三、呪い解きツアー
前話から少しだけ季節が進んでいます。
私は変わらない。でも季節は変わるもの。
どのくらい変わったかといえば……ストロベリー押しだったカフェがパイナップルに鞍替えしている。真白の手にかかれば美味しく提供されることだろう。そんなことを考えるくらいには彼の腕前を信用していた。
早く帰って食べたい。夏だから、看板メニューにはかき氷の文字が――
世間の暑さから切り離された清涼な空気の中で思った。
そう、私は現在本社から遠く離れた日本の某県山奥にいる。有名な豪雪地帯で、夏も冷ややかな冷気と融けきれなかった雪が登山者を拒むと有名な。
どうしてこのようなことになっているのかといえば。一言で説明すると、呪いを解くためだ。
最悪の七十二の呪いから時を経て、この体に巣くう呪いも減少している。私自身が強くなり未然に防いでいることと、積極的に解除に奔走した結果のたまもの。
例えば【目が開かない呪い】
こんな呪いに屈している私じゃない。自分の力で光を取り戻してやったわ。
例えば【声が出ない呪い】
奪われたの。けれどまたこれも自力で取り返してやった。
そんなことを繰り返すうちに呪いの数も減っている。本当に厄介なものは消えてくれないけれど! 主張するようにストラップが揺れる。
日本支部に勤務してから四カ月あまり、これは私に与えられた小さな夏休みともいえる。シフトを組んでいる室長のご厚意、ならばと一人呪い解きツアーを開催しているところ。
私の呪いは世界各国から多種多様に集まっている。私個人を標的にしたものから、私が引き寄せてしまったもの、はては偶然の産物まで。
特に偶然は厄介すぎる。私を狙ったものなら個人を特定し、呪い返すか完膚なきまでに悔い改めさせることが出来るけれど偶然となればそうもいかない。
まず相手の特定が難しい。個人かもしれない、あるいは執念の塊かもしれない。そこからの分析となれば時間もかかる。
保有している呪いの一つに……呪いホルダーみたいでこの言い方も釈然としないけれど! とにかく、【触れたものを凍らせる呪い】というものがある。当時は制御しきれず屋敷中を氷漬けにしては滑って転んでいたけれど現在は自分の力で抑え込んでいる。
今日は胸のチョーカーにはめたルビーの宝石に制御呪文をかけてきたけれど、決して【解けた】わけではない。この宝石が砕ければ呪いが溢れだす――そんな恐怖が常につきまとう。簡単に砕けるほどやわな呪文はかけていないけれど、いつでも恐怖が隣に潜んでいる。
「こんな生活、もう嫌なのよ」
ぎゅっと拳を握り山を登る。服装はいつものスーツ。さすがに足元はブーツにしたけれど、軽装で山を登る姿は異様なことだろう。
空を飛んだり、魔法を使えば目的地までは一瞬。けれどそうしないのは過程も重要だから。
この呪いは誰にかけられたのかわからない類に分類される。いわゆる引き寄せてしまった偶然ね。だから解呪方法も独自に研究したものを現在実行中の段階。
こうして一歩ずつ、自らの足で目的地へたどりつくことが大切なの。面倒だろうと、そこから呪い解きの儀式は始まっている。
踏みしめた地面から私の力を注ぎ込む。山一帯に溶け込むように浸透させていく。
山頂に着くと小さな洞窟が見えた。迷わず侵入すれば、快く私を迎えてくれるようだった。当然ね、このために山中に力を送って浄化したのだから。手応えはあったと思われる。
「応えてくれて嬉しいわ」
行き止まりだ。そこには小さな飴粒ほどの結晶が浮いている。
まるで呑めと、差し出されているようだった。
「ありがとう」
躊躇うことなく私は呑みこむ。だって仮に、これが猛毒だとしても私は死ねないの。躊躇う必要なんてどこにもない。たとえ新たな呪いの芽だとしても今の私なら跳ね返せる。
「あっ――」
実際はそんなこともなくて。これは山からの恩恵、自然の恵みともいうべきか。
体の内側が作りかえられていく――この表現は正しくないか。あるべき姿に戻るというべきか? だって本来、物を氷漬けにしないことが正しいことだもの。
呑みこんで、終り。
本当に? これで一つ、解放されたの?
両手を見つめる。何の変哲もない、見慣れた掌だけれど……試してみたかった。
チョーカーを外し、役目を終えた宝石が足元に転がる。
転がった宝石を一瞥すると反響するように足音が響いていることに気付く。一つしかない入り口から、確実にこちらへと近づいている。
浮足立っていた。気配を察知するのが遅れるなんて!
これが戦争なら命取り。平和な時代に感化され過ぎて――
「ねえ、どうしているの?」
けれど、ひよっこり顔を覗かせる相手には見覚えがありすぎて。
「その様子だと呪い、解けたみたいですね」
ここが閉ざされた山の奥地で、頂上の洞窟でなければありふれた会話。けれど私は一人呪い解きツアーの最中であり。
「答えになっていない」
「授業が終わったので会いに来ました」
「ここに!?」
ここは真白の暮らす県ではない。
高校生の放課後の予定には相応しくない。友達と遊んでいなさいよ! 君、話していたでしょう。高校ではクラスメイトとも仲良くやっていると。
「私の痕跡を辿ったのね」
今更真白の才能に驚きはしない。驚いているのは山にいることについてだ。理由がないもの。
「今日は、というかしばらく講義は休みだと伝えたでしょう。まさか通学路だったなんて粗末な言い訳はしないわよね」
「はい。でも納得はしてはいません」
「は!? 納得するしないの話じゃない。しばらくは呪い解きに忙しいと話したでしょう!」
「手伝いに来ました」
「君に手伝われるほど困っていないの」
嘘つき、嘘つき――
心が叫ぶ。声に出してはいないのに、どこまで反響して付き纏う。ずっと、ずっと、困っているくせいに。強がってばかりで可愛くない女。
「なら、見学でも構いません」
「構うわ! 帰りなさい、――って聞いているの!?」
真白は無視して距離を縮めてくる。
「え――?」
洞窟に光が差したような気がした。気のせいだとわかっているけれど、真白がいる場所は酷く明るくて、私には手が届かないようで――
「あ、本当に呪い、解けたんですね。おめでとうございます」
あまりに自然で、何をされたのか理解が追いつかなかった。
するりと指の間を抜け絡められる。まるで恋人のように指を絡め、私と真白は触れ合っていた。
「君、自分が何をしているのかわかっているの!?」
「はい」
声をあらげるのも当然。まだ確証もないのに、私に触れるなんて愚かな行為としか言えない。
「氷漬けになるかもしれないのよ!」
「でも解けたんですよね?」
「それは、そうかもしれないけれど……」
だからといって、試していないのに一番最初に触れるのが人間は難易度が高すぎる。
「もしそうなったとしても七夏さんが助けてくれるじゃないですか」
その信頼はどこから来るのか。
「君、私に信頼を置き過ぎ」
「七夏さんが僕を信じてすべて打ち明けてくれたんですから、僕が貴女を信じるのも通りです」
「それは、成り行きで!」
不慮の事故で転移に巻き込み、宿敵確保の瞬間までを目撃されてしまった。弟子となる相手に記憶措置を図るのは信頼関係を築く上でやりたくはない。それならばと、半端に気にされるより先にすべて話してしまった。この身体に宿る呪いの数々、私が辿った長い長い人生を。
「本当に、凍ってしまったら私、君のご両親に申し訳がっ!」
もう一方の手が絡めとられる。
「ちょっと、聞いているの!?」
見せつけるように感触を確かめられ、私の視界には真白だけがいた。
「その時は、ぜひ七夏さんの部屋に飾ってくださいね」
「お断りよ」
「さすが手厳しいですね」
「……ただでさえ趣味の悪いストラップがいるのに、氷像なんていらない。絶対に助けてやるんだから」
「はい、信じてます」
「そこ、嬉しそうにしないで。帰るから手、離して」
「もう帰るんですか?」
「君を見ていたらかき氷が、食べたくなった」
「新しく始まったパイナップルソースがお勧めですよ」
「……食べる」
真白の手が離れていく。その時間をやけにゆっくりと感じていた。
離れた真白は手際よく魔法を起動している。
誰かと呪いが解けた喜びを共有するのは久しぶり。私には喜びを分かち合える友達も家族もいない。だからこんな風に、誰かと喜びを分かち合うのは本当に久しぶりで。
繋いだ手が温かくて、真白の笑顔が優しくて――
悪くないと、そう感じていることに驚いた。
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