王弟イーザムと話
目の前の私に威圧されたかのように、喘ぐ女奴隷。そしてこちらを凝視するアンネ。私が声を荒げたから怖がった、そう解釈は出来る。しかし、先ほどまで涼しい顔で本を持っていた男奴隷までもが、じっとりと怯えた顔でこちらを見つめる。しかし、その男の奴隷の顔には何か、そう熱っぽい何かが存在した。
気になってはいたのだ。
イブ以外が私を遠巻きに見る理由。そして家庭教師までもが、時折怯えた顔でこちらを見つめる。何なのだろうと、私はずっと不思議に思っていた。
そうか、敬遠されていたわけではなく、どうやら『恐れ』られていたらしい。
「私の、私の何が怖いの?」
図書室の凍った時が動き出した。昼下がりの陽の光が室内に満ちる。その光に映し出されたのはロニィの怯えた深緑色の瞳。アンネが私の言葉に身を強張らせ、そして男の奴隷はゴクリと唾を嚥下した。
机の上に乗っていたロニィの指が硬く握られ、そして緩んだ。
「……そんな、ことはありません」
私の口が、笑みの形を描く。
「本当のことを」
私が平坦な声で言えば、アンネが「リズ……」と擦れた、どこか愚図った声色で言った。
威圧しているつもりなんてない。私は昔から、そう昔から自分のことを。
「……あまりにも深遠です」
遠くから声が聞こえた。その方向を見ると、本を持った男の奴隷がこちらを見ていた。
黒の燕尾服。
典雅な微笑を浮かべ、じっと私を見つめる。
「貴方は、周りのことなどどうとも思っていらっしゃらない」
そんな訳、無いだろう。私はあの時も、いやずっと『周り』のことを考えてきた。
言葉が上手く発音できない。そんな私の前に、男の奴隷は近づく。
くすんだ赤の絨毯に、黒い革靴が沈みこんだ。男奴隷は私の目の前で膝をつき、傍らに茶色の表紙の本を置いた。
「どうぞ、触れさせて下さい」
男奴隷の手が、私の頬を撫でるように触った。
「なにも、なにも……貴方たちは何も分かっていない……っ」
口から、言葉が漏れた。私の感情は、迸るような奔流の様に激しかった。ただ、口から出たのは、擦れた無機質な声だった。
目の前の男の茶色の目を見た。そこには『私』が写っている。
「とても、美しい瞳です」
男奴隷は今だ笑みを浮かべ続けている。
私の目は、何色だっただろう。そう黒色だ。一片の不純物も混じっていない。忘れかけていた、私は初めて自分の顔を見たときどう思った? そう思ったのだ『不気味』だと。
それに表情。私はあまり表情を動かさなかった。そんな時、自分の顔はどんな風に見えた?
ああ恐らく『人形』のように見えたことだろう。
重くのしかかるように、色々な感情が押し寄せてきた。
そして私は何を問おうと思ったのか、口を開けかけた。その時、扉の外から足音が聞こえた。
3人。恐らくそれくらいであろう足音。
図書室内は沈黙に包まれた。次の瞬間アンネが、声を上げた。
「っ離れてよ! 奴隷の分際で、私の妹をっ、そんな風に触らないでっ」
棘に満ちた、しかし脅えた声。脅えながらも、私の姉は目の前の男奴隷を睨みつけた。
「……申し訳ありません、気安く私如きが触れてしまい」
男奴隷はチラリとアンネを見た後、私に微笑みかけて素直に謝った。私は黙ってそれを見ていた。
沈黙が落ち、アンネが声を上げるまで棒立ちになっていたロニィが何か言おうとした。
「ああ、先客が居たんだ」
その前に、室内に年若い男の声が響いた。
私が顔を上げるより速く、素早くロニィと男奴隷が跪く。
私は顔を上げ、その新しい来訪者の顔を見て、目を見開いた。
何故ならそこには、父と、そしてにこやかな微笑を貼り付けた若い男、そして若い男に張り付くように黒髪の絶世の美女がいたからだ。
後には案内役の奴隷だと思われる女が一人居る。
「パパっ!」
アンネは嬉しげに叫んだ。父は少しうんざりした様な表情を浮かべた後、横の若い男に話しかけた。
「殿下、まだ幼く礼儀も知らない……」
「ルーン、別にいいよ」
若い男は父の言葉を遮って、私たちに笑いかけた。しかし若い男に返す私達の表情は固い。『殿下』、父が発した言葉で私とアンネは彼がどういう立場の人間なのか、ある程度予想できてしまったからだ。
そう先ほどロニィが漏らした情報。この商品会で最も身分の高い来賓、王弟イーザムだということに。
「こんにちは、君たちはルーンの娘なのかな?」
アンネは身を強張らせたあと、小さく息を吸って、礼儀どうりに礼をした。
王族に対する礼としては上から二番目に位置するものだ。しかし、その選択は良かった。父がホッとしたような表情を浮かべたことからそれは読み取れた。
「ルーン・シンソフィーが長女アンネと申します」
緊張しているからか、かなり固い口調だが、王弟イーザムが笑みを浮かべる程度の微笑ましいものだった。
しかし、私の番が来て微笑ましいなどと言えなくなる。王や貴族、前の世界に居なかった人たちだ。緊張し、心臓が脈打つのが分かった。
救いは、私の顔にそれが表れていないことくらいだろう。
「ルーン・シンソフィーの娘、リズと申します」
緊張しすぎたせいか、出てきた言葉は感情を一切削ぎ落としたような声色だった。




