プロローグ
プロローグなので短めです。
柊 賢一は自室の机の前で膝を折って脱力をしていた。疲れていたのだ。今まで生きた中で一番に疲労を感じたためだった。ただ、それよりも上回る感情がある。
「何で、脱出ゲームだったんだよ……」
これは幾度となく時には絶叫までして全力で突っ込んだ事柄だった。幾度となく吐き出して馴染んだ言葉は一層の悲壮感を漂わせていた。最も通常といっても過言ではない位の御約束をぶち壊されたのだ、仕方のないことかもしれない。
だって、トリップの御約束と言えば『異世界』じゃないか! 違うにしたって同じゲームでもMMORPGとかのオンラインゲームとかだろ! 廃人とかレベルカンストは当たり前、マイナーなジョブで特殊プレイをするとかさ。俺TUEEEEEEEしたかった……。他の連中もトリップして協力していく内に仲良くなったり、デスゲームになってて必死になってその日、その日を行き抜くとかさー。現実世界に戻るのが目的だったのに、何時の間にか別の世界での日常が特別で帰還するかどうかで悩んでみたりしたかった。
無事に現実世界に戻って来れたのに微塵も嬉しそうにない彼はぼやくのだ。何で俺がトリップしたのは―――FLASHの脱出ゲームの世界だったんだ、と。
「賢一、さっさと朝ご飯食べちゃいなさい」
「分かったってばー!」
階下から自分を呼ぶ母親の声に漸くノロノロと動き出す。気が進まないが行かないと煩いのは目にみえているからだ。どうやらトリップした時から時間経過はないようなので、行方不明とかにはなっていないらしい。用意された席につき黙々と箸を動かしながら、思考を巡らせる。朝、昼、夜、と時間の移り変わりが無い要素の世界にいたために未だに変な感覚が纏わりついているみたいだった。
「ちょっと、大丈夫なの?」
「うん」
ぼーっとし過ぎたせいで、母親が心配している。元の世界に戻った影響で、体の正常な感覚に慣れていないだけなのだ。ただ、内心のがっかり感が凄いだけで。
(どーせ、元の世界に帰るなら魔法が使える様になってたとか、頭脳チートが付いたままで天才扱いされたりしたかったよ)
結局、戻って来れたとしても何も得たものはなかった。暫く脱力感やら無力感に悩まされるに違いない。再び溜息をつきそうになったのを堪えると、丁度食べ終わった。一声、御馳走様と告げてリビングを後にした。元のままなら高校に行かないといけない。利き手で学校の鞄を持つ。
▼ 学生鞄を入手しました
脳内で、アナウンスが入った気がした。聞きなれた機械音声だ。トリップした時に、探索して攻略に役立ちそうな物を入手した時には流れていた。……いや、ここ現実だし。いい加減ショックでも気持ちの切り替えをしなければならないだろう。気のせいだ。頭を軽く振りかぶって、学校へと向かった。
「あの子、一体どうしちゃったのかしら」
今日の息子は可笑しかった。母親は回想する。まず、寝起きが良かったのだ。通常、下から声をかけても一度では起きない。返事をしても生返事が精々だろう。仕方がないので二度目は部屋に乗り込んで起こす。それでもまた寝る事を繰り返すために、叩き起す事すらある位だ。高校生にもなって、母親に起こして貰うだなんて笑われるわよ! と、幾ら注意をしても聞いちゃいないのだ。ちゃんと目覚まし時計もセットしているのだが、煩いと止めてしまう。
夜中までパソコンで遊んでいるから起きられないのだ。だから、あれだけインターネットに繋ぐのは辞める様に旦那にいったのに……。と不満で一杯だった。中学校までは普通だったのに、高校から自宅にあったパソコンを古くなったからと新しくし、回線を繋いだのだ。
今時、パソコン位は使いこなせるのが当たり前だと主張して。確かに、仕事でパソコンを使う事もあるだろうがインターネットが普及し過ぎた関係で問題だって多数ある。特に息子は只でさえゲームで遊んでばっかりなのに、益々遊ぶだろう。にも関わらず旦那は息子と「男同士の約束だからな~」なんて調子の良いことばっかり。
案の条、毎日インターネットばっかりして勉強なんてしてはいないのだ。お陰で、せっかくそこそこレベルの高い高校に入れたのに一年生の成績は散々だった。二年生に進学してもう直ぐ大きなテストがあるみたいだけど期待するだけ無駄に違いない。次のテストの結果が散々であるなら、強硬手段に出るしかない。インターネットを解約してしまおう! とまで決意をしていたのだが。何か心境の変化でもあったのかもしれない。
普段だったらノロノロと来て、TVを見ながらダラダラと朝ご飯を食べるのだ。行儀が悪い時なんか、肘をついて眺めるから何度注意をした事か。遅刻ギリギリまで過して走って登校が通常だったのに今回は違った。
せめてもの抵抗で一旦電源を消していたのだがTVなんて興味ないとばかりにつける様子がなかった。きっちりと席について、黙々と食べ続けている。それでも寝起きだからか、ぼーっとはしているみたいだが、目はどこか真剣だった。何か悩みでもあるのだろうか? と、心配でも声をかけるのを躊躇ってしまうような雰囲気だ。
可笑しな息子はしっかりと食べきった後、「御馳走様」と言った。……御馳走様?!
今、息子は御馳走様と言ったのだろうか。何時も「煩い」とか「分かっている」とかしか碌に喋る事も無い息子が。
驚きのあまり、硬直している私を余所に息子はさっさと登校したみたいだった。時計を確認する。7:30と表記されていた。TVのスイッチを入れる。朝のキャスターが今日の天気を説明する左上の表示を見ても同じだ。二回、いや念には念を入れて三回確認をしたが間違いはなかった。リビングの時計が電池切れで止まっているという事はないらしい。頬を抓るが痛い。
間違いなく現実だけど、夢じゃないかしら? 母親は、嬉しい筈なのに信じ切れないという顔をした。
(いや、喜ぶのは早いわ。今日だけ何か特別な事があったのかもしれないし)
ぬか喜びの可能性を必死に思い浮かべ、逸る気持ちを抑えるのだった。