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冊子


「話すとしても、何を話す? こっちは向こうに何もして欲しくないだけだよ。……ああ、ミサはアリスに関わって欲しくない、それだけだ」


「いえ、話すと言うのは女児に何か頼むということではありません。

 差し出がましいようですが、お二人でその女児について話し合うより、純粋な気持ちで、知ろうと話されては? 何か発見することがあると思いますが」


 ミサは自分の予想が外れたことに少し驚いた。この使用人のことだから、ある意味おかしなことを言うものだと思っていたのだ。彼女の父はそんなところを評価していたから。


「――話す、ね」

 イーザムは含んだように笑った。そして、断続的に低く笑い出した。


「乗ろう。いいことだね、知ろうと努力することは」

 ミサもいいだろう? イーザムは楽しげに尋ねた。ミサは柔らかな微笑を浮かべる使用人を見、笑い続けるイーザムを見て、困惑した。

 二人の様子にミサは心の中で諦め、小さく首を振ってから頷いた。


 イーザムは笑いを止め、表情を冷徹にすると、顔を使用人に向けた。


 ギシリと軋むような威圧感が漏れ出る。


「とても可愛い提案だ。話すのはいいことだよ、利益はないだろうけど。内面なんて、話すだけでは伝わらない。そんなこと君は分かっているはずだ。


 この提案は君にしか、利益がないはずだ。別に隠す必要はない。さっさと言えば良い。さあ」


 使用人の顔は柔らかな微笑から歪んだ微笑へと変わり、次には氷ったような無表情になった。


「……ええ、申し訳ありません。殿下を欺くようなことを申し上げてしまい。

 殿下のおっしゃる通り、私の目的は再会……それだけです」


「そして、私達が会ってから何も得ることがなかったから、自分を『あれ』の監視につけろとでも言うつもりだったんだろ?」


「……ええ、そうですね、おっしゃる通りです」

 ミサは本当に気持ちの悪いモノを見るように、使用人を眺めた。使用人は平然とした無表情だ。


 イーザムは何の感慨もなさそうに、瞳を醒めた色にした。


「まあいいだろう。そのことも考えておく。とりあえずミサ、もう一度話してみよう。彼女の出発は2日後だ。それまでに時間はある」


「もし彼女はもっと危険だと分かれば、アリスに会わせずにすむの?」


 イーザムは当たり前のように首を振った。


「どっちにしろ。無理だよ」


 ミサは痛みを堪えるように瞳を閉じた。彼は自分の話を聞かない。それは分かっていた。おそろしく自己中心的で、自分のことも駒として見ている。


 だけど、そんな現実を認識するたびに、膿んだような痛み――愛おしさを感じる自分を、本当にどうしようもないと思った。



 

 そして二日後。リズ・シンソフィーと会見がもてたのは出発日の朝だった。出発日の昼頃にルーン・シンソフィーが帰ってくるため、慌ただしかった。ルーン・シンソフィーは娘の誕生日の贈り物を買うため、辺境まで買いに行っていたのだ。


「ルーンさんも本当に可笑しくなってるわよね」

 向かう馬車の中でミサが呆れたように言った。ミサの脳裏には幼児向けの服や、宝石、絵画などを真剣な顔で選ぶルーンが浮かんでいた。いつも、妻の服は好みの色だけ言って召使に買いに行かせていた。


「人間は誰でも変わるさ」

 イーザムは気のない返事をする。彼は足を組みながら冊子を読んでいる。ミサはちょっと眉を寄せた。

 

「何読んでるの?」

 冊子を覗き込み、ミサは呆れてイーザムを見つめた。


「貴方、まだハマってたの?」

 冊子は今文官の間で流行りだしている将棋という遊びの棋譜だった。将棋は今から会いに行くリズという幼女から知ったものだ。

「まあね。この遊びは良く出来てるよ。綻びがない。一応詳しい決まりはリズちゃんから手紙で聞いた」


「リズちゃんって」

 ミサは呆れた表情から更に顔を歪ませた。

 



 顔色を悪くしたシンソフィー邸の使用人に、王族らしい微笑で応えたイーザムとミサはリズ・シンソフィーの部屋へ向かった。前と後には護衛が数名囲んでいる。一応お忍びのため、人数は最低限に抑えられている。


「さて」

 目的の部屋の前で、イーザムは少し思案した。そして後ろを振り返り、先日の使用人を手招きした。


「条件はどうする?」


「条件とは?」

 使用人は怪訝そうに首を傾げた。


「君が、この部屋の主人の奴隷になる条件。彼女が君の事を覚えていたら、君は彼女の元へ行けばいい。だけど覚えていなかったら、君はもう一度奴隷の身分に戻って、闘技場に行くとかね」

 ミサは悪趣味さに呆れたが、周りの護衛は眉一つ動かさない。彼らはそういう教育を受けているからだ。

 悪趣味な提案に使用人は静かに微笑んだ。

「いえ反対の方がよろしいでしょう」

 静かな言葉に、ゆっくり空気が凍った。


「彼女が覚えていなかったら、私は彼女の元へと、そういう条件の方が好ましいです」


「そうか。分かったよ」

 不思議そうな表情を浮かべることもなく、あっさりとイーザムは頷き、部屋の扉を叩いた。


 出てきたのは、リヘルトという吸血鬼の少年だった。ゾッとするような美しさにミサは一瞬見惚れた。その美貌は魂を吸い取られる、そういう類のものだった。その病的な美しさは、以前ミサが見たときよりも、増していた。

 リヘルトは扉を開けてから、礼儀正しく腰を曲げた。腰を曲げたとき、瞳に影が差し、酷くどんよりとしたものに写ったのが、不気味だった。


 部屋にはイーザム、ミサ、使用人と、護衛が二名入った。


 部屋には一人の幼児がいた。王弟じかじかの訪問先に幼児がいたことに流石に予想外だったのか、護衛たちは瞬き程の時間顔を驚愕に染めた。


 彼女は座っていた椅子から立ち上がり、その場で作法通りに礼をした。普通なら微笑ましいものなのだろうが、そんなことは誰も思えなかった。王族相手に緊張することもなく、ただ無表情に、義務的に礼をする姿は気持ちが良いものではなかった。

 何かの教本を丸覚えしたかのように、機械的に彼女は席を勧め、機械的に自分も椅子に腰を下ろした。そこに一切の間違いもないかわりに、おそらく一切の気遣いもないのだろう。


「お誕生日おめでとう。過ぎてしまったみたいだけど」

 イーザムが最初に口を開いた。リズは無表情でルジ茶を飲んでいる。リヘルトが運んできたものだ。


「――ありがとうございます」

 丁寧な口調だが、その当たり障りのない返事に、あまりこちらの相手をする気はないな、とイーザムは気付いた。

 前回会ったときは状況が状況だったため、狂った一面を見せてくれたものの、おそらく普段他人に対してはこういう態度なのだろう。


「誕生日には何かもらったの?」

 ふとルジ茶からリズの視線があがる、そうして真っ黒な瞳がイーザムの酷薄な目とあった。無表情だった顔の、口元が少しあがった。


「もし殿下が贈ってくださるなら、それが最初の贈り物になります」

 気のない返事から、少し感情が篭った返事に変わっただけにも関わらず、空気が色さえ伴うように、澄んでいく。

「ああ、一応持ってきたよ」

 イーザムは机の上に、自分が先ほどまで呼んでいた――将棋の棋譜が書かれた冊子を置いた。


「ありがとうございます、とても嬉しいです」


「君も、自分が考えた遊戯がどういう風な戦略で指されているかみたいだろうと思って」


 視線を冊子に向けたが、まるで興味を示さず、リズはルジ茶を飲み始めた。


 それからリズはいきなり立って、そのまま寝台に向かった。突然の行動に驚く周りを気にせず、寝台の横のチェストから紙を一枚持ち出した。

 そして机に戻ると、その紙に何か書き始めた。書き終え、それをイーザムに渡す。


「これは?」


「それはとても良い棋譜ですよ。冊子のお礼です」

 イーザムは紙に書かれた複雑な盤面に目を細めた。

 そして、リズに目をやり、首を振った。

 それは理解できないほど深遠な盤面だった。この遊戯が何百年と続き、幾人もの天才達が熟成し洗練させ、出来る盤面。それが分かるくらいには、イーザムは天才だった。

 あまり驚きはなかった。淡々とお礼をいい、それを後の護衛に渡した。


「冊子はいただきません。殿下のお気持ちで十分です」

 静かな微笑だった。その表情にギョッとするくらいには、周りは気を飲まれていた。


 静かに冊子が返された。お気持ちで十分、それは建前だ。イーザムは苛立ちを感じた。

 あきらかに、この『女』は自分の贈り物を貰うつもりがない。


「君は誰の贈り物だったら、貰うのかな」








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