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名前と変革期

 私の周りがおかしい。それは薄々感づいていた。接する人が少なかったせいで鮮明に状況は見えてこなかった。

 例えば、私に脅える人間。そしてイブのように依存心を持つ者。そして父も……。リヘルトも。


 距離を置きたい。それが切実な願いだ。しかし今取れる選択肢は、たった一つしかなかった。


「リヘルト。頼みごとがあるの」


 私はただ一つの選択肢に縋った。監禁状態にある私が頼れるのは一人しかいない。目の前で、いや私の座っている椅子の下で、リヘルトはほとんど這い蹲るような姿勢で、私の『頼みごと』を聞いている。

 その顔には薄暗い喜びが浮かんでいる。私がリヘルトのことを受け入れられないのは、この態度なのだろうと思う。この犬のような態度。ここまで人間が媚びられるのか、そう思ってしまう。そしてリヘルトは人間よりも、上の種。吸血鬼なのだ。

 私の頼みごと一つ、何をそう喜ぶことがあるのか。


「はい、何でもします。何をすればいいですか」

 言葉は淡白な方だ。ただ、目がこの目が嫌なのだ。この瞳を表す言葉があるのなら『必死で主人の機嫌をとろうとする犬』それに加えて、異様な薄暗さがその目にはある。

 この子は分かっていない。私は主人として命令したわけではない。ただ、何かしらの信頼関係を下に、頼んだだけなのだ。きっと、このズレはどうにもならない。


 紅茶のようなもの、紅茶でいいんだけれど、それを飲む。

 味は微妙だ。ほんのり甘い水。ただ香りはとてもいい。スッキリとしたレモンのような香りと甘やかな香りが混じりあっている。


「私の家庭教師がどうしているのか、見てきて欲しいの」


「はいっ、はい。分かりました」

 リヘルトは私が家庭教師にされていたことを知っている。だけどこの目の前の少年は恐らくそれに関する興味は、ほとんど無い。


 私の機嫌以外どうでもいいのだ。いや、どうでも良くなった。それが正しいのかもしれない。


 あの日、家庭教師は地下牢なるところへ連れて行かれた。部屋で、私はぼんやりしたまま立っていた。その時の気持ちは思い出せない、でも酷い気分だった。

 そこでイブが戻ってきた。脅したり(すか)したりして、家庭教師の処分を聞いた。家庭教師は、『拷問のようなもの』をされていた。『拷問』、日常会話で聞くと思わなかった単語だ。それにイブも参加したと聞いたとき、本気で『頭がおかしいじゃないか』と怒鳴りそうになった。続いてリヘルトが家庭教師に吸血鬼(ヴァンピルア)の特殊能力で何かしらの精神操作を行ったらしい、と聞いた。それは脳に激痛が走る類のものらしい。そしてしばらくは家庭教師は地下牢にいることになるらしかった。その後の処遇は決まっていない。

 でも考えれば分かるだろう。『その後』の殊遇なんて、禄でもないことになる。それは分かっていた。


 リヘルト、この少年はどうでもいいのだ。いや、私に暴力を振るった家庭教師に怒りを感じていないわけではないと思う。ただ、それ以上に興味があるのが、自分が私―――リズの役に立てるかどうか。


 勿論、リヘルトのことが嫌いなわけではない。でも私は、もっと違う関係性が築けると、そう夢見ていた。


 なんで上手くいかない。前の世界で上手くいったとは思わない。被害者ぶりたいわけでもない。


 分かっているのだ。どう好意的に、主観的に見方を変えてみても私が加害者だ。

 

 私はリヘルトの黒い髪を撫でた。サラリとした質感の髪が手に絡みつく。黒髪の間から赤い瞳が見えた。頬に手を寄せた。ほんのり柔らかい。手に吸い付くような質感だ。


「リズ様」

 嬉しそうだ。胸が痛んだ。でもそれより私にとって家庭教師の安否の方が大切だった。

「家庭教師のこと、助けてあげて。地下牢から」

「分かりました。叶えます。リズ様の願いは全て」

 リヘルトは今どういう目をしているのだろうか。彼を見るのは辛くて、私は言う。


「じゃあすぐに。出て行って」

 言葉を選ぶ余裕は無かった。誤魔化すように紅茶を口に入れた。しかし何故かほんのり甘かったはずの味は苦味が混じっていた。時間がたてば、苦くなる茶葉なのかもしれない。

 自嘲が漏れた。そんな理由ではないことぐらい分かっていた。

 そして、私の言葉にリヘルトは嬉しげに目を細めた。



 

 


 イブ以外私の部屋へ訪れてくる人はいない。父はどう思っているのか、あの日から来ることはない。

 そんな時だった。私の母親と、もう一人の老人が会いに来たのは。


 一度説明したように、私は一時期軟禁状態にあり、そして母親からも育児放棄されていた。何度か、考えた。何故私の母親は会いに来てくれないのか。それについては結局分かるわけもなく。ほとんど放置していた。私の母親は一人だ。いくら気が弱く自分のことしか考えなかった人だとしても、私はあの人のことを愛している。会えるなら、何を犠牲にでもするだろう。向こうはそれほど強い気持ちを私に抱いていないと分かっていたとしても。

 

「なにこの少女趣味な部屋!」

 私の母親金髪美人の女性は呆れた様に私の部屋を眺めている。

 私は少し緊張していた。彼女らが部屋に訪れたのは、突然だったのだ。普通なら母親にどういう対応をするのだろう。

 お母様!! と懐くのは論外だとして。まあ、普通の物分かりのいい子供を演じれば問題は起こらないはずだ。


「貴女が私の娘なのよね?」

 疑わしそうな目で、母は私を見てくる。頷けば、「ふ~ん、人形みたいな顔ね。ルーンはこんなのが好みなのかしら」と言われた。

 配慮ないな、私は少しショックを受けた。そんなに言われるほど人形みたいな顔だろうか。自分で言うのも悲しいけど、……上の下くらいの可愛さはあると思う。


「とりあえず、私が貴女に会いに来た理由は後で話すことにするから。最初にこの人が貴女に話したいことがあるんですって」

 母は横の老人を見た。老人の外見は異様だった。一言で言うなら、『悪い魔法使い』。背はかなりの角度で曲がっているし、顔は彫像のようなクッキリとした皺が刻まれている。肌も異様な色、茶色と、緑が混じったような。目は白く濁っていて、その濁りに僅かな緑色のきらめきがあった。この人の瞳の色は緑色だ。


 その老人は机の上に手を置いていた。そして静かな瞳で私を見た。その瞳には静かさと苛烈さ混同して、不思議な色合いだった。そう、老人には威圧感とかそういうものではなくもっと穏やかな威厳があった。


「お初にお目にかかります。私は、貴女様の名を付けさせていただいた名付け師でございます。お会いし『名』についてご説明するのが遅くなり、まことに申し訳ございませんでした」


「いえ」

 名、この世界において特殊な意味があるものらしい。これは家庭教師から少し聞いた。

 

 スッと机の上に、紙が載せられた。茶色の紙に一言だけ書かれている。それを手に取る。

 そこにはたった一言【リズベルト 高潔なる人格者】と書かれている。

 これが名前だろうかと名付け師と名乗る人物の顔を窺う。


「それが貴女様の真名でございます」

「真名?」

 問いかける。


「真名とは世界に定められたその者の在り方でございます」

 ということは【高潔なる人格者】が私の在り方なのだろうか。こんなに褒めてもらっていいのだろうか。思わずもう一度紙に目を走らせる。


「……一つ選んでいただきたい」

 そんな私に声が掛かる。


「リズベルト様、この場で貴女様は自身の運命と向き合いなさるか、それか自身の運命から目を背けなさるか。選ぶのです」


 ふっと顔を見合わせる。今まで私にはほとんど情報が来なかった。

 目の前に今ともに私に情報を渡してくれる人がいる。

 ただ、運命という言葉がやけに鼻についた。子供のような反抗心だとは分かっていた。


「私の周りには役に立つ人が少なかったので、今まで困っていたんです。

 勿論、幾らでもお話を聞きたいと思います」

 運命なんて信じたくは無い。

「ただ―――運命、貴女方が何を知っているのかは知りませんが、『運命』は私のものです。どうとにもなります」

 世界の為に自分の人生を無為にされたことを、根に持っているわけではない。だけど、今回は選びたいと思う。『他』の人間に決められるのは前世で懲りた。少しくらい自由にしてもいいかもしれない。

 ただ少し、今の言葉は目の前の人々にとっては、意味不明だったかもしれない。私が言いたかったのは陳腐だけど、自分の運命は自分で切り開く、そんなことなのだ。


「さあ、聞かせてください」

 精一杯の愛想で微笑んだ。





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