不実の代償
同性愛者にたいする差別発言があります。ストーリーの都合上の発言ですが、苦手な方は飛ばしてください。
私は震えていた。体が熱く、どこかしも痛かった。何が起こったのかはわかっていた。リヘルトは私のしたことに対して、怒った。そして復讐をしたのだ。
涙が出た。血液の一滴一滴がすべて変わり、人間から別の人種に変わってしまったことを理解する。吸血鬼の能力は吸血鬼を生み出すところにある。そして生み出された吸血鬼は創造主の血を欲しがる。それ以外にも日光に当たることができず、そして人間の血を欲しがる。
人間ではなくなり、もはやまともな方法では王都にたどり着けない。とにかく夜明けまでに、日の当たらない場所を探すしかない。
頭を何度もふり、息を整えて「大丈夫」と呟く。リヘルトを知るために読んだいくつもの本、そのなかの情報を一つひとつ思い出す。
創造主の血をのまずとも、人間の血液の頻回な接種で、生存可能。その場合、100mlの血液接種を二日に一回。日に弱くなるが、身体能力は向上する。通常の人間の食事は必要と確か書いてあった。
これでどうやって生きる? リヘルとの血があれば、一週間に一度なめる程度あれば、今まで通りの人間の食事があれば生存可能だという。けれどリヘルトはおそらくアリスとの主従契約をして、もう離れることのない関係になっているはずだ。
リヘルトはアリスといる。あの二人ならきっとミサに守ってもらえる。アリスに預けるのが最もリヘルトの安全が守れる。身体の安全も、そう心の安全も。
私はとぼとぼとこの道を歩いて、どこか……、と考えた。
とにかく日が当たれば、私は弱る。もし長時間当たれば、死ぬ可能性だって出てくる。歩かなければ。
私が行く街道が行きつく先は王国の首都である。この道は森沿いにいく小さなものであるが、少し歩けば、大きな町に行きつけるだろう。
そこでとにかく日の当たらない宿屋にでも入れてもらえれば、しのげる。
どんなときでも、自分があまりわめいたりヒステリーを起こしたりしない人間で助かった。
ふとそんなことを考えた。
クライにはどうせもう会えないだろう。クライへの置手紙をリヘルトが見たから、彼が来たのだ。その置手紙はもう捨てられてしまっただろう。そして私は置手紙に書いた場所に律儀に待っていられない状況だ。
歩いてもどこまでも穏やかな道が続いている。真っ暗で、どこまで道が続くかわからないし、とても怖い。
日本とは違い、夜中に一人で歩く行為は自殺行為だ。けれど逆に夜に出歩く人が少なく、犯罪行為もそれほど怒らないと医師が言っていた。
ふと立ち止まって、
「初めてかもしれない……」
とつぶやいた。
こんな夜中、一人で歩いたのは初めてだった。それがどう、という話ではないが、なぜかふと気が楽になって、ゆっくり息をした。
孤独癖。
もともと、私は一人で生きていたい人間だったのかもしれない。
寂しい寂しいとわめきながら、結局は。
首を振る。リヘルトといたい気持ちは本当だったし、高校の時の友達を大切にしていた気持ちは嘘ではなかった。
もう一度首を振った。
こんなことを考えている場合でないのは確かだった。
何時間歩いただろう。やっと仄かに薄紫色の空になり、夜明けが近いことを示してくれる。しかし残念ながら、道の両端には広大な草原が続くだけで、街の気配は少しも感じない。
夜に何時間も道を歩いても、まるで疲労を感じなかったが、空が明けてくるにしたがい、露出している肌がチリチリ痛み、だんだん息が荒くなってくる。
昔読んだ漫画で、吸血鬼が日に浴びて呻きながら干からびていくシーンがあったが、やっと得心が言った。
蒸発していたのだ。
吸血鬼は日に浴びて蒸発する。本に書かれていない情報を得られて、面白いと思ったが、すぐにそんな場合でないと顔を引き締める。
とにかく街につくことをあきらめて日陰を探そう。私はあたりを見回したが、当たり前だが数秒前と同じで草原が続いているだけだった。
後ろを振り返る。歩いてきた道は幅がどんどん広がっており、今は10メートルくらいありそうだった。
ふと目を凝らした。向こうがやけに砂埃が立っている気がしたのだ。
しばらくじっとしていると鳥の声に交じってがたがたと木が揺れる音が聞える。
こんな往来で木の揺れる音、要するに荷車の音に、私は勢いよく手を上げた。
しかし目を凝らしてもその荷車は止まる様子を見せない。焦りながら汚い袋から金貨を取り出した。地平線からわずかに顔を出した朝日がそれをキラキラ照らす。これで向こうに気づいてもらえるだろうと考えた。
荷車は大きく、二頭立てで御者は若い男だ。麦藁帽をかぶっている。荷台のほうは白い布がかぶせてある。
御者であろう若い男が目を細めたのが分かった。
荷車はちょうど私の前で止まる。
「どうかしたの?」
少し高めの声で、尋ねられた。珍しいほど優しい声かけであったが、若い男の瞳には強く警戒の色があって、その視線に少し息をのんだ。
麦藁帽から赤い髪が覗いている。
「この荷車、どこまで行くつもりでしょうか?」
あえて、静かに尋ねた。赤毛は少し私を見つめた。純粋な瞳に見えた。
「この馬車は一番近くの町まで行く。ティートだよ。君は?」
その柔らかな声に、警戒心が溶かされるのが分かった。またティートというのは王都に行くために必要な通路でもある。
「僕もです。そこまで載せていってくれませんか」
「金貨一枚で?」
彼がそう言ったとたん、荷台からドサリとモノが落ちる音が聞えた。音が聞えた方向に視線を移すと、身長が二メートルはあるだろう男が中から出てきた。鋭い視線の険呑さに立ちすくんでいると、長身の男にあっさりと体を押さえられ、手をつかまれた、暴れることができないまま金貨と荷物がとられる。
両手を上げたまま、棒立ちになる。
じっと赤毛がこちらを見ている。
「悪いね。でも不用心すぎると思うな。次から馬車を呼び止めるのは気を付けたほうがいい」
今やられたことと、不釣り合いなくらい優しい言葉だった。そうまるで理解ある教師のようだ。見た目は十代から二十代くらいに見えるにもかかわらず。
息を吸った。この際お金などどうでもいい。
「じゃあ、金貨一枚と、その袋に入っている荷物で街まで運んでください」
赤毛はしばらく私を見た後、
「後ろに少し座るスペースがあるよ」
とまた優しく言った。
私はうなずいて、御者台の横に立つ長身の男が持っている自分の袋を開けた。
中からお金が入っている袋を出し、それを長身の男のほうに渡した。そして荷物をさして、「お金になるようなものほかに入ってません。この日記は僕にとって大切ですが、あなた方はそうでないと思います」
という。
「生意気な坊主だな」
低い声で言われたかと思った瞬間、思い切り横頬を殴られていた。
頭が真っ白になった。とりあえず日記帳だけは両手で抱きしめた。これを取られたら、もはや地に足ついているとはいいがたく、精神的に現実からかい離してしまうだろう。
痛みのあまり、頬を押さえて地面から動けなかった。そんな私に「あまり時間がないんだ」と赤毛の静かで深みのある声が聞こえた。
はれ上がるだろう頬を押さえたままふらふらと這うように荷台を目指す。
荷台に這い上って、顔を上げた。
思わず息を止めた。
中には警戒したような3人の女の子がいたのだった。
一人は私が上ったすぐそこにいて、じっとこちらを見ている。三角に座り、暗い中でも明らかに痩せているとわかる。
あとの二人は寄り添うように壁にもたれかかり、すこし首を傾げるようにこちらをうかがっている。
なんとか私は頬から手を放し、目をつむった。
屈強な男が乗り込み、荷車が揺れた後、馬に鞭を打つ音がした。
男以外、全員息をひそめほとんどおびえているように見えた。正直、私も怯えていた。何が起こるかよりも、今起こったことにおびえていた。
薄目を開けて男をうかがう。
男は麻のシャツを着ていたが、袖は引きちぎられたようになく。茶色い胸毛が見えた。
白い布の隙間からのわずかな明かりが男の顔を照らし、その顔の傷が雄弁にならず者とわからせてくれる。
生きたまま蒸発するのは回避できた、と考え、ただ今の状況はすこぶる悪いと感じる。
ただ、もしかするとこのならず者たちは私のふさわしい場所に送ってくれるのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えていると、「すげえ」と男が言う。
「坊主、お前随分金持ちだなあ。こいつら三人の金額の倍以上持ってるじゃねぇか?
男娼か? 若いし、かわいい顔してるし、嗜虐野郎には受けるだろ」
お金を入れた袋に顔をつっこみそんなことを言う。男娼というのは、たぶん男で娼婦をしている人間のことだろう。そう考えて、私はまだ10歳にも見えないはずと考える。
ああ、と思う。この世界は10歳足らずの子供が、身体を売るのか。
感じた感情を押し殺す。何を思ったところで変えられない。
どうしようもない。10歳で体を売るような事態になった子供に、嫌悪や不快を覚えたところで、その子供たちはどうしようもない。
胸が痛んだ。不条理に対しできることは、関係ないと自分から切り離すことだが、それにはその無関心さにはある種つらさがある。
日本でもよく思った。つまらなそうな顔をして、この世の悲しい不条理さを、関係ないという人たち。けれど不条理に泣きもわめきもしない人たちも、またなにか考えた人なのだろう。切り離した瞬間のざらつきを、味わった。
「あなたは男の子を買う、同性愛者というわけですか」
いった瞬間、顔を真っ赤にした男に殴られた。
「黙れ! あんなホモ野郎どもと一緒にするな!」
同性愛者はわずかに差別されている。
もう殴られても何とも思わなかった。
吸血鬼となった今、この暗い中なら、もしかするとこの男を倒せるかもしれないと感じる。けれど殴る意味も、倒す意味もない。
視線を逸らす。男はまだ怒っているのか、荒い息を何度も整えようとしている。
「お前、見てろよ。街に着いたら」
何か報復を言おうとしている。
「もう着いたよ」
言葉をさえぎって、赤毛が現れた。白い布をずらして顔を出している。麦藁帽で表情が見えない。
「君もおりなよ」
こちらを向いてそういう。
「さっ、ピチェ、メリース、レミも」
赤毛の声は不思議なほど温かみがある。声に導かれるように、三人は立ち上がり、一人が咳をする。
止まらなくなったのか苦しそうな咳になる。
「かわいそうに」
赤毛はそういうと、その子を抱いて優しく背中をたたいた。
私は白い布の隙間から見える朝日が怖くてたまらなかった。
今降りたら、まずい。
「あの、この子たちはどこに行くんですか」
警戒が必要なのはわかったが、とにかく出るのを引き延ばしにしようと声をかけた。
「分かってるんじゃないのかい」
「あなたがたは悪いやつ」
「そう、人買いだよ」
冗談めいた言葉ににっこりと返事がある。
「ティートの娼館『ハテルマ』専属の仕入れ人だよ」




