五、打ち砕かれた使い魔の夢
「言葉のあや、気にしないで」
深く追及される前に話を逸らしてしまおう。
「笹木嵐、私たちに倒すべき敵は存在しない。それでも魔女だからと特別な何かを期待しているのなら、連盟職員を目指しませんか? 試験は厳しく部署によっては危険も伴うけれど会費は免除される。ちなみに副業可」
「……副業、可なんだ」
「稼ぎたい人はご自由にってことですよ。方法は色々ありますし」
笹木嵐は更に考え込んでいる様子だ。人には悩む時間も必要なので急かすつもりはない。
大切なことは、ゆっくり考える時間が必要だから……
「あとはそう……ちなみに更新を忘れると、ペナルティーでこの人みたいに数日間の魔法使用停止処置になる。簡単に言えば、いわゆる免停になるから気を付けて」
「うわー、身近な例え。あれ、でもさっき……」
魔法を使っていたと言いたいのだろう。
「職務上、私たちは本来免停されている暇はない。職員には特別措置として同業者が付き添えば問題ないというルールが、つまり私は保護者。それもこれも真白君が手続きの更新を忘れ、再チャンスの講演会をさぼり、のうのうと寝ていたから悪い!」
思いきりテーブルに手をついたせいか、お茶の水面が揺れていた。
「えーと、七夏さん。彼、脅えてますからその辺で。笹木さん、細々とした規約は手引を参照してください。本が面倒ならウェブ版もあります。キューアールコードをダウンロードしてくださいね」
こうして最低限の説明を終え、あとは彼の結論を待つこととなった。
「魔女かあ、なんか突拍子もない話だな。それを信じる俺もどうかしてるけど、嘘とは思えないんだよなー。俺、こないだコップを宙に浮かしたりとか、超常現象起こしちまったし」
「目撃者がいなかったのは幸い」
「一人だったし、一度きりだったから、俺自身も夢かと思ってたくらいだよ」
「けど、連盟の記録には残っていますよ。だからこそ、新たな魔法の気配を察知して通告を送ったというのに。貴方という人は……」
怨みがましい真白の視線から逃れようと、彼は強引に別の話題を探しているようだ。
「な、なあ! 魔女ってことは使い魔とかもいる?」
純粋な興味を宿した眼差しが向けられた。
「……」
「……」
私と真白は揃って口を閉ざしてしまった。
「ん? どうし――」
「んんー? 誰か私を呼びましたか?」
呼んでもいないのに、面倒な奴が起きてしまった。真白もお手上げのように肩を竦めている。
「これはこれは、お会いしたかったですよ」
「これっぽっちも会いたいと思ったことはない」
「またまた、照れる姿も可愛らしい人ですねえ」
嫌味は軽く流され、柔らかい手で頬を突かれる。
「ちょ、な、何その黒いの!」
笹木嵐は自らの目を疑いながら、それを指差している。
「君が噂したのではありませんか。わざわざ参上してさしあげたというのに、黒いのとは失礼ですねえ」
「ま、まさか、これが使い魔ぁ!?」
烏やら、猫やら動物を想像していただろう笹木嵐の絶叫もしかり。
そもそも私は使い魔なんて認めていないし、使い魔届けだって承認した覚えはない。昔「私の記入欄は完璧にしておきました。手間を取らせてはいけないと、あなたの欄も書いておきましたよ。あとはさあ、婚姻届のようにココにあなたの名前を記入するだけの簡単なお仕事です」とかのたまったので、その場で破いて燃えカスにしてやった。
「だって、もっとこう可愛いの想像してて! こんな……てるてる坊主にしか見えない物体で、三角の目が二つと四角い口と、首に赤いリボンをしてる得体の知れない人形が使い魔なんて……ふわふわもふもふどこいった!?」
なんとも的確な表現だ。
「ほほう、言いますね少年。口は災いの元と知れ。私を蔑んでいいのは、この世でただ一人。愛しのリリーシアだけです」
「お前を使い魔と認めたことはない。勝手に出てくるな」
「そんなっ! つれない人ですねえ、もう!」
容赦ない言葉を浴びせたというのに、どうして頬を赤らめる?
何故嬉しそうに言う? 心底鬱陶しい。
これは自称使い魔、名前はクロ。その名の通り黒い物体、黒いてるてる坊主にしか見えず、重力を無視して飛ぶ姿は不気味と表現する他ない。詳しい正体は私も知らないどころか、本人すら長い時を彷徨いすぎて見失っている。
「は、はあ……」
笹木嵐は脱力している。無理もない、現実なんてこんなもの。早いうちに知れてよかったと、私は声なく同情する。
念のため、それらしい使い魔もいることは述べておく。動物然り、人外しかり、使い魔届けを提出して登録さえすれば誰でも使い魔を名乗れる。
私は動物が得意ではないし、人外にしても自分の運命に巻きこむのは気が引けるので誰とも契約を結んでいない。もちろんこの、普段はストラップに擬態している怪しげな物体も断じて違うので誤解しないように。
「話が逸れたけれど、君には整理する時間が必要ね。お茶のお代わりは私に任せて。真白君はそいつを見張っていて」
「かしこまりました。クロさん、僕の手を煩わせないでくださいね」
真白とクロが睨みあう姿を横目に、私はキッチンを借りることにした。
離れた場所から男たちの会話に耳を傾けお茶を注ぐ。
「連条くん……いや、さん? 様?」
「様って……。好きに呼べばいいじゃないですか。様は却下ですけど。あと、タメ口で構いませんよ」
「じゃあ、連条さん。連条さんて、あの子もだけど、そんなに若いのに働いてるの?」
彼らが真面目な話をしているにもかかわらず、クロはその辺をふよふよ飛んでいた。
ハエ叩き? 虫取りあみ? 魔法で出すべきか真剣に悩むが人様の自宅で暴れるのも気が引ける。
「人手不足は深刻なんです。魔法界も高齢化が進み、大戦世代がこぞって退職していますから、若手育成に力を入れているんですよ。ちなみに僕はまだ大学生なのでバイト兼インターンシップという扱いになっています。一応、七夏さんと同じ部署に内定をもらっています」
「……なんか、現代社会と変わらないんだね」
また彼の憧れが砕ける音がした。
「当然です。魔法が使えることを除けば、普通の人間。だいたい人間の歴史と同じことが魔女の間でも起きていますよ。世界大戦とか連盟設立とか法案設立とか」
「はあー、何とも面倒くさい会話ですねえ。私のリリーシアの帰還はまだですかぁー?」
あからさまに割り入ったクロは邪魔以外の何者でもない。それは真白も同じようで窘めている。
「クロさん、黙っていた方が身のためですよ」
「お前の指図を受けてやるつもりはない。何故なら私はお前が大嫌いだ!」
四角い口(?)から、短いながらも赤い舌を出して威嚇している。
「奇遇ですね、僕もです」
既にクロは真白を無視して部屋を漂っている。笹木嵐にいたってはクロが笑うたびにビクついていた。
「リリーシーアー、リリーシーアー、愛しのリリーシアー! 花の顔、雪の髪、我が愛しの君ー」
歌のような旋律を紡ぎ始めるクロ。残念な歌詞を除けば、良い声なのがさらに残念。
「ところでそのリリーシアって何?」
「七夏さんの本名です」
真白、そこは上手く誤魔化すべきところよ。何を勝手に偽名宣言してくれているの。名前を変えている意味!
「え、偽名とかあるの? えっと、リリーシアさんって、名前からして明らかに日本人じゃないよね?」
「まあその、彼女は少し特殊ですから」
真白はようやく言葉を濁してくれた。それは助かるけど、ちょっと遅い。
「その通り、彼女こそは奇跡の凶運。その名も呪いコン――」
「クロさん。それ言ったら頭と胴体が離れるか、そのまま軒先に吊るされますよ」
正解。
真白のおかげで私は何もせず、手にしていた杖を元の場所へ戻すことができた。だというのに……
「それがリリーシアからの愛だと!? なんとも重たいですねえ、ですが愛ならば仕方ありません。私はこの身をもって受け入れましょう! なんなら愛しのリリーシア二番、聴きますか?」