新入社員の業務日誌~その2
小話の続きです。
「クロがご迷惑をおかけしました。私からもきつく叱っておきますので、どうかご容赦ください」
飼い主、なのか? いや、使い魔だからそうなるのか? 使い魔契約については正直、俺には無縁だと思っていたからあまり詳しくない。
「リリーシア!? 私、何もしていませんが! あ、でも何かすれば叱っていただけるのですか? リリーシア直々に!? な、なんと甘美な響き!」
黒い物体は……興奮しているのか? 頬が妙に赤い気がする。
「さすがクロさん、信用ゼロですね。七夏さん、貴女の手を煩わせることはないですよ。代わりに僕が処分しておきます」
「お願い」
彼女の了承と共に連条君は黒い物体を片手で握り潰した。
「んなっ! 真白、貴様!」
黒い物体は彼の手の中でもがいている。
「あ、あの!」
俺はとっさに七夏さんを呼び止めていた。
「俺、第一室に配属された大野木昌洋と言います! 配属されたばかりでまだまだ未熟ですが、これからよろしくご指導お願い致します!」
「君、同じ部屋だったのね。ええ、もちろん。こちらこそ挨拶が遅れてごめんなさい。七夏リリと申します、どうぞよろしく」
なんて綺麗に笑う人だろう。まるでどこかの令嬢のように優雅な振る舞いだった。ここは舞踏会会場かなにかか? 隙のない仕草に見惚れていたと言っても良い。
「邪魔をしてごめんなさい。石井さんもお疲れ様です。どうぞごゆっくり」
先輩、名前覚えてもらえてるんだ……ちょっと羨ましかった。先輩にも目配せをしてから彼女は頭を下げる。どうやら別の空いている席へ向かうようだ。
だが彼は――連条君は、何故か俺をじっと見つめている。
「えっと、何か……あ!」
そうだ! インターンの学生とはいえ彼も同じ部屋の仲間である。俺は挨拶を忘れていたという失態に気付かされた。
「挨拶が遅れて申し訳ない! 大野木昌洋です。これからよろしく、連条君!」
「……はい」
当たり障りのない挨拶だったと思う。彼もまた気の良い笑顔で応えてくれたはず――なんだけど、なんだこの違和感? まるで作り物のような気がしてならない。
「あの、どうかしたかな?」
俺は内心ドキドキしっぱなしだった。得体のしれない恐怖と言って差し支えない。
「いえ、よろしくお願いします。ああ、すみません。七夏さんを待たせていますので、失礼します」
俺の心配をよそに、連条君は呆気なく七夏さんの元へ踵を返す。敬語も使える普通に礼儀正しい子だ。ちょっと見た目は奇抜な気もするけど、特におかしなところもない。
何だったんだ? 俺の考え過ぎか?
小さな嵐が過ぎ去り、俺と先輩は食事をとりながら仕事の話に戻っていた。そこで例のアプリを入れてみろという流れになった。
「えっと、これ、ですかね?」
ウイザードのホームページを開き、発行された社員証に記載されているIDを打ち込む。指示に従い指を滑らせた。
「そうそう、あとはダウンロードボタンを押して」
「おおっ! ホントだ!」
俺の現在地は食堂となっている。どこにいるのか正確にナビゲートしてくれた。そもそもこんな案内アプリが必要な会社という事態が怖ろしい。一体経営者はどうなってるのやら。
株式会社ウイザード、すなわち国際魔法連盟の設立については研修で聞かされた。なんでも、偉大な四人の魔女様が中心になって組織されたらしいけど、俺からすればはるか昔の遠い出来事だ。あの七夏さんよりも、これまたはるか雲の上の存在なんだろう。
指を滑らせながら、そんな事を考えていた。
「あれ?」
「どうした?」
突然手を止めた俺をいぶかしむように先輩が首をかしげている。
「えっと、ちょっと気になって。ここ! ここの機能、こうした方が良いんじゃないかなって……」
下っ端の、それも新人の俺が意見するなんてとんでもない事だと思う。それでも目の前にいるのは親しい先輩だけという安心感から口にしていた。誰に咎められることもないだろうと安心しきっていた。
「んー? 悪いな、俺技術部じゃないから専門的な事は……。お前、詳しいのか?」
「多少は機械もいじりますし、プログラムもかじってるんで」
「そうなの? 凄いのね」
「はい――って七夏さん!? どうしてここに!?」
「立ち聞きをするような真似をしてごめんなさい。デザートバイキングに出たら興味深い話が聞こえてしまって。君、面白いことを言うのね」
「す、すみません!」
「謝るようなことはしていない。むしろ立ち聞きしていた私が謝るべき。失礼を承知で話に割り込ませてもらったのは、本当に君の話が興味深かったからよ」
「お、俺の話が、ですか?」
先輩ですら専門的な話はわからないと言っていたのに、明らかに俺より年下に写る彼女は理解しているというのか?
試しに専門用語混じりに説明するが、彼女が注釈を求めることは一度もなかった。それどころか、逆に専門用語を使って質問されていた。
率直に言って、彼女と話すのは楽しかった。俺の話を遮らずに、それどころか興味深そうに聴き入ってくれたんだ。
「終業時間中なのに、ごめんなさい。良ければ明日にでも続きを聞かせてほしいわ。明日なら私もミーティングから出席出来ると思うから」
「喜んで!」
こんな俺の、正直魔法とは関係のない知識が役に立つのなら誇らしくもあった。
「ありがとう。君は技術開発課が向いていると思うわ」
七夏さんはまた見惚れるような表情で去っていった。心なしか、彼女が去った後には甘い香りが漂っている気がした。俺はその後ろ姿から目が離せなかった。
「言っておきますけど。七夏さんにちょっかい出したら、潰しますよ」
「え――」
背後から聞こえた呟きにギリギリと首をひねる。
連条君だ。実に良い笑顔だ。さっきの作り物めいたものではなく、彼は生き生きとしていた。
俺はその瞬間、ぞっとして声が出なかった。彼の背後にまさしく鬼が見えている。鬼、いや死神かもしれない。もしかしたら、次にその手に握られているのは俺かもしれないと、そんな凄みがあった。
声を忘れた俺の肩を叩き正気に戻してくれたのは先輩だった。
「あの、気をつけてな? 俺らへの実害危険度でいえば、圧倒的に七夏さんより凶悪だからさ」
「悟りました」
誰とは言わなかったけど、はっきり伝わっていた。
先輩曰く、憧れと羨望の的であり、可憐なキャリアウーマンである七夏リリを慕う男性陣は多い。非公認のファンクラブまであるというのだから怖ろしい。そんな七夏リリを慕う会をたった一人でけん制し、メンバーを震撼させているのが彼という存在であった。
嘘だろ!? だって、ただの学生一人だろ!?
そんな俺の侮りが見透かされていたのか、離れた席にいるはずの連条君と目が合ってしまった。まさか聞かれていたというのか!?
え、しかも何で杖を手にして……ま、まさか、だよね!?
とにかく俺は両手を上げ、不埒な考えなど起こしていないことをアピールした。
「気を付けろよ」
重々しい先輩の呟きに身震いする。ヤバい、完全に目を付けられた。
何人もの男性職員が彼の手で恐怖のどん底に突き落されてきたらしい。酷い奴なんて寝込むは悪夢に魘されるわで、今も連条君の顔を見ると逃げ出すとか……どんな学生魔女だよ! 絶対敵に回したくない。
「真白君、楽しそうに何を話していたの?」
「七夏さんが気にするような話じゃないですよ。ただ、これからよろしくお願いしますって挨拶しただけですから」
そんな二人の会話に混じってもう一人、いやもう一匹というべきなのか? とにかく謎の生物のわめきも聞こえていたが、とても同じ食堂の出来事とは思えないほど遠く感じた。これが一社員とエースとの壁なのかもしれない。
「先輩。俺、ここでやっていけますかね……」
俺、あの人たちと同じ第一室なんですけど。
「強く生きろよ」
今になってようやく曲者の一角と出会ったことにより、俺は働くことへの不安を実感していた。
だが、彼女がここに居合わせなければ俺の隠れた(?)才能は発掘されなかったかもしれない。それどころか書類の山に埋もれていたかもしれない。こんな平凡な俺の才能に気付いてくれたのは彼女だった。
後に俺は助言通り技術開発課に配属され開発の任に携わることになる。――て、まだまだ先の話だけどな! それまでは第一室所属として頑張るしかないようだ……
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