嫉妬
ミレルギーは目の前にいる、自分の娘であろう人物を見た。
美しい外見をしているがその白い肌と、何の不純物も混じっていない白髪は異質さを感じさせる。自分の夫であるルーンとも違う真っ黒な、虹彩さえも真っ黒な、一筋の光も見えない目。遺伝的にあり得ない外見は、娘リズが二系統の魔法を使えることに加え、魔力量も多い為、その弊害として髪の色と目の色が変質したのだ。
しかし、と―――ミレルギーは自分の娘を、女として値踏みしている自分に気付いた。
全てを見下しているかのような顔。しかし全てを受け入れているかのような暗い瞳。
ああ、確かに。静かに認めた。これは私の娘ではない。どこからか出てきた突然変異種だ。
ミレルギーは自分の容姿に自信を持っている。これでのし上った。いや、これしか武器は無かったのだ。幼い頃の、ボロキレのような毎日を思い出す。
母のあの何もかも諦めきった顔。無知であるがゆえに騙され、堕とされたにも拘らず、それを最後まで認めなかった。ただ不運だと、最後までそう思っていたのだ。何もしなかったくせに。
唐突に目の前の娘に嫉妬心を抱いた。クツクツとした闘争心が湧き上がる。あの屈辱の日々と、最下層だった生活を思い出す。
ミレルギーは自身のドレスに目を這わせる。濃い緑色のドレスだ。これはルーンの好みの色だから着ている。こんな色好きでもない。ミレルギーは舌打ちしそうになった。結局自分は、下層の生まれなのだ。どう取り繕ってもそれは変わらない。私の意志をこんな簡単なことで通すことが出来ない。
でも、目の前の娘はどうだ? そうミレルギーは自らの娘の、生まれながらの高位者としての態度に嫉妬しているのだ。一切の不純物の混じらない裕福な人間。本能で分かる。この娘は―――女は決して『貧しさ』を知ることはない。そして屈辱も。
自分の夫であるルーンの考えを推測してみる。あの男はこの傲慢に惹かれたのだろうか。自分の娘のそんな態度に、従う喜びを覚えたというのか。
気に入らない。元々この娘のことは気に入らなかった。初めて会ったときも、母親である私に手を伸ばしもせず、まるで死んだように真っ黒な瞳でこちらを窺うだけだ。ルーンでさえ、不気味そうだった。
ルーンには滅び名の話しをした。しかしいつのまにか、この女の部屋に通い、多くの贈り物をしている。妾の中でも発言力がある私が嫌味を言っても、肩をすくめるだけで、何の行動も起こさない。ルーンらしくない。
そして、今回の出来事。
「―――なにこの少女趣味な部屋!」
驚いたように言ってやる。ルーンがこの部屋にかけた金額を思い、嫉妬心が湧き上がった。
化粧台も、ベッドも細やかな細工がされている。絨毯も、高価な毛皮を使っていることが予想できる。
白髪の幼女は何の反応もせず、こちらを見ているだけだ。これをどうしても娘とは思えなかった。というか、どうやって思えと?
「貴女が私の娘なのよね?」
ミレルギーは思わず確認してしまう。その問いの不味さに後から気付く。幾ら会いに来なかったとしても、事実私はこの子の母親だ。もし親にこんなことを聞かれたら―――傷つくかもしれない。
しかしすぐにそんな気持ちは塗り変わる。そう、ミレルギーは加虐的な気持ちが湧き上がった。どんな気持ちなのだろう。自分の親に『娘か』と問われる気分は。
そんな嗜虐的な期待は裏切られる。何の反応も、何の感情の揺れも感じさせず、リズは頷いた。
「ふ~ん、人形みたいな顔ね。ルーンはこんなのが好みなのかしら」
嫌味を言っても、無表情。
ああそうか、と納得した。自分の母親にも興味が無いのか。
ミレルギーは嫌気が差して、名付け師に相手を任せることにした。元々用があったのはミレルギーではなく、名付け師なのだから。ミレルギー自身言いたいこともあったが。
「お初にお目にかかります。私は、貴女様の名を付けさせていただいた名付け師でございます。お会いし『名』についてご説明するのが遅くなり、まことに申し訳ございませんでした」
ミレルギーは横目で、喰えない名付け師を眺めた。
子供相手にもその態度。いや、恐らくこの老人も娘の本質に気付いている。
「いえ」
子供の対応ではない。たった一言の短い返事。下に向けられた視線のせいで、リズの気持ちはチラリとも分からない。
リズはそのまま、名付け師が差し出した紙を見る。
「それが貴女様の真名でございます」
「真名?」
リズの首が傾げられる。
なんだろうか、と思う。何故この娘が動くだけで、息が止まるような緊張に襲われるのか。
「真名とは世界に定められたその者の在り方でございます」
「……一つ選んでいただきたい」
「リズベルト様、この場で貴女様は自身の運命と向き合いなさるか、それか自身の運命から目を背けなさるか。選ぶのです」
名付け師は本題に入った。やはり、と思う。それほど危機感を持っていたのだ。リズベルト、この名前を付けられた幼児に。横から圧倒的な存在感を感じた。口だけではない。この名付け師は間違いなく傑物なのだ。
どう反応するだろうか。そしてこの娘は気付いていたのか。
「私の周りには役に立つ人が少なかったので、今まで困っていたんです。
勿論、幾らでもお話を聞きたいと思います」
丁寧に、静かに、ゆっくりと私の娘が名付け師を見やる。ミレルギーはそれを見ていた。ミレルギーは考える。役に立たない。面白い。これはルーンに言っているのだろうか?
「ただ―――運命、貴女方が何を知っているのかは知りませんが、『運命』は私のものです。どうとにもなります」
少しだけ不愉快そうに、たった4歳ほど娘は、運命を嘲弄する。手慰み程度『どうとにもなる』、そうこの娘は言っている。
目の前にいるのは――――――ミレルギーは思う。
ミレルギーは血の滲むような努力でここまで登ってきた。平民から裕福な商人の妾まで。
運命なんて、ありはしないと思っていたのだ。全て自分の力だと。
ミレルギーは知っている。自分のように這い上がった人間を。その人間達は運命を切り開いた。そう誇りを持っていた。
目の前の人間はまるで違う。運命を『モノ』だと称し、どこまでも自分の思い通りに、『どうとにもなる』そういっているのだ。
「さあ、聞かせてください」
悠然と、何か面白い話でも聞かせてくれるのだろうか、と娘はミレルギーの前で微笑を浮かべた。
ミレルギーは息を吐いた。
呑まれるな。




