……」
「繊細ですよ?」
「あ、うん、そうだね……」
それ以上言っても望む答えは得られないと悟ったのか、笹木嵐は諦めたようだ。
「それにしても七夏さんて、アレにだけはやたらキツくない?」
笹木嵐は動かないクロを指差しながら言う。
「自業自得なんですよ。アレはとても赦されないことをした。七夏さんの怒りは尤もなので、因果応報というやつです」
「赦されないこと?」
「それは僕の口からは言えません。僕まで七夏さんに叱られたくありませんから」
真白からにこりと微笑みを向けられ、私は不貞腐れたように顔を背けた。
「ところでえっと、七夏さん? そのハイレベルなお茶菓子は一体……。絶対断言できるけど、うちの冷蔵庫にそんな物は入ってなかったよね!?」
そんな物と称されたパフェを三つ、テーブルに並べる。一番下からヨーグルト、カットフルーツの缶詰、コーンフレーク、生クリームにバニラアイス。さらに生クリームのトッピングにイチゴジャム添え。ちなみに一緒に出したスプーンは笹木家から借りたもの。
「パフェが食べたいと思って、材料は昨日買っておいたの。私物召喚で自宅の冷蔵庫から取り寄せたから問題ないわ。みんなで食べたほうが美味しいでしょう」
「七夏さん、甘党ですよね。僕は気持ちだけでお腹いっぱいです」
「ではヘタレな真白に代わって、私がいただきましょう」
何も言っていないのに復活したクロは、既に私が作ったパフェをほおばっていた。
「お前に許した覚えはない」
「さすが私のリリーシア! パフェのアイスと相まって、その視線に身震いします。とても美味しいですよ!」
「誰がお前のっ! もういい、私は縁側で食べる。いい!?」
家主に承諾を求めると、私の剣幕に押されて何度も頷いていた。
こいつと仲良く並んでスイーツタイムなんて、味は良くても気分が悪い。少しでも距離を取りたくて、私は自分のパフェとお茶をトレイに乗せ一人で縁側を陣取った。
アイスが溶けてはいけないと無言で食べ続ける。冷えたアイスは熱くなった頭までも冷やしてくれた。
一人だけ何も食べていない真白は、暇つぶしに付属している定期購読誌見本のページをめくっている。
「連条さん、それは?」
何もかもが目新しい笹木嵐は疑問を投げかけている。
「月に一度、連盟が発行している広報誌です。魔女の世界をより知ってもらうという目的で、今回は無料で付けておきました。あと広報誌意外にも、契約すれば新聞だって毎日読めますよ」
さり気なく新聞勧誘も怠らないとはぬかりない。いいぞ、もっとやれと密かに応援していた。
「何が書いてあるの?」
「普通の雑誌と変わりないです。パフェがひと段落したら見ますか?」
「ホント!? いいの?」
「いいも何も、これはあなたに宛てたものです。まったく、先に目を通しておいてくれればいいものを」
「えーと……、俺の気のせいだったら悪いんだけど。連条さん、性格悪いって言われたことない?」
「もちろんよく言われますが何か」
さすがに初対面でも気付いたようだ。地味に傷口を抉り続ける彼の性質の悪さに……。
「あ、言われるんだ……」
「僕の性格が悪いとしたら、それは師匠の影響ですかね」
「師匠?」
「魔法のいろはを教えてくれた人で、大切な人です」
「師弟関係ってやつか! なんか、それってかっこいいな!」
……こ、これだから素直な人間は!!
ちょっとくらい恥ずかしがって言葉を濁しなさいよね、直球で恥ずかしげもなく言ってくれて!!
器をもつ手が震えている。そっぽを向いていて良かったと思う。こんな赤くなった顔を見せてやるつもりはなかった。
私がうろたえているうちに、笹木嵐は雑誌を読み始めていた。
「えーと、一大特集は『特許取得! 不治の病、茨病に希望の光!』と。えっと、これどういうこと?」
「魔法界で話題のニュースです。書いてあるでしょう、またも西の魔女によって新薬が開発されたと。茨病はついこの間まで永遠の眠りに落ちるという不治の病だった。それに対抗する薬が開発されたんですよ」
「西の魔女? ええと、『特許主の正体は謎に包まれている。特許を申請した西の魔女は国籍、性別年齢共に非公表。人魚病、白鳥返り、これまでにも魔法界に革新をもたらした魔女であり――』って、なんか、凄い魔女がいるって話?」
「そうです。それが正体不明ともなれば世間が注目しないはずがない。本人は知られたくないから隠しているというのに、詮索なんて迷惑な話ですね」
「でも、やっぱそれだけ凄い人がいたら、正体も気になるって!」
笹木嵐は興味深そうに文字を追っている。
「西の魔女の正体に迫る? へえ、こんな記事まであるのか! 『西の称号を関する件の魔女は連盟設立の立役者であり、現在の魔法界の礎を築いたいわば創造主である。編集部は長年に渡って西の魔女の正体を掴もうと取材を重ねているが、未だ成果は得られていない』ね。謎の魔女に、コードネームなんて、かっこいいよなー」
「コードネーム?」
「この西ってやつ、違うの?」
「ああ、偉大な魔女や有名な魔女には自然と二つ名がついてくるんです。公式非公式はともかく、あだ名のようなものですね。方位を冠する魔女は四人いて、いわゆる四強ですね。その中でも西の彼女はウィッチクイーンの称号を何度も冠した伝説級の魔女です。ちなみに称号は代替わりをすることもあるんですが……」
「ウィッチクイーン?」
「年に一度、優秀な魔女及び魔法使いを選出するんです。まあ、あとは適当に読んでおいてください」
笹木嵐を適当にあしらって、真白は私の隣に座った。笹木嵐はといえば、深く気にすることもなく初めて目にする雑誌に夢中だ。
「……それで、どうしてここに?」
私は庭から視線を逸らすことはせず問い詰める。午後の穏やかな陽気に釣られ、塀の上では猫が欠伸していた。
「何となく、七夏さんの背中から寂しさを感じまして。これは僕が傍にいてあげないと、という使命感に駆られました」
「勝手に変なものを感じ取らないで」
真白はふわりと私の髪に手を乗せた。ここにいるよとでも言うように優しく撫でてくる。
「この私を子供扱いしているの?」
「とんでもない」
「だとしたら、慰めもいらない」
「そんなつもりはありません。ただ、あなたの傍に行きたくなっただけです。僕にとって、あなた以上の存在はありません。好きな人の傍にいたくなるのは当然ですよね。理由が必要ですか? 必要ならいくらでもでっちあげますけど」
「……隣、許可する」
「光栄です」
折れたのは私。真白はどこまでも平然と喰い下がるので、終わらない問答を続けるのも一苦労だった。