Episode5 スーパールーキー
美しいシュートは音を立てない。バックボードにもリングにも当たらずネットを通ったボールが床に落ちる。静南高校春の恒例となっている新入生歓迎のミニゲーム。例年ならば1年生が高校バスケットボールの洗礼を受け、威厳を保った先輩たちが和やかに新入生を迎え入れるはずだった。しかし今年は異様な熱気を帯びている。
「マーク、オッケー!」
コートにいる上級生のぎらついた目の先には村沢薫。去年の中学MVPとはいえ1年生だ。それなのに。コートサイドにいる上級生たちは応援も忘れて静まり返っていた。薫はコートを縦横無尽に駆け巡る。コートはまるで彼のために用意された舞台であり、他の追随を許さない絶対的な支配だった。ゲーム開始から5分が経った頃、スコアボードを確認すると新入生チームが10点リードしていた。その立役者は間違いなく薫だ。陸人は初めその活躍に目を見張るばかりだったが、だんだんと目つきが変わっていた。薫がシュートをするならリバウンドを務めるのは自分。薫にディフェンスが集中する分、自分はフリーになれる。そこをついてパスを呼べば。そうやって薫を軸に自分のプレーを組み立てながら試合を観ていた。
薫はその華やかなオフェンスに目が行きがちだがディフェンスでも活躍していた。完全にフリーとなったかに思われた上級生にも驚きの速度で追いついてブロックする。その反射神経と跳躍力、そしてフェイントを見破る観察眼に上級生たちは圧されていた。
「速攻!」
「戻れ!」
上級生のポイントガードが叫び警戒を促す。急いで守りを固める上級生たち。その上級生たちが立ちはだかろうとも薫はスリーポイントラインの手前で急停止し、ジャンプシュートを放つ。回転がかけられたボールは吸い込まれるようにネットを揺らした。卓越した状況判断力に手がつけられない。まさにそういった様相だ。どんなに身体を張ってプレッシャーをかけてもまるでものともしない。薫をマークしている上級生は心が折れかけていた。上級生チームには困惑と諦めのムードが漂い、参考にもならないとコート外の新入生たちは雑談を始める始末。そんな中、陸人だけはその動きを事細かく脳裏に焼きつけていた。薫が今のシュートを選んだのは味方が誰も薫を信じて走り出していなかったからだ。自分なら薫がリバウンドで跳んだ瞬間に走り出していた。それならドリブルしている薫よりも確実に前を走れる。速攻は相手のディフェンスが固まる前に得点できなければ意味がない。薫の速攻が警戒されているなら1人でも味方がいたほうが人数的に有利だ。自分なら確実に薫の力になれる。陸人はそう確信した。上級生チームも一方的にやられているわけではない。まともにプレーすれば新入生が上級生にかなうはずはなく、薫以外の新入生は上級生のオフェンスを止められずにいた。最早薫対上級生5人と言ってもいい得点争いは拮抗している。
それでも前半の10分が終了した時点で新入生のリードは変わらず、その差は15点まで広がっていた。ハーフタイムの1年生のベンチでは薫を中心に彼方と菜緒も輪に加わり、ゲーム中の興奮をそのままに盛りあがっている。新入生たちは薫に引っ張られる形ではありながらもチームが勝っていることを純粋に喜んでいた。汗だくの身体をぶつけあって薫を称賛する。
「ほんとすげえな!」
「味方でよかったよ」
「そんな。チームの力だよ」
薫は涼しい顔で謙遜を見せている。その顔に違和感を感じた陸人が薫に声をかける。
「村沢くん、大活躍だな」
陸人が声をかけると薫はパッと振り返った。チームの輪を外れて陸人のところへ来る。
「見てた?」
「もちろん」
陸人に向けるその顔は先ほどの涼しい顔とは違ってどこか切羽詰まっている。陸人はその熱を知っていた。これは渇望だ。より強者を求めている時の。もっと高みでプレーしたい。そう望む薫の熱に充てられている自分に陸人は気づいた。バスケに対する飢餓感。飢餓感で2人は繋がっていた。陸人は薫と同じコートに立って同じものを目指したいという気持ちを誤魔化そうとも思わなかった。ハーフタイムが終了し、このままリードを守り切ろうと声をかけ合っていた新入生が驚く。
「えっ!?ちょっと待ってくださいよ!」
「いやいや、反則だって……」
上級生はフルメンバーの交代だった。今年のスタメンは確実と言われていた副キャプテンの恵と3年生の相川将吾。そして去年のスタメンであったキャプテンの剛士、慧、龍也がコートに立った。
「お前らぁ!先輩っちゅーもんを見せてやんぜ!」
「たっちゃん、大口叩いてると痛い目見るかもよ?」
「そうだ。相手が新入生だからといって油断するな」
1年生を指さす龍也を剛士と恵がたしなめる。そして審判は透が務めるのか、ホイッスルを首からかけていた。今の静南高校で考えられる最強のメンバーは並んだだけで他とは違うオーラがある。15点差などないに等しいだろう。薫を見るとその目は輝き、口元には好戦的な笑みが浮かんでいた。薫自身の実力が静南高校のスタメンにどこまで食らいつけるのかを知るチャンスだ。さっきよりも本気の薫を見られる。そう思って身を乗り出していると透がこっちを見ていることに気がついた。
「う〜ん、1年生は……。日ノ本、出てみよっかぁ」
透に名前を呼ばれ、陸人の心臓が痛いほどに跳ねる。いよいよコートが現実となって陸人の目の前に広がり、陸人は目眩を覚えた。リングに嫌われた記憶がよみがえる。自分のものではないバッシュの中で足が滑る。燃えあがる気持ちを裏切るように足がすくむ。こんなに重たい身体では跳べない。その背中を小さな手が押した。
「りっくん!ファイト!」
彼方からの軽やかな声援が魔法のように陸人を重力から解放した。ビブスとTシャツの隙間を風が通る。気づけば陸人はコートの上に立っていた。それはやってみればひどく簡単なことだった。振り向けば自分がさっきまでいたコートサイド。たったこれだけの距離だった。自分がバスケットボールから逃げられたのは。
「りっくん、まさかルール忘れてないよね?」
彼方がにやけ顔で煽る。全て知りながらも変わらず接してくれる彼方に陸人は救われた。
「生意気だぞ。チビ彼方」
久しぶりに口にするあだ名で彼方を指さして陸人は笑った。彼方が小さく息を呑む。コートを駆ける陸人の足は軽やかでプレッシャーは純粋な高揚感と闘志に変わっていた。チームメイトに迎えられ、薫に求められるがままにハイタッチを交わす。
「おかえり?」
「ははっ、ただいま?」
自分をバスケットボールに引き戻したこの男が終生のライバルになるとは陸人はこの時まだ知らなかった。薫と陸人。この2人が初めてコートにそろった瞬間。歴史的な場に立ち会っているということに当事者たちは誰も自覚がなかった。




