奴隷の王様
「リズ、奴隷を買うか」
父が突然部屋に現れた。私は机で家庭教師から出された課題をしているところだった。
「奴隷?」
4歳になった私は最近では流暢に話している。
「ああ、奴隷商人が明日この町へ来る」
父は私の座っている椅子の向こう側に座って、頬づえをついた。
最近知ったが、父はまだ30代らしい。
だからか父親の香りがしない。話していると友達とは行かないものの、知人と称してしまうくらいには気安さがある。
しかしそれでも父はどう思っているのか、私を部屋の外に出したのは片手で片付けるほどしかない。
4年で私は家庭教師から色々なことを学んだ。だけどそれが理由で、一般常識が未だ身に付かない。
「奴隷……、奴隷というのは?」
前の世界の奴隷とこの世界の『奴隷』が一緒だったら。行かないだろう。
流石に奴隷は駄目だろう。
「何でも言うことを聞く、モノ。色々種類はあるが、犯罪者や貧乏人、あとは獣人や亜種人族が多いな」
「亜種人族?」
「あの家庭教師役に立たないな。……亜種人族は、魔人や魚人のことだ。獣人は獣系のヒトの総称で、それ以外人間でもなく、獣人でもないのが亜種人族だ」
うんうんと納得していると、父は「それで」と聞いてきた。
「それで見に行くのか? 欲しいのがあったら買ってやるが」
どうやら前の世界での奴隷と同じようなものだ。
遠慮したい。しかし、外に出られるのだったら行きたい。
奴隷、嫌悪感が沸くが見るだけだ。
ただ見てしまったら、私はこの世界をまともに見ることが出来るだろうか。
思ってしまうのではないだろうか。
『奴隷という存在がいる、冷酷で劣った世界』と。
「行く、見に行く」
手を爪が食い込むほど握り締めて、つぶやく。
父がため息を吐いた。
「リズ、俺はお前に喜んで欲しくて、来たんだ。どうした? なんでお前はいつも突然機嫌が悪くなる。
この生活に不満か?」
イライラした口調だった。明らかに。
それも分かるのだ。父は他の子供より私を優先させている。
この人なりに甘やかしてくれていることも知ってはいるのだ。
でも、私には付き纏うように、孤独がある。
分かっている。元の世界には戻れない。それに、戻ってもどうしようもないことくらい知っている。
父の顔を見ると『日本人』を思い出す。黒髪、黒目で、少し神経質そうで。
私は父の前では一応成長した精神年齢を持ちながら、子供のように振舞っている。それは、異常だと思われたくない一心だ。
「違う。そんなことない」
私の言葉に、複雑そうな表情を父は浮かべた。
言いたいことが、上手く言えないもどかしさを抱える表情だった。
ポツリと。
「気を使うな、親子なんだから」
それだけを言った。気を使うな、この言葉は桜が着てから幾度となく言われた。
うん、ありがとう。私がそう言うと、父は感情のあまりこもらない声で、「また明日」と言った。
うん、分かった。その言葉に父は返事を返さなかった
私が父から贈られたドレスを身に着けた。
黒地に赤糸で螺旋がいくつも刺繍されている。意外と近代的なデザインだ。それと合わせるように、花の様に重ねられた薄い黒のレースが髪にかかっている。靴はトゥーシューズのような形で、リボンの光沢が美しい。
鏡を見ると、幼い少女がこちらを見返す。
白い髪、そして白い肌。目だけが異様に黒く。じっと見返してくる。
違和感はもうない。この『子』は間違いなく自分だ。
イブに抱かれ部屋を出た。真っ赤なカーペットが敷かれた廊下に出る。
私の部屋は二階なので、階段を下りるまでイブに抱かれた。階下につくと、イブの腕から下ろされた。
父は階段の横で私を待っていた。この大階段と父の構図は意外なほど似合っていた。私は改めて、この人は大商人なんだと実感した。
ふと、父の後ろに幼い影を見つけた。首をかしげる。
するとひょこりと父の後ろから一人の少女が顔を出した。6歳くらいだろうか、ピンクのドレスを着た、少し派手な髪飾りをした女の子だった。
目を見開いた私に、父は肩をすくめて、「お前の姉のアンネだ」と言った。向こうはどうやら私の存在を知っていたようで、窺うような上目遣いで「よろしく」と言った。
私はどういう対応をしたらいいか迷ったものの、まあこんなものだろうと丁寧に一礼した。
父はそのやり取りを黙って見ていて、終わった途端、「行くぞ」と素っ気無く言った。
私の姉、アンネは父の服の袖に掴って、チラチラと一歩後ろを歩く私を見ていた。値踏みするような視線ではなく、本当に興味本位、というような視線だった。特段、不快には感じなかった。
それよりも、と私は自問した。
アンネという少女を見てから、私の胸にこみ上げてくるものがあった。
それは複雑な感情だった。
私は、この世界での姉妹という存在に当惑し、そしておそらく繋がりというものを―――この世界と私との繋がりにうれしく思っているのだ。
私はそんな感情に気をとられながら、頭の片隅でずっと、奴隷という言葉を反芻していた。
この世界にはそれが当たり前なのだろうか。この世界の常識、道徳というものはどういうことになっているのか。
私には分からなかった。
彼の瞳にはどうしても逆らいがたい何かがあった。
ロニィにとっての彼はどうしようもないほど、王様だった。
どんなひどいことや悪いことでも押し通せてしまうのが暴君だと、ロニィに爺は言った。
だから彼は暴君だ。そこに君臨することを微塵たりとも疑わせない、王様で暴君だった。
ただロニィが不安に思うのは、彼が自分が王様だと知らないことであった。
彼はずっとステージの違う場所からロニィや他の奴隷を見ていた。そして何か詰まらないゲームを延々と―――人の命を玩具に遊んでいた。彼は王様だったが、誰の王様でもなかった。
彼に従うのは人ではなく、玩具だった。彼はずっと一人遊びを繰り返していた。
ロニィは不安に思う。この人はずっと、延々とこの詰まらないことをし続ける気ではないか。
ロニィは敬っていた。向こうから認識されずとも、『王様』に従えるのは喜びだった。だからこそ、喜んで欲しかった。
もっと。
王様なのだから。
ロニィが今の奴隷商のモノになったのは、21のときだ。12のときから、8年間、ある館で主人の夜を慰めていた。何年もその館で務めていると、主人はロニィに文字を教え、他の奴隷を纏めるように言った。
しかしそんな日々も、長くは続かなかった。
主人が死んだのだ。ロニィがどうしていいかわからず、慌てふためいている間に、館に仕えていた女中に、またロニィは売られた。
新しい奴隷商は頭がとても良かった。ロニィが文字を書けると聞いて、ロニィは奴隷商の男の下で、働けることになった。
仕え始めてしばらく経ったとき、奴隷商の元にある幼い子供が売られた。このあたりでは、珍しい黒髪だった。
その少年はどうやらある村で売られたらしかった。村で買った子供を、価値が高そうなら、ロニィの仕える大規模な奴隷商人に売るのは珍しいことではなかった。
そして少年が売られた日、ロニィはいつも通りにしていた。いつも通り―――奴隷商が値段をつければ、その子供に新しい服を着せようと横に待機していた。ロニィの仕える奴隷商は労働奴隷ではなく、愛玩奴隷が主だったからだ。
「……顔を上げさせてください」
奴隷商は、ロニィの横で座り、紙に何か書き付けていた。
子供の横に立つのは、大きな身体をした熊のような男だ。商人だと言っていたが、盗賊か何かだろうと、ロニィは訝しんだ。
熊のような男は、無造作な手つきで子供の漆黒の髪を掴んで、顔を上げさせた。
ロニィは奴隷商の顔が紙から、その子供の顔に視線が移るのを見ていた。ロニィはぼんやりと今の主人である奴隷商の顔を見ていた。
そして、奴隷商の顔が激変した。
普段の平凡そうな、善良な商人の顔から、ロニィの知らない顔になった。
それは興奮した顔に良く似ていた。
ロニィは奴隷商の顔から、子供の顔に視線を移した。興味はあまりなかった。
「素晴らしい」
奴隷商が言った。
ロニィは、目が、自分の意志に反するように瞬きひとつせず、その子供を見つめていることに気づいた。目にはしっている血管が鼓動する。
王様だ。ロニィは無意識に思った。
少年は気だるげに、髪を掴れたままこちらを見ていた。
真っ黒な髪、その髪はあまりにも神秘的にロニィの目に映った。欝蒼とした森のような野性味、しかしそれと同時に優雅さ、いや異常なほどの高貴さがその髪にはあった。
そして瞳、その瞳は爛々として光る獣の目。赤、だった。
上位種だ。これは間違いなく、まちがいようもなく上の、種だ。ロニィは回らない頭で思った。
ある説がある。
種の順位の話だ。この大陸では人間の数が多いことがあり、亜種人族、獣人の扱いはひどい。しかし、他の大陸において、それはばらばらだ。獣人が支配する大陸もある。
そして、ある学者が言った。人間は種としてはどのくらいの位置に居るのだろうかと。
その学者はありとあらゆる大陸に渡り、ありとあらゆる種の研究をした。亜種人族、獣人。その知能、寿命、魔力量……。
そんな研究の果てに言った。
『私は、ある大陸に渡った。その大陸には圧倒的権力者が居た。ただひとつの一族だけで、全てを支配していた。私は彼らに謁見することを望んだ。それは叶えられ、私は会うことが出来た。
そして、一目見た瞬間。
これが、種の頂点だ、と今まで全ての研究を放りだし、そう思った。
その一族はある種、こう呼ばれる種だった。
吸血鬼と』