四、氷海舞踏会
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目隠し、飛行、気配遮断――
幾重にも魔法を上掛けして海に降り立つ。冬の海は凍り、奴もそこに降り立っていた。その視線には果てしない氷の海が広がっている。
流氷と喜ばれる観光地が戦場になろうとしていた。
本来緊急回線で日本支部に貸し切り要請を申し込むのが正規のルールだけれど、今回は全部自分でやらせてもらった。あとで日本支部には謝罪しておく。
花火のように杖から閃光を放つ。頭上に灯る光は月のように地上を照らす。けれど異端の赤い色を放ち、吹雪をかき消した。それと同時に辺りは夜に姿を変える。
コートの下はスーツという可愛げのない恰好から深紅のドレスに着替える。深紅のハイヒールはあの日失くした片方を模していた。
まるで氷の舞踏会場――
あの日と同じ演出をしよう。だって役者は同じまま、違うのは時代が変わってしまったことだけだ。
「月の綺麗な、良い夜ですわね」
「これはお嬢さんの魔法ですか?」
あの日と同じ声、同じ顔が振り向く。
私は歓喜していた。私が抱いてきた感情を向ける相手は幻想ではなかったことが証明された瞬間だ。
「お久しぶりですわね」
目覚めたばかりの頃は、もう一度会うことがあれば真っ先に殴りかかるだろうと思っていたけれど、冷静だった。
「はて、どこかでお会いしていましたか? 私は日本へ来て一月、雪まつりを堪能し流氷見物としゃれこんでいたのですが……お嬢さん。あなたからはやけに芳醇な香りがするようですね」
「流氷、見物?」
そんなふざけた理由でここに?
「噂に名高い流氷が見たくなってしまいましてね。随分と美しいものですね」
しかも私を覚えていない? 一目見て思い出してみせなさい! 全部同じにしてやったの。髪の長さまで、だから私は今日まで伸ばしてきたの!
「……まるで血のような月とでも言うべきかしら?」
奴が息を呑む。そして私を、見た。
「これは……まさか、リリーシア?」
否定も肯定もしなかった。自分で考えてほしいと睨み付けるだけだ。
「ああっ、なんという運命! 遥か東の地で、まさか愛しき君と再会することが叶うとは!」
その手は愛おし気に自分の頭を撫でている。
「私に傷を残した、あのリリーシア!」
これだけなら懐かしい再開だろうけど、私たちは違うでしょう?
「私の呪いを解きなさい」
あの日から死ねなくなった。
老いることもなくなった。
私だけが世界に取り残されている。
「嫌です」
「力ずくで聞いてもらう」
「ふふっ、貴女の細腕で何が出来ると――ぐふうっ!」
最後まで聞かなかずに距離を詰め拳をお見舞いする。あえて細腕と馬鹿にされた手で殴った。そしてすぐに距離をとる。
流氷の上に倒れた男が私を見上げている。
あの時と逆。あの時の私は飛び去る姿を見ていることしか出来なかった。でも今なら――
「お前を殴り飛ばせるわ」
信じられないという顔をしてくれたので少しだけ気分が良い。
でも駄目ね。ここで油断したら駄目。私の油断を誘っているのかもしれない。
「い、いいパンチですね。死ぬかと思いました……」
空気が凍った。ただでさえ寒かったけれど、そんなものじゃない。
「死ねるの?」
「へっ?」
「私を死ねなくしておいて、お前は死ねるの?」
「え、や、あの、リリーシア!?」
「答えなさいよ。さあ、さあ早く! イエスかノーか!」
「ノー……」
「そう。なら、まずは本当か確かめないと」
「なんですと! 私が嘘を吐いていると!?」
「むしろ信じると思った? 疑って当然。もしかしたら殺して呪いが解けるかもしれない」
「乙女にあるまじき発言! 純粋さの欠片もない!」
「そんなもの遠い昔に置いてきた」
「なんて残酷な笑み! そんな残酷な笑みを浮かべるようになるなんて! 素敵ですけど貴女本当にリリーシアなのですか!?」
「恋は人を変える。復讐が人を変えたっておかしいことじゃない。この刻印が見えない?」
私の胸には薔薇のような刻印が刻まれている。あの日、私の時を止めた呪いの正体発生源だ。
「確かにそれは、私がリリーシアにプレゼントしたものですが……」
「プレゼント? 今、贈り物と言ったのかしら?」
語気が荒れる。
軽く氷点下だった温度がさらに寒さを増した。
踏み出せば私の力強さに亀裂がはしった。たとえ割れても跳べるから問題ない。
「まさか善意だというの? こんな、呪い以外の何でもないものが!?」
頭上へと杖を投げた。くるくると、杖は次第に形を変えていく。
大きく、頑丈に――白い花の模様が細工された棒は地面に突き立てれば私の背と同じくらい。季節は冬、ここは雪国だもの、刃は氷で作ろう。
意志を持った氷が伝う。這い上がり、覆い、冷気を纏う鎌の完成。
もちろん装備はこれだけじゃない。
こうして話している間に逃走防止結界は展開済み。これで『逃がす』という結果はなくなった。
最初で最後の戦いだもの。この時に備えて生きてきた。
奴の足元には魔法陣トラップを多数配置。携帯を使った遠隔魔法も起動完了。魔力切れや魔力封じにも備えて人間が使う武器も用意している。実弾もしくは魔法弾もセット済みだ。
「リリーシア?」
「解くつもりがないのなら黙っていなさい」
「ひっ、ひいいっ!」
怖れ萎縮していた私はもういない。怖れるどころか高揚している。
やっと会えた。憎い憎い、私の仇!
「沈めてやる。そうすれば、イカレタ頭も冷えるでしょう?」
「リ、リリっ――」
むしろ彼の方が怖れ気味な声を発しているような……いいえ。罠に決まっている。
「黙れっ!」
余計なことを話す隙は与えない。先手必勝――という格言が日本にはあるでしょう?
だから言葉なんて不要。私はドレス姿のまま飛び上がり踵落としを決めた。靴は衝撃に耐えきれなかったのか、脱げてどこかへ転がった。
「ぐがっ!」
私の技は綺麗に脳天へヒット、完璧な威力を発揮した。
「え?」
まったく反撃の素振りも見せず、豪快に流氷を砕きながら奴は沈んだ。
「ちょ、えっ!?」
私は流氷の上に一人ぼっち。
奴はしばらく経っても上がってこない。
まさか陸と空から逃げられないことを悟って海中から逃亡を図ったというの!?
とっさに海中へ向け叫んだ。
「でも甘いわね! この結界は画期的な円形展開をしていて海の中にだって逃亡先は――ってちょっと、聞いてる!?」
返事はない。
さすがに私も焦り、念のため標的へ向け凍結魔法をかけてから浮遊させる。
そこには見事な氷結像があった。
……まって私まだ魔法すら使っていない。
完璧な装備で決戦に望んでいた。たとえ魔力が尽きようと戦い抜くつもりで武器だって用意してきたのよ? でもこれもう決着ついてない? 確かに今しがた魔法を使ったとはいえ、これはないでしょこれは! ただの救助よ! まだまだたくさん用意していた奥の手はどこへやればいいの!?
長年の宿敵、その呆気なさにしばらく動くことが出来なかった。私は自分で思うより強くなりすぎてしまったのかもしれない。
これまたあらゆる対策の元、奴を氷から解放する。結界空間の中であれば逃げられることはないので連盟へ連行するより安全だ。もちろん周囲には魔力封じの鎖を厳重にまき、さらには魔法検知反応型のトラップも用意している。
「み、見事です、リリーシア」
何食わぬ顔で復活しているあたり死ねないという話は本当かもしれない。
「お前から何を褒められようと全然まったく嬉しくないわ。呪い、解く気になった? 一つ言っておくけれど、嘘は身のためにならない」
つまり嘘に反応する鎖でもある。このためだけに開発したものだ。
「わ、私は与えることしか出来ません! 本当なのです。ですからどうか、どうか見逃してください! い、命だけはどうか!」
まるで私が悪役のような台詞である。ふざけるなと言いたいけれど、そんなツッコミに時間を割く余裕はなかった。
鎖は何の反応も示さない。
「こんなことって……嘘、でしょう?」
嘘だと言ってほしかった。
この日この瞬間を夢見てきた。それだけが心の支えだった。
だって、目の前にいるのは私を不老不死にした相手なのに……どうして私は呪われ魔女のままなの?
「ではお嬢さん。いつかまた――ぐえっ!」
私が絶望に打ちひしがれているのをいいことに飛び立とうとする。そうはいくものかと強く鎖をひっぱった。
「解けない!?」
「そうなのです! なので私を解放しましょう。さあすぐにお願いします!」
逆に笑えてくるとはこのことだ。
「……そう急ぐこともないでしょう。時間はたっぷりあるのだから、私の呪いが解けるまで付き合ってもらう」
この先何に希望を見出せばいいのかわからなかった。何を支えに永遠の地獄を生きればいいのか、わからない。




