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リズベルト・シンソフィーの冒険  作者: 阿江
第2章 孤児院
34/63

一歩


「ええ、ええ、分かりましたとも」

 一人の眼鏡の老婦人が、愛想のいい笑顔で頷いている。彼女の名前は、サラビア・クレイメン。

 一世代遅れたやけに裾の膨らんだドレスを身に着けている。丸眼鏡をし、顔に笑みをうけべていて、目尻に寄った皺から人の良いお婆ちゃんという印象を抱かせる。

 その横には茶色に赤を少し混ぜたような髪色の十代後半から二十代前半の真面目そうな女が座っていた。彼女はシー・ヘニファ。ヘニファ辺境孤児院の院長である。


「良かった。ご了承いただけたようで」

 二人の目の前にはきっちりとした服を着る二十代半ばの男が座っていた。彼はホッとしたように顔中に笑みを浮かべた。男が浮かべる表情にシーはわざとらしさを感じて、気持ち悪く思った。というより、彼女は先ほど――この話がはじまってすぐ――から男のえも言われないわざとらしさを感じていた。また、男がする提案とやらも、潔癖な彼女からすればいやだった。


「おそらく使用人を二人――少年とメイドを連れてこられると思います。あまり貧しい生活に慣れておられないので」

 男は言葉を切って、親しみを込めた笑みを浮かべた。

「とても、とても裕福な生活をされていた方なんですよ。それこそ、何も不自由など感じられたことのないレベルで。

 そういう事情で、先程話したとおり、奥の部屋をすべて開けるようお願いしますね。あと食事なども、こちらから送る寄付金で、最良のものを用意していただけますね」

 ニッコリ、まるで本当に純粋な純朴な青年のように笑う男を見て、シーは不可解なものを見るような目つきをした。シーにとって欺くことをそんな風に上手に出来ることは信じられなかったし、生きていくうえで欺くことがそんなに重要であるとは思えなかった。


 そして隣で、

「ええ、ええ」

 本当に愛想よく笑う長年の相談役のことも信じられなかった。長年、孤児院の相談役をしているサラビアのことをシーは信頼していたけれど、先程からの不自然な愛想は、気味の悪さを抱かせた。


 男は最後まで不自然な笑みを浮かべたまま、孤児院の応接室から去っていった。



 去ってから、応接室は沈黙が支配した。何か言ってくれるものと思ったシーは沈黙に耐え切れずに切り出した。


「サラビアおばさん。この話…………私は不満です」

 

「どうして?」

 先程までの、愛想のよさはなりを潜め、サラビアは興味なさげに眼鏡のレンズを拭いている。元々彼女は愛想のいい老婦人ではなく、どちらかといえば愛想は悪く、いつも厳しい表情をしているような人間だ。


「どうしてって……」

 困惑するシーに、サラビアは少し目じりを下げた。


「本当に……。この孤児院で育つ子は皆真面目に育ちすぎるきらいがあるようですね」

 ふう、困った。というような顔をするサラビアだが、孤児院の子供はほとんどサラビアに育てられ――躾けられているため、その台詞は矛盾する。


「サラビアおばさんに育てられたんですが」


「はいはい。まあ貴方の真面目さと潔癖さは美徳ですからね。責めるようなことは言いませんよ」


 目を見開き、シーは視線を彷徨わせた。普段は呆れたように「これだから子供は……」などという厳しい言葉ばかり掛けてくるので、率直な評価をくれることなどほとんどない。


「それでもシー。そういう真面目さ潔癖さはほどほどが肝心ですよ。世の中の人間は不真面目で、不衛生なものですから」

 シーは拗ねたように口を尖らした。彼女は孤児院では真面目なお姉ちゃんで通っている。孤児院の子供が見たら驚くような子供っぽい表情だった。


「じゃあ……。多額の寄付金と交換で渡される幼児を、喜んで引き取れますか? 何か変なことに、子供たちが巻き込まれないか、そう考えるたびに」


「それは世間一般の感覚です。私達が世間一般の感覚で物事を考えられるのは夢の話だけです」

 ピシャリとサラビアは酷いことを言う。シーはこの言葉の次をいつも耳にする。


「貴女は孤児なのです。自覚しなさい。誰も守ってくれる人はいないのですよ。騙され、搾取され、軽んじられる、それが貴女達なのです。そして一歩道を間違えたらそこは底辺なのです。いえそれは贅沢で、たった一つ選択を間違えただけで、あなた方は地獄に落ちます」

 ぎゅっとシーは唇を噛む。10歳くらいのときから聞かされた台詞で、シーはいつも反論した。しかし、サラビアにいつも言い返され、やり込められた。昔のやり取りが思い出されシーは強く拳を握った。


 言い方が悪いとしても、現実、孤児はそういう『モノ』だった。

 シーは何度だって見てきた。美しい顔をした孤児が、ブクブクと太り、ニヤニヤと笑う貴族達に人攫い同然で連れ去られていく様子を――。




 どうしていつも中途半端になってしまうのだろう。私なりに考えているつもりで、それは何らかの間違いでおかしな方向へ行ってしまう。だから――――。


   

 出て行くことが決まった日、ひとしきり気持ちを整理していた。

 5年――――生まれたばかりの頃は寝てばかりいたためあまり記憶にないけれど、それでもそのくらいの期間、この世界で過ごしてきたのだ。


 5年というのは十分な時間だと思う。


 生まれたばかりの頃の焦燥、絶望。それに比べれば今は幸せともいえるような精神状態だ。思い出したくないくらい辛かったし、吐き気を催すほど私は何かに乾いていた。


 父が製紙技術の発展に一役買ったらしく、紙が多く手に入ったから、私はそれに日本語で色々なことを書いていた。

 何枚かは理性があるかすら分かりずらいものだ。ただその紙を見ると、昔の気持ちが思い出せる。それ以外の他の大多数は忘れたくない(・・・・・・)と思った日本での情報が書いてある。


 ――後々読み返すと、前者も忘れたくない気持ち(・・・)を書いたのかもしれないと思えてくる。常軌を逸した、乱れた字からは、気持ちが伝わってくる。


 これも大切にしないと、そんなことを呟きながら、それを旅行鞄に詰めた。


 出て行くにあたって、色々物を取捨選択しなければならなかったけど、きっといるものなんてそれしかなかった。

 豪奢な服も、緻密なつくりの宝石も。何の思い入れもない。だけど宝石箱を無言で鞄に詰め込むのは、それが後々必要になることが分かっているからだ。

 この世界で、いや、この年齢で、『安全』に暮らすには庇護を受けなければいけない。今まで全てから守ってくれたのは、父だった。

 孤児院というのはどういうところなのか分からない。だけど今までのような、安心安全な暮らしは難しいだろう。

 お金は必要だ。出来るだけ。それを使って、自分の身を自分で守らなければいけない。


 そしてリヘルト。彼には悪いと思うけれど、心のどこかでいてくれてよかったと言う気持ちがあるのは確かだった。


 出発日、突然王弟とその恋人が訪れてきた。

 予想外のことだったが、それを聞いて一番最初に表れた感情は、驚きというより苛立ちだった。


「こんな日に」

 零した言葉に、それを伝えたリヘルトが僅かに目を見開いた。あからさまに苛立ちを表したことに驚いたのだろう。


 別に彼らのことは怒ってはいない。彼らがしたことも、ミレルギーという女性がしたことも。ある意味では仕方なかったのだ。そんなこと私には関係ないけれど。


 ただ好きではなかった。王弟のあの醒めた――人を嘲る視線は苦手だったし、ミサという女性も、ハッキリ言って嫌いだ。彼女は私を傷つけることについて思考放棄しているように感じた。


 とりあえず最低限の礼儀を気にしていればいいか。

 どうせ――彼らが来る理由は自分本位なものなのだろうから。


 そうして彼らが訪れ、少々険悪になりながらも、なんとか会談を終え、旅行鞄の荷物をもう一度確認しようとしたとき、もう一度扉が叩かれた。


 入ってきたのは、王弟の後ろに立っていた栗毛の男だった。どこかで見たことがある、思い出そうとして、すぐに見当が付いた。今までの行動範囲で考えると、あの図書室での奴隷ぐらいに限定される。


 彼は私の下に就きたいと、申し出てきた。


 なんの思惑がある? 訳が分からない状況に慣れきっているつもりだったものの、これには困惑した。


「私は貴女様が欲しているものを提供することが可能です。……ずっと見ていらっしゃいましたね……本を」

 柔らかく微笑される。まるで人の心に滑り込むような声だった。

 

 得体がしれない。王弟にも感じたけれど、この男に感じる不気味さはそれを上回った。王弟は『人が理解できないもの』で動く人種だけど、それでも責任とか、あらゆる社会的なものに束縛されている。

 この男にはそれが無いように見えた。本当に『人の理解できないもの』で最後まで動き続ける。


 唇を噛んだ。感情面で断ろうとして、理性面がそれを抑えた。


 私は家庭教師に習った中でも、難しい知識を彼に問う。彼は戸惑いなく、すらすらと答えを返した。

 知識があるのは本当のようだった。彼は私が知識を欲していることが良く分かっているようだ。彼は絶対的な自信がある笑顔を浮かべている。

 

 止めておいたほうがいいんじゃないだろうか。断る、と口を開きかけ、ふとリヘルトの顔が思い浮かんだ。


 リヘルトを引き取ってから家庭教師をつけ、後近所の訓練所で剣術を教えてもらっていた。話を聞く限り、随分と優秀らしかった。その才能は孤児院についてこさせることで、枯れてしまうかもしれない。


 目の前の優しげな男を見た。

 

 本能的な部分も警報を発していたが、無視して言った。


「リヘルトの家庭教師が入り用だったから。付いてきたら?」


 表情を観察する。彼は頬を緩めた。ゆるゆると、頬を緩め、その場で跪く。


「ええ、今はそうでも。きっと今後、リズ様は私を頼られますよ」


 そうかもしれない。椅子にもたれかかった。失敗だと言うことは分かっている。理性面も本当はそれくらい分かっている。ただ仕方の無い選択だった。失敗だとしても、必要だ。

 疲れた、今から馬車に乗って、『旅行』するのが酷く億劫に思えた。





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