終局と、二人の会話
「負けたね」
王弟は溜息と共に、そう言った。
「ありがとうございました」
私が軽く礼をしても、王弟はまだ深く考え込んでいた。
王弟の思考に頭を巡らせるより速く、父は言った。
「殿下、吸血鬼を娘が得て、危険にならないようご配慮いただけますか?」
私が驚いて父の顔を見ても、表情は変わらなかった。こんな口を聞いても大丈夫なのか。私の心配をよそに、王弟は一瞬だけ鋭く父を睨み、息を吐いた。
「私がシンソフィー商会の後ろ盾になろう。私と君の今までの言動から、このことは表向きあまり重要視されないだろう」
「どういうこと?」
ミサが聞く。
「私と、ルーンは変人として有名だからさ」
王弟は自嘲するように言った。そして続ける。
「私がルーンの発明品に傾倒しているようにしか思われない、商人や貴族の間ではね。そして彼らには吸血鬼の存在は秘密にされている」
ただ裏向き、国の上層部にはこう伝える。と、王弟は笑う。
「吸血鬼を国の政治に関わらせないように、私お抱えの商会が面倒を見ると。実のところ、彼が国に反抗したら危険だからという理由で、国は捕らえるという選択肢しかなかった」
ただ、『国お抱えの商会』の『何も知らない商人の娘』がそれを引き取る分には問題はあまり無い。
その商会と娘が国に反抗しようとすれば、捕らえて人質にすればいい。
『罪の首輪』がある限りリヘルトは私から離れられない。そのため私を人質にすれば比較的すぐに、リヘルトを捕らえることが出来る。
「国の上層部も吸血鬼―――人外に政治に関わってほしいとも思っていない。そして誰かが抜け駆けしようとしても、シンソフィー商会は『国』お抱えだ。手出しすればすぐに圧力が掛かる」
「まあ、こうするというほど危険性は無いだろう」
君達が余計なことさえしなければね、楽しげに付け足された言葉に、
「感謝します」
父は深く頭を下げた。
その時私は始めて幸福感が襲った。リヘルトを庇護してあげることが出来る。
ただそうなると、色々弊害が出てくるのは予想できた。
幾らか私とリヘルトに監視の目も付くだろう。
それでもいい。
父の傍ら、私は少しの疲れを感じ目を閉じた。
馬車の中、二人の男女が絡まりあっている。
一人は美しい黒髪の美女。もう一人はくすんだ金髪の酷薄な目をした男だ。
「本当に勝てなかったの?」
金髪の男―――イーザムが腰に手を回そうとするのを避けて、黒髪の美女、ミサは冷静な声で言った。
「勝てなかったよ」
何の温度も感じさせない口調で言い、ミサに笑う。
「勝てるように見えたかい? ミサ」
「少なくとも途中まで勝ってたわ」
「ミサはお馬鹿だね」
そうクスクス笑うイーザムに、ミサは眉を寄せ吐き捨てるように言う。
「八つ当たりはよして。鬱陶しい」
イーザムは肩を竦めた。
「確かにミサの言いたいことも分かるよ。……実のところ二回目も負けるとは思っていなかった。私は自らの力を評価しているからね。だけど勝てなかった。
あの子供―――『あれ』はどう思っていたのか、今でも分からない。あの勝負に勝てると思っていたのか」
「『あれ』は負ける勝負をするようなタマじゃないわ」
またも吐き捨てるように紡がれた言葉にイーザムは苦笑した。
「確かに、そうだろう。私だってそう思う。でもミサ、『あれ』があの勝負にどんな気持ちで臨んだのかそれが分からない。『あれ』は分かっていたはずだ。あの勝負で負ければ、キチガイじみた虐待を『夫』―――ダン子爵からこれから受けることになるだろうと。それでも、たった一つの矜持のために全て賭けられた。その神経が理解できない。
ミサの言うとおりよく考えてみれば、最初から手加減されていた気もするんだ。
私が『おそらく有効』であろう戦術を4、5個持っていたとすれば、『あれ』は『確実に有効』な戦術を40、50個持っていた。だから私は聞いたんだよ対戦経験があるか」
その言葉にミサは俯いた。
「貴方からそんな言葉を聞くとはね」
「……あの子供がそんなに嫌いかい?」
「嫌いよ。あんなの子供じゃないわ。まともじゃない」
イーザムは優しくミサの黒髪を掬う。
「もういやよ。二度と会いたくない」
俯いたまま吐き出される言葉の羅列に、イーザムはほのかな微笑を浮かべ聞き入っている。
「思わなかった? あの子、あまりにも浮世離れしすぎているわ。もう魔物の域よ」
そして一拍置いた後、確信をつく。
「それに、ルーンさん。……大丈夫なの?」
低く問われたそれに、イーザムは予期していたかのように黒髪を撫でた。
「あれは、大丈夫だよ。それごときで終わる男じゃない。それに今潰れてもらっても困る」
「そういう話じゃないわよっ!」
「感情的にならないで欲しいな。『俺』はそういう女は嫌いなんだ」
ミサは肩にまわっていたイーザムの手を払った。
ミサの顔に暗い影が走った。それをイーザムは冷静な目で見つめている。馬車には沈黙に包まれた。
「ミサ、『あれ』をただの魔物だと思うかい?」
諭すような口調ではなく、ただ自分の考えを確固たるものにしようとする問い。
「……違うわよ、聞かなくても分かるでしょ」
ポツリとした言葉が、響いた。
魔物は流石に酷いですよね……。




