八、冬の海は荒れる
前回の話から続いております。
少しでもお楽しみいただけますように!
視界いっぱいに広がる青――
ガラスの向こう側はなんて幻想的だろう。色鮮やかな魚たちは自由に泳ぎ回り、まるで自分自身もその一部になったよう。ここにいれば時の流れを忘れそうになる。
つまりは……
「楽しかったですね」
その一言に尽きるのだ。しかし真白は躊躇いもなく言ってくれる。
「それには同意するけれど……」
煮え切らないのは肝心の海洋魔法講座がまだだから。いったい私は何をしに来たのか……外、もう暗くなっているのだけれど。
素直に認めるけれど、楽しかったのよ。だからありがとう、真白。
これまでの私に水族館を楽しんでみようなんて余裕があるわけもなく。
友達(?)と水族館に行くなんてあまりに普通の経験。でもその普通にこそ憧れていた。きっと隣にいるのが真白でなければ今、私はここにいない。真白なら何かが起こっても大丈夫と、心のどこかでは安心している。
でもこれは良くない傾向。真白に甘えているみたいで、とてもいけないこと。私が師匠という立場なのだからしっかりしていないと!
「まだ肝心の魔法を教えていないわ」
しっかりしなさい、七夏リリ。私は魔女で真白の師匠。友達ではないのだから。
「あはは! まだ一日は終わってませんて!」
「すっかり日が暮れているけれどね」
水族館を堪能し、イルカショーまで見ていればさすがに時間も遅くなる。
「それでは海の方へ移動しましょうか」
良かった。このまま終わってしまったら、本当にただのデートと思わざるを得ないところだ。
早急に海岸へと移動すれば、冬の寒さ、日暮れの早さ、さらには平日ということもあって見渡す限りに人の姿はない。
「物好きは私たちだけのようね。だからといって目隠し作業を怠らないように」
「はい! 念のため貸し切りにしておきましょうか。話は通しておきましたので、後は連絡を入れれば済みます」
――バシャン!
沖で水しぶきの音がする。
まるでさっきまで見ていたイルカショーのように大きなものが水面を打ったような。海の方を見れば風もないのに水面が激しく揺れていた。
「……何かしら?」
「さすがに野生のイルカ、はないですよね」
「でも何か大きなものが、いる、はず……え?」
それが再び海中から跳ねたことで、言い切る前にその正体は判明してくれた。距離は遠いけれど、肉眼でもはっきりとわかる。
「えっと、七夏さん。あれ何ですか?」
真白は冷静に答えを求めた。だいぶ非現実的事象に耐性がついたわね。
クジラのように巨大な体に長い角を生やした生物は明らかに日本の海域に生息していない。というか海外でもアウトね。表面は鱗に覆われ、クジラとも魚とも言い難い生物だった。
「明らかに普通じゃないものよ。真白、すぐに貸し切り申請を。それから、この海域から出さないで!」
正体よりもまずは騒ぎをおこさせないことが先決。スマホを起動させながら指示をとばした。これは真白に任せて問題ないので私は対処法を探さないと。
「これね。先週逃げ出したという届け出が――っ!?」
それがこちらへと向かっていた。巨体なくせに泳ぎは速いらしい。
大きなヒレで水面を叩き身をよじる。浅瀬の海岸が窮屈だったのか、それとも人間に対する攻撃性があるのか分からないけれど、鱗が矢のように襲い掛かった。
真白は二つの魔法を展開している最中、これ以上負担はかけられない。
急いで防壁を張ったけれど……一撃二撃を防ぐことは出来ても全弾防ぐことは難しい。
私は海には嫌われている。もちろん時間をかけて準備すれば完璧に防いでみせるけれど、海水を帯びた鱗は急造りの防壁で凌ぐには心もとない。
ほら、もう綻んで――
「真白!」
庇うように真白を引き寄せ抱きしめた。私の過失で真白に傷を負わせるわけにはいかないもの。
鱗が頬をかすめた。手にも浅い切り傷が走る。背中にも何本か刺さったみたい。針のように鋭いけれど、矢ほど殺傷能力は高くないのが幸いだ。あと一応、私の血は赤い。
「七夏さん!?」
抱き着かれた真白が引き剥がすように肩を掴む。
「このまま! 大人しくしていて。海とは少し、相性が悪いだけ」
もっとちゃんと魔法を展開すれば問題なく凌げるのよ。今からそれを証明してあげるから見ていてね。
「真白。手を煩わせて申し訳ないけれど防壁を張ってもらえる?」
「すぐに!」
「ありがとう」
言い終える頃には真白の防壁が私たちを守ってくれた。これでもう攻撃の心配はないだろうと真白から離れる。
「七夏さん……」
痛ましそうに見つめる真白の視線は私の傷に向けられていた。
「心配することないわ。後は水の檻で捕獲して連盟に転送すれば解決」
杖を向け意識を集中させる。もう同じ失敗をするものかという意地も含まれていた。真白には情けない姿を晒したくなかった。
海水を操り球体の檻を作る。もう鱗一枚だって外へはださない。
それから危険生物を保護したことを伝え、転送することで任務は完了した。
騒ぎで魔法抗議どころではなくなってしまったけれど、これもまた真白にとっては勉強になったのかしら? 予定はだいぶ変わってしまったけれど。
「どうして庇ったんですか」
とても不満そうな問いかけ。苦痛を耐えるような表情に怪我はないかと不安を覚えた。
「私の采配が悪かった。私のせいなのだから当然ね。それに怪我なんてすぐに治るから。君は平気?」
「平気じゃないですよ!」
「どこか怪我を!?」
とっさに抱き寄せた時に感じたけれど、真白は大人へと成長していた。出会ったときは同じくらいの身長だと思ったのに、もう軽く越されていた。背中だって広くなって、逞しかったもの。私の体では庇いきれなかったのかも。
「怪我なんてするわけないじゃないですか! 七夏さんが、守ってくれたんですから……」
怒鳴られた。そうかと思えば絞り出すように辛そうな叫びへと変わる。
「平気じゃないのは貴女の方でしょう!?」
苛立たし気に距離を詰めた真白が私の頬に触れた。そこには痛みを感じたから赤い線が走っているはず。でもね――
「平気よ。もう治っているから」
ハンカチで拭えば頬には傷なんて跡形もない。腕も背中も、浅ければもう治っている頃。
「そう怯えないで、と言っても難しいかもしれないけど。だから私のことは気にしなくていいの。そんなことより、おかげで講義どころではなくなってしまったわね」
互いのためにも体質についての話題にはあまり触れない方がいいと思う。だからそっと話を逸らしていた。
「あんなの口実です。本当は、七夏さんと一緒に出掛けたかっただけですから」
「……気づかないようにしていたのだけれど、薄々そんな気がしていたわ」
ため息とともに出たのは本当に不満だけ?
そんなことないくせに。私だって、楽しかったもの。
水族館なんて場所、今まで無縁だったから。連れてきてくれるような相手もいなかったし、一緒に行くような人もいなかった。
でもこんな珍しいことも、最初で最後。
「私と一緒だと、不自由が多くて面倒でしょう」
検挙率トップといわれているけれど、この体質が引き寄せたものだって多いはず。
検挙率トップ、さすがは西の魔女――色んな褒め言葉を貰うけれど、どれも私に取っては重荷でしかない。そんなものより普通でいたい。平穏の中で生きてみたいのにね。
「その私を外出相手に選ぶなんて君、どうかしている」
きっともう、真白と仕事以外で出歩くことはない。もしくは修行以外か。真白だって今日学んだはず。私という存在の厄介さを。
「七夏さん。僕、これからもっと『どうかしている』発言をすると思いますが、正気なので覚悟してくださいね」
「はい?」
にっこりと、それはそれは音が聞こえそうなほどの笑顔に頬が引きつる。
これ以上、何か?
……そう、このお話、実はまだ続きます。
早く続きをお届けできるよう頑張りますので、お時間ありましたらまた読んでやってくださいませ。




