歪んだ貴族
「リズ様は魔術に興味がおありなのですか」
クライはいつものように貝殻が埋め込まれた円卓に食事を並べていた。困惑した表情は私が手に持っている本に向けられていた。
私が頬杖をつきながら読んでいた本の題名は『特質魔法 種族編』という。
頷くと、クライは思案するように目を伏せた。
ぼんやり伏せられた顔を眺める。
顔の陰影は濃く、なんというか、愁いに満ちていた。こう見ると、美しい顔というのはいいものだと思えた。
「何に興味がおありで?」
「吸血鬼の」
恐らく向こうも答えが分かっていたのだろう、納得したように「そうですか……」と苦笑してくる。
今読んでいた項は吸血鬼の契約についてだった。
ヴァンピルアが血を吸うことで、人をヴァンパイアにすることが出来る。ヴァンピルアはそういう種族独自の性質に関係のある特質魔法が多いが、ドールというのは眷属とか血を吸うとかそういうことに関係しているわけではななく、どちらかというと、吸血鬼の性質に関係しない特質魔法だ。
これは契約の特質魔法で、ヴァンピルアが自らの首を薄くきり、その滴る血で契約書をつくる。
血の書類には『主』と『僕』という二つ空白の部分があり、そこにお互いの魔力を注ぎながら真名を書くことで、主従関係が成立する。
ここで変わっているのは、『僕』の欄にヴァンピルアの名前を刻むことも出来るということ。一度その契約をしてしまうと、今まで掛かった隷属系の術はほとんど無効状態になる。それほど制限の強い魔術なのだという。
「リズ様、お先にお食事をどうぞ」
考えごとをしていると、クライは引き戻すよう声を掛けてきた。
仕方なく食事に戻った。
「特質魔法といえば、リズ様のお父様もそれに関して、よく知られた方ですね」
クライは給仕をしながら、思いついたように言う。全く考えてもいない人物が出てきたので、思わず顔を上げる。
父と魔法、意外な組み合わせだった。父といえば、知恵と知識というふたつのイメージが強かった。あまりファンタジーが似合う人ではない。
「あの人が有名?」
「ええ……」
そう言ったきり、説明するそぶりを見せない。
何となく意外で、顔を見つめる。いつもなら滑らかに説明しだすところだ。
そういうこともあるか、と自分自身を納得させつつ、困惑してしまう。
いつもなら別に聞かなくても、欲しい情報を自主的に提供してくれる。
その疑問に答えるようにクライはどこか暗い微笑を浮かべた。
「リズ様、お気になるようでしたら、勿論お答えいたしますが、私にもひとつ権利をいただけはしないでしょうか」
私は突然の申し出に少し驚いたが、頷いた。質問に答える代わりに、自分の質問にも答えて欲しい、そういうことがいいたいのだろう。
「っよろしいんですか……」
「取引でしょう? 公平だと思うけど。それであの人が特質魔法で有名なのは何故?」
「ええ」
歓喜に満たされた顔をするクライを怪訝に思いながらも、促すように目を合わせる。
「前置きが長くなるのですが……。
獣人には古老種というのがいます。古老種は生まれたときから、老人です。その古老種は唯一、神と取引できる特質魔法を使える種でなんです」
神と取引、想像を絶する異質な響きに、クライの顔を凝視する。
「実際に神との取引をしているかは分かりませんが、その古老種がそれに近い現象を起こすので、そういわれています。
一般的に代償魔術と呼ばれるそれは、自分の『持っている』何かを犠牲に捧げることで、欲しいものが手に入ります。古老種は代償魔術を仲介してくれるのですが、リズ様のお父様はそれを数多くされたので有名なのですよ」
「でもそれは、簡単に仲介してもらえるものなの」
「いいえ、無論そんなことはありません。古老種はこの王国で一人だけです。そして代償魔術というのは一年に3度ほどしか行使できませんから。
そしてもうひとつ、代償魔術を仲介してもらえるのは、『真名』が特殊な場合だけなのです。それ以外の人間は何を捧げたところで、何もかえってはきません」
「あの人は、何を捧げたの?」
「若さと、他には様々なものを」
笑い声が零れた。父は確かに老け顔だ。
食事に戻ると、身近で息を吸う気配がした。何か喋ろうとしているのだ。
「それで……リズ様。私の要求なのですが」
重々しい口調に、いやな予感が背筋を這った。何か質問すると言う雰囲気ではなく、なんというか、うん、予想が外れた。
「あの医者と……医者とお会いするとを止めていただけませんか」
はき捨てるように、きつい口調。顔は嫌悪に歪んでいる。
「どうして」
「リズ様……あの医者は女狂いなのです。この付近に人間は病に掛かれば、あの医者が診ます。しかし、病の人間以外――肉欲を持て余した女性も医者に抱かれにいくのです。そういう男です」
ああだから、あれだけこの付近の情報を持っていたのか、という思いと、なんだか妙な気分に陥った。
身近な人間が身近な人間を『女狂い』や『肉欲を持て余した女性が抱かれにいく』なんて言っているのは。それに、そういう話題は苦手だ。
「それが私に何の関係があるの」
ただ例えそうであったとしても、別に問題ではないと思う。確かに、そういう人間は苦手だが、私の目の前で、自分のそういう部分を見せない配慮はしてくれているのであれば、何も言うことはない。
「リズ様」
苦しげにクライは眉を寄せ、囁きかけて来る。
「……私はとても嫌なのです。ああ、リズ様にはお分かりにはなられないでしょう。とても嫌なのです。自分が信奉している存在が、汚されるのは。
私には耐えられないのです……リズ様がそういうような邪な視線を向けられるのは」
流石に、私でもクライの言いたいところは分かった。しかし誰でもそうであるように、横から変に邪推されるのは不快だ。
内容もありえない。
精神はともかく、肉体年齢はまだ一桁だ。よっぽど変わった人間以外幼女をそういう風な視線で見るわけはないし、そんなことを発想することがまずおかしい。
嫌悪を覚えたまま、「本気で言っているの」とはき捨てた。
クライは自分の知る限り、理知的な人間だ。
しかし、クライは言葉を撤回しなかった。
「ええ、本気です」
初めて、クライにも気味の悪さと同じくらいの、異常を感じた。
その緑色の瞳に一片の迷いもなかったからだ。
ここで突っぱねてもいいけれど、こんなことを言われるとは分からずに、最初に同意してしまった。
「クライ、貴方の思うところは分かった。だけどその要求を呑む前に、待ちなさい。そうすれば、貴方も分かるから」
次に医者に来てもらったときに、一緒にいてもらって、医者が邪な気持ちなんて持っていないことを証明すればいいと思った。
医者が訪ねてくるときに、部屋に立ち入ることを禁止しているから、邪推してしまうだけで、ちゃんと会話しているだけの様子を見れば、クライも安心するだろう。
すこしおかしいと思ったけれど、クライは何となく不安になっただけなのかもしれない。
そうであってほしいと思っていることが、思考を誘導しているということくらい分かっていた。
シーは院長室の執務机に座ったまま微動だにしなかった。手には、ギュライザー子爵から視察の日程を伝える手紙が握られている。
「サラビアおばさんに相談して、それからそれから」
シーはうわ言のように繰り返す。そして言葉を切ると、一気に机に突っ伏した。
「どうしよう!」
孤児院の経営は、綱渡りだ。
孤児院にはいくつか種類があるが、大きく分けて二つある。
公営の孤児院、これは昔の王族が設立した団体が運営していて、設備環境共に非常に悪い。しかし、この孤児院には圧倒的な利点があり、それはどの貴族も絶対に孤児院の経営に口出しできないという点だ。13になれば、環境が悪いながらも食住くらいは約束された仕事に付くことができる。ただ孤児院の院長がまともな人間であることが条件だが。
私営の孤児院、これは貴族や商人が公営の孤児院を運営する団体に申請して造営することが出来る。ただ審査は非常に甘く、人売りの温床になっているような孤児院も多い。
ヘニファ辺境孤児院は私営の孤児院だった。後見はシーフェニア伯爵になっているが、実際はその娘のミサが取り仕切っている。このことは貴族社会でも知られている。そしてミサの権力の源が王弟であることも。
ヘニファ辺境は王族の避暑地がある関係上、王族が口を出しやすい。そのためヘニファ辺境孤児院は他の孤児院に比べ、かなり優遇されている。
しかしそれでも、地元の貴族の力というのは強いのだ。
いくら強い権力者がいたところで、遠くにいれば力は届きにくい。また辺境に居つく貴族は代々その地に根を下ろした一族であることが多い。発言力も高い。
そして辺境の貴族と言うのは、捩れている人間が多い。地元では王侯のような扱いをされるが、一歩首都に入れば空気のように無視される。
そのためいつも鬱憤を抱えている。
ギュライザー子爵もその中の一人で、2百年以上この地に根を張る一族だった。
そしてそのネジくれた恨みつらみは、いつも美しい少女に向けられる。
「ああどうしよう」
そう言ってから、シーは強く机を叩いた。
孤児院の子を守らなければ。




