五、絶望と希望
長年追い続けていた仇を捕らえることに成功した私は人生最大の達成感に満たされていた。
でも、それでも私の願いは叶わなかった。
嘘でしょう……
鎌はとっくに手から滑り落ちていた。いつ手放したのかも覚えていない。
花が散るようにドレスが消えていく。もうこんな格好に意味なんてないのだから、どうでもいい。
私も、そうして消えてしまいたい。
戦いは呆気ないほど静かに終わった。
腕の一本や二本、覚悟していたのに驚くほど何もなかった。それどころか魔法の出番さえ回ってこなかった。ほぼ肉弾戦で仕留めたも同然だ。私は自分でも気付かないうちに強くなりすぎていたのかもしれない。
戦いが終わり、もたらされたのは歓喜ではなく絶望。
だって、やっと、私を呪った張本人を捕らえたのに、それでも呪いは解けなかった。
「リリーシア、そう落ち込まずに!」
「お前に慰められるなんて、滑稽すぎて……」
私も消えてしまいたいと思った。
でも、それはまだ。私のような悲劇を生み出さないためにも、この男を野放しにしていいはずがない。
「解けないのなら、私の呪いが解けるまで見届けてもらう。それがお前の償いよ」
男の胸ポケットから覗く黒いスカーフを奪う。適当に積もっていた雪で小さな玉を作り、それで覆った。自分の襟に巻いていたリボンをほどき口を縛るように結ぶ。逆さまにすれば雪入りてるてる坊主の出来上がりだ。
『融けず、朽ちず、滅びず、この身は永遠に存在し続ける』
これでてるてる坊主は永遠に不滅。もちろん中に入れた雪玉が壊れることも融けることもない。
『汝には罪の償いを――』
次は制約の術式。
てるてる坊主を男に突きつけた。
「リリーシア!? その呪文は一体、何をしようというのです!」
てるてる坊主が震え、そのスカート部分から黒い霧が生まれ男を浸食する。一見すればただのホラー現象でしかない。
『この契約は制約の実現をもってのみ放棄される』
「んなっ!」
ことの重大さに気付いたのね。
たとえ私が何らかの理由で行動不能になったとしても魔法は継続される。そう簡単に逃がすものですか!
霧に全身を呑みこまれた男は見る影もない。あとは巨大化したてるてる坊主によって呑みこまれてしまった。カーテンがはためくように、そのスカートの中に姿を消した。
コロン――
氷の上に転がったそれには三角形の目が二つ、四角い口が一つ。不気味な表情をした人形の完成だ。
郷にいっては郷に従え――日本にはそういう格言もある。呪いを解くため、私はあらゆる呪いを研究した。これはその一端で会得したもの。
「お前がその体から解放されるのは私の呪いが解ける時」
「な、なんて非道な!」
三角の目からは涙が流れている。だから泣きたいのはこっちよ!
「お前に言われたくない。まず今日一日はここで頭を冷やすことね」
もう声も聴きたくなかった。
氷漬けにして明日また解凍することにしよう。
それからのことはあまり覚えていない。
たくさん時間が経ったのかもしれないし、ほんの数分だったのかもしれない。連盟に報告とか、日本支部に挨拶とか、することはたくさんあるのに何も考えられなかった。
私、これからどうしたら――
誰か、誰か答えを教えて!
「ねえ。あんた、泣いてるの?」
連条真白だ。平然と、さも当然のように背後に立っていた。彼が言うにはどうやら私は泣いていたらしい。
「どうしてここに?」
北海道まで連れてきたのは私の失態だけれど、街中にいるはずがどうして……
「なんとなく、ここにいる気がして。連れてきてもらった」
さすが天才。もう私の痕跡を追えるのね。
彼を連れてきた思われる連盟の職員は二人。女性と男性のペアで、少し離れた場所から検分している。まあ、この現場を見て迂闊に近づこうなんて思えないわよね。それが正しい判断。彼はまだ魔法世界に疎いから私のそばにこられるだけ。
「私、呪われているから、あまり近づかない方がいいわ」
「なんで? あんた普通の女にしか見えないけど。そりゃ、魔法とか訳の分かんないこと言い出す変な奴とは思ったけど、夢じゃなかったし」
普通という言葉は私にとって小さな救いだった。
「信じる気になったの?」
「あんたの魔法、見せてもらったから。強いんだ」
私も彼も頭が冷えたのだろう。幾分か冷静に話し合えるようになっていた。こうして対峙すれば言葉の通じる少年だ。
「そう……」
どうやら私の戦闘は中継されていたらしい。別に違反はしていないから問題ないけれど。
「詳しい説明、まだよね」
「別に、急がなくていいし。あんた泣いてるじゃん。普通にさ」
まるで一戦まみえた後のように手が差し伸べられる。別に私と彼は戦っていないけれど、そんな雰囲気だった。
西の魔女が少年に手を差し伸べられるなんて――
おかしな光景だと苦笑しながらも笑えたことに驚いた。彼が私を普通と呼ぶから、嬉しかったのかもしれない。今の私には何よりの慰めだった。
「ありがとう」
「そこの貴女!」
明らかに強い口調で日本支部の職員と思わしき女性が詰め寄る。
「いったいこれは何の騒ぎです!? 危険がないことは確認が取れましたが、我々日本支部に断りもなく違反もはなはだしい行為ですよ!」
日本支部だって無能じゃない。あれだけの騒ぎを起こせば当然の文句だろう。
「お騒がせして申し訳ありません」
「いったいどこの魔女です!? こんな、断りもなく上位魔法を行使するなんて、違反切符切りますよ!」
「この度は日本支部の皆様をお騒がせして申しわけありませんでした。けれど行為自体に違法性はありません。第一級特例事案につき最上位権限行使の許可は得ています。私の行為はすべて連盟から許可されたものです」
「あ、貴女……どちらの魔女で?」
「所属はヨーロッパ支部ということになっていますので、リエラ・ブラウンの名でお問い合わせください。なんでしたら今ここで直接支部長へ繋いでいただいてもかまいません。直通回線も開けますので、西の魔女が話したがっていると伝えてもらえば」
「西!? あ、貴女が、あの!?」
「直通!? しかも支部長へ!?」
正直に話したら敬礼された。
こうなるから普段はあまり本当のことを語らないけれど、彼らには連条真白を保護してもらった恩があるので正直に答えることにしていた。これで事後処理もしやすいでしょう。
「失礼しました! 至急確認を取らせていただきます」
「あんた凄いの?」
「どうかしら……」
数分後、確認が取れると彼らは必死に頭を下げてきた。
「申し訳ありませんでした」
「いいえ。職務に忠実で頼もしい限りです」
「西の魔女殿にお褒めいただけるとは光栄の極みです!」
「確認が取れましたので私どもは戻りますが、貴女と、そちらの彼はどうされますか?」
「私が責任をもって対処します。それと、この件は口外無用ということをお忘れなく」
「かしこまりました。あの……最後に握手、よろしいですか!?」
望み通り二人と握手を交わす。
そうして海に残されたのは私と連条真白だけとなった。
「やっぱり凄いんだ」
勝手に確信することにしたらしい。
「……君も、今日見たことは話さないでいてくれると助かる」
「じゃあ、ちゃんと教えてよ。あんたが何者で、何をしてたのか」
「知ってどうするの?」
「魔法を教えてほしい」
「本気? 魔女になりたいの?」
「あんたみたいに強くなりたい。だからあんたに習いたい。そしたら今日の秘密だってばらさない」
確かにこの才能は放っておけない。今のままならただの人間だけれど、彼がこのまま成長して……魔法犯罪組織にでも目を付けられてしまったら? もしくは率先して犯罪に手を染めてしまったら。魔法が悲しみを生むために使われてしまったら……
「頼むよ。あんたが良いんだ」
あ――
真っ直ぐに私を見つめる瞳が幾重にも思い出される。
それは希望の光。
そうだ……
私にはたくさんの弟子がいる。
希望なら、まだあった。
彼を育てれば、いつか彼が呪いを解く魔女たり得るかもしれない。実際いくつかの呪いを消滅させてくれた子もいた。
まるで、まだ諦めるなと言われているようだった。
「私も、君が良い」
私の新しい希望になってくれる?
さすがに出会ってすぐにそんな重たいことは言えないけれど。
「君には才能を感じている。喜んで、連条真白。私には君が必要」
まあ、これくらいなら。期待しているくらいは伝えても問題ない?
彼が正しく力を使い、いつか私の枷の一つでも破壊してくれたらと期待した。
「真白で良いよ。あんたはリエラ・ブラウンだっけ。外国の人?」
「待って。今考えるから」
「偽名宣言!?」
「リエラ・ブラウンも偽名よ。仕方ないでしょう、本当の私は死んだことになっているの。そのことについても君にはきちんと話すつもりでいる」
前回日本支部に顔を出してからは随分と時間が経っているし、同じ名前でも良いかしら……
「リリ、七夏リリよ。私のことは七夏と呼んで」
私には君がいた。
私に希望をくれたのは真白だ。
こうして少しずつお互いになくてはならない存在になっていく二人をもう少し見守っていただけると幸いです。
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