未来で愛する俺が殺される?助けるために嫌われたかった?ご希望通りになったじゃないか
「──いい加減にして!」
学園の門の前。
伯爵令息シャンクの足元に、カスミソウの花束が投げ捨てられた。
目の前に立つのは伯爵令嬢シエラ。
金の髪に蒼い瞳。その可憐さに“天使”と称えられる彼女だが、今は不快そうに顔を歪めていた。
こげ茶の髪に黒い瞳を持つ少年シャンクは、捨てられた花束を拾い上げる。
「……クラスメイトとして、君の誕生日すら祝わせてもらえないのか?」
「最初に言ったわよね、私に一切関わらないでって」
「その理由を明かしてくれるなら従うさ」
「私の問題よ。貴方には関係ないわ」
そう言い捨てて、シエラは校舎の中へと入っていった。
取り残されたシャンクの横を生徒達が通り過ぎていく。嘲笑をこぼしながら。
「まだ付きまとっているのか。懲りないな」
「シエラ様お可哀想」
「人の気も知らずに身勝手な」
シャンクがシエラと出会ったのは、学園の入学パーティーだ。淡いピンクのドレスを纏った彼女に、一目で恋に落ちた。
同じ伯爵家ではあるが、容姿は全く釣り合っていない。それでも手を伸ばさずにはいられなかった。
『シャンクと申します。お名前を……教えて頂けませんか』
『──お断りします。もうお会いする事もないでしょうから』
初めて会った時から彼女は辛辣だった。
それで諦められればよかったが、負けん気が強いシャンクはムキになった。
生理的に受け付けないなら仕方ないが、シエラは理由を頑なに明かさない。
それどころか、立ち去る間際に一瞬だけ寂しげな顔をする。なぜそんな顔をするのか知りたかった。
あれから一年。
シャンクがめげないばかりにシエラの悪態はますます悪化し、公然の場でも隠さなくなった。
端から見れば、可憐な令嬢に執拗に迫る男という構図である。周囲は当然、彼女の肩を持った。その中には第一王子もいた。
流石に家に迷惑をかける訳にもいかず、シャンクは引き下がるしかなかった。
花束に付けたメッセージカードには、今までの謝罪を記した。カードは受け取ったようだが、彼女の態度は変わらないまま花束は投げ捨てられた。
あの場で「許す」と言ってくれれば、シャンクの立場もいくらかは和らいだだろうに。それすら拒むほどシャンクは憎まれているのだろうか。
「……潮時だな」
侍従に花束を処分するように命じ、シャンクは校舎に入らず帰宅した。
ーーー
シャンクは伯爵子息だが、正確には隣国の伯爵子息──留学生だ。
他国へ行けば良い刺激になるかと思っての事だが、これ以上この国にいる利点は無い。
学園長と面談し、登城して王にも謝罪した。シャンク側に瑕疵がない事は調べがついていたらしく、彼の帰国を惜しんでくれた。
その調べの過程で第一王子の不正の証拠が見つかり、その中にはシエラを愛妾にしてシャンクを殺す計画書まであったようだ。王から謝罪と賠償を申し出されたが、未遂で終わった事だとシャンクは断った。
せめて夜会を開いてシャンクの名誉だけは回復させたいと言われてしまえば、流石に拒めない。
その代わり、シエラや学園に通う者達に招待状は送らないように頼んだ。シャンクが客賓の夜会など、彼女達にとって居心地が悪いだろうと思ったからだ。
──それなのに、なぜかシエラは現れた。
あの鋭かった眼差しは綻び、頬を紅潮させている。まるで恋する乙女のように。
「シャンク……」
「──招待していないはずだけど?」
シエラだけでなく彼女の友人達もいた。
今までの嘲笑と違い、なぜかコチラを微笑ましく見守っている。
「両親に頼んで連れて来てもらったの」
彼女達に招待状は送っていないが、その親には送っている。一緒に登城したのだろう。連れて来るなとは書いていない。
このパーティーがどんな意味を持つか察して、シャンクに謝りに来たのか。彼の予想は半分正解で、半分は間違っていた。
「あの……今までごめんなさい。私、貴方に酷い態度だったでしょう? それには事情があったの」
彼女の説明によると、シエラは一度死んで過去に戻ってきたらしい。
シエラの知る未来では、シャンクとシエラは出会った瞬間に恋に落ちた。婚約して結婚まで秒読みというところで、シャンクは事故で亡くなり、シエラは第一王子の愛妾となった。
初夜の場で第一王子からシャンクの死の真相を聞かされ、シエラは窓から飛び降りた。目を覚ますとシャンクと出会う前まで時間が遡っていたのだという。
「私、貴方を殺されたくなくて……必死だったの」
再び愛し合えば、シャンクは第一王子に殺される。心を鬼にして最愛の彼を突き放した。
嫌われてしまってもシャンクが生きていればいい。それだけが救いだった。
シエラの気も知らずに想いを寄せてくるシャンクに苛立ちを覚えながらも、心のどこかで喜んでいた。
でももう、第一王子の罪は暴かれた。二人の仲を邪魔する者はもういない。
呪縛から解き放たれたシエラは、咲き誇る花のように美しい。
「最初から、やり直しましょう? 今度こそ幸せに──」
「え、嫌だけど」
シャンクの拒絶に、時が止まったように静まり返る。楽団さえ手を止めてしまった。
呆然とするシエラと周囲に、シャンクは内心大きなため息を吐いた。
「謝罪は受けとる。自国でも似た事例を耳にしているから、君の話を疑うつもりもない。事実なら君は俺の命の恩人でもある。──でも、君との婚約はまた別の話だ」
「そんな……っ」
「酷いわ! シエラの苦しみも知らないくせに!」
悲しげに顔を歪めるシエラを見て、彼女の友人達が抗議する。
シャンクは淡々と言葉を返す。この一年で鍛え上げられた精神は、この程度ではビクともしない。
「教えなかったのは君達だろ。俺だけ除け者にして嘲笑っていたな。なぜ彼女達に話した?」
「だって……貴方に危害を加えると言うから、止めるには話すしかなかったの」
「君の話を信じる仲間も居て、やった事は俺のイジメだけか。なぜ第一王子を告発しなかった。あの男を止めない限り、俺達の未来は変わらなかった」
「だって……必死だったの……」
シエラは可憐だが、それだけだ。家柄は良くても頭は悪い。だから第一王子の妃候補として認められなかった。
方法は褒められたものではないが、彼女の言う通り、シャンクを守る事しか頭になかったのだろう。そこに悪意はなかった。
過去の事は水に流しても構わない。
だからといって、未来まで彼女に付き合うつもりはない。
「君は俺を知っているのかもしれないが、俺は君を知らない。名前も身分も好きなものさえ何一つ教えてもらった事がない。声をかける度に睨まれ、贈り物は拒まれ、ささやかな花束さえ投げ捨てられた」
「……っ」
「俺の謝罪すら受け入れてくれなかったな。生きていれば名誉などどうでもいいと?」
「そんな言い方……酷い……」
「人の恋心を捨てろと迫っておいて、捨てたら捨てたで拾えと迫るのは酷くないのか?」
結局、彼女が愛しているのは一周目のシャンクだ。婚約者に戻ればシャンクもまた元に戻るとでも思っているのだろう。
シャンクにとっても初恋だったが──全てを捨てて捧げるほどの愛に育つことなく枯れてしまった。
「俺に嫌われたかったんだろう? 君の望み通りになったよ。もうこの国に来る事はないから、どうか勝手に幸せになってくれ」
「そんな……っ嫌! 嫌よ!」
婚約者を殺され、愛しい相手の手を拒まなければならないシエラの苦痛を、シャンクは知らない。彼女を許せない自分は人として薄情なのかもしれない。
しかし今のシャンクの心は、干からびた大地そのものだ。シエラのために花どころか雑草一本生やす事すら出来そうになかった。
「君は知っているだろ? 俺が留学をした理由を」
「絵を……描くためでしょう? 前の時は、何枚も私の絵を描いてくれたわ」
芸術を愛する家で生まれたシャンクは、貴族令息でありながら新鋭の画家でもあった。
風景画しか描かない彼が、唯一描きたいと思った女性こそシエラだった。婚約していたならば、シャンクは喜んで何枚も描いた事だろう。
「君と出会ったあの日から、俺は一枚も描いていない。──描けなくなったんだ」
シャンクは深く傷付いていた。
初めて心惹かれた相手に拒絶され、スランプに陥ってしまうほどに。
それでも彼女を恨むつもりはない。
シエラを好きになったのはシャンクだ。その責任まで負わせるほど、落ちぶれてはいない。
「そんな……そんな事って……っ!」
一周目のシャンクが、どれだけ絵を愛していたか知っているのだろう。
ようやくシエラは自分が何をしたのか気付いたようだった。その場に座り込んで泣き出した。
「ごめんなさい……っ、私、なんて事を……っ! 今度は私がシャンクを殺してしまった……っ!」
周囲はなぜかシャンクに視線を向けるが、放っておいて会場を後にする。
シエラが登城した事を、シャンクは事前に知らされていなかった。王は浅慮にも、彼女ならシャンクを引き留められると思ったのだろう。
「王子が王子なら、王も王だな」
王はシャンクの絵の熱烈なファンだった。その縁で留学を持ちかけられたのだ。
一度疑心を抱いてしまえば、一周目のシャンクが本当に死んだのかも怪しい。
巻き戻ってしまった今、真相は闇の中だ。同じ結末を辿るつもりもない。
シャンクは休憩室に入ってすぐ窓から抜け出し、空になったタウンハウスには帰らず、そのまま帰国した。
ーーー
侯爵邸の庭園のガゼボにて。
どうにか自国へ帰ってきたシャンクに対し、幼馴染は辛辣だった。
「自業自得だ。あの国だけは止めろと散々警告しただろう」
「返す言葉もない……」
「感情で動くからこうなるんだ。次の相手は親にでも選んでもらえ」
幼馴染は合理主義者だが、理想主義者のシャンクとは不思議と馬が合った。
今日は彼の婚約が無事調ったと聞いて祝いに来たはずだが、なぜか説教を受けている。
結婚には寛容な両親でさえ、隣国での経緯を知り「このままではまた女に騙される」と口うるさくなってしまった。
留学する前は絵さえ描けたら結婚などどうでもよかった。しなければいけないなら、何枚でも描きたくなるような女性がいいと考えていた。
しかし絵が描けない今、そこまでこだわる必要はなくなったのだと気付く。
「──政略でも幸せに出来るかな」
「お前の努力次第だ」
「身も蓋もないな」
「今のお前にまともな縁談がくるとでも?」
芸術バカの次男坊。つい最近まで隣国で恋に狂い、失恋して絵が描けなくなった。確かに良い縁談がくるはずもない。
同じくロクな縁談が来なさそうなシエラは、修道院に行く事にしたようだ。一人だけ楽な道に逃げたようで気に入らないが、変な男と結婚して再び巻き戻っても面倒だ。
ーーー
「初めまして、メロエッタと申します」
政略結婚をするにしても、噂が落ち着くまで王都を離れるべきだ。そう幼馴染に諭され、彼の婚約者の領地で静養する事になった。
シャンクを出迎えたのは辺境伯三女メロエッタ。茶髪茶瞳で、肩で切り揃えられた髪の先が内側にクルリとカールしている。
9歳とまだ学園に通う年齢ではないが、外見の幼さとは裏腹に、澄んだ瞳には利発さも窺えた。
幼馴染の婚約者の妹が領地を案内するというので内心身構えていたが、7歳も年齢が離れていれば恋愛対象外だろう。芸術一家と政略結婚したところでうま味もない。
シャンクは肩の力を抜いて、メロエッタに一礼した。
「シャンクです。暫くご迷惑をおかけします」
「敬語は不要です。シャンク先生の方が年上なのですから」
「そう言われても……“先生”?」
尋ねるとメロエッタは頬を紅潮させ、目を輝かせた。
「はい! 私、先生のファンなんです。いつか自分のお金で先生の絵を購入するのが夢なんです」
「そうか……」
彼女の純粋な言葉は嬉しかったが、同時に申し訳なくなった。
きっと彼女は画家であるシャンクを待ちわびていただろうに、ここにいるシャンクはただの男だ。
「お礼に絵を描いてあげたいが……筆はもう折ってしまったんだ。すまない」
もはや言い慣れた台詞だ。そう言うと、誰もが同情する素振りだけして離れていく。
しかしメロエッタは微笑み、絵の具のシミが残るシャンクの手を握った。
「では、私が代わりに絵を描きます!」
「……君が?」
「はい。先生のように上手くはありませんが、家族には面白いと評判なのです」
そうして連れて行かれた先にあったメロエッタの絵は、確かに面白かった。技術は拙いが、好きなものを楽しく描いたのが伝わってきて、つい笑ってしまうのだ。
あまりに純粋な絵に、隣国からずっと心に居座っていた何かが消えていくのを感じ、シャンクは気付かれぬように涙を拭った。
ーーー
それからシャンクとメロエッタは常に一緒にいた。
辺境伯領には王都にはないものが多く、キャンバスを持ってあちこちを巡った。
メロエッタはシャンクの描きたいものを描き、代わりに彼は彼女に技術を教えた。
王都の貴族には、メロエッタの絵は子供の落書きにしか見えないだろう。彼女の絵の価値は、絵を大事にしてくれる者だけが知っていればいい。
二人が絵に没頭している間に、メロエッタの婚約者にシャンクが内定した。
知らされた時は戸惑ったが、元はといえばメロエッタを連れ回していたシャンクに責任がある。ここで拒めば、メロエッタがもう自分のために絵を描いてくれない事も分かっていた。
婚約式のメロエッタは可愛かった。ステンドグラスの光のせいか、瞳が星屑を散らしたように輝いていた。
早速シャンクは彼女に描いてもらったものの、何かが違う。見えているものは同じはずなのに、シャンクの望んだ絵にはならない。
そこでようやく──自分が描かねば、自分の気持ちが込められない事に気付いた。
久しぶりに手に取った筆で描いたメロエッタは、婚約式で見た彼女そのものだった。描いた後の絵に執着しないシャンクでさえ、人目に晒すのを惜しむほどに。
それから、少しずつ大人になっていくメロエッタをシャンクは描き続けた。最初は恥ずかしそうにしていた彼女も、負けじとシャンクを描くようになった。
メロエッタが学園に入学すれば、シャンクもまた王都に戻り、美術の家庭教師になった。
再び絵を描けるようになったとはいえ、メロエッタしか描きたくなかった。当然、その絵を売る気もなかった。
幸い、幼馴染の縁で貴族からも依頼が来るようになり、メロエッタを苦労させる事はなさそうだ。
ーーー
あっという間に時は過ぎ、メロエッタが卒業した年に結婚した。
すっかり大人の女性になった彼女と目が合うだけで、シャンクはどぎまぎしてしまう。
この感情に心当たりはあったが、名前を付けるのはどうにも気が引けた。
初恋も知らぬメロエッタにとって、この結婚は政略でしかないからだ。
そんなある日、メロエッタの部屋に見慣れぬ絵がかかっている事に気付く。
「この絵は……?」
「私が初めて描いた絵よ。何だと思う?」
「うーん……袋から溢れた砂糖かな」
「カスミソウの花束よ」
ふと思い出した。シエラに投げ捨てられた花もカスミソウだった。
「……題名は?」
「“初恋”」
「そうか……そうだな」
あの時、シエラが捨ててくれたからこそ今がある。
振り返るとメロエッタの瞳には星屑が散っていた。月明かりでさえ瞬くそれは、涙で潤んでいるのだとシャンクは既に知っている。
「ありがとう。──ずっと見守ってくれていたんだな」
「でも……助けられなかったわ」
「君に助けられていたら、恥ずかしくて辺境伯領になんて行けなかった。君と結婚出来なかった方がゾッとする」
シャンクは愛しい人を抱き締める。
初恋は叶わないと聞くが、妻の初恋が叶ってよかったと心の底から安堵した。
補足しておくと、辺境伯一家は何もしてません。
「初恋相手と必ず結ばれる」という宿命のようなものがあり、代わりに彼女達に巻き戻りなどの不思議な力はありません。
結婚するまで相手に介入したり愛を伝えるのも禁止。
破ると初恋相手が犠牲になるため見守るしかなかったという事で。




