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Episode4 挨拶

 陸人の鼓動はボールが弾む音と呼応していた。久しぶりの試合前の緊張感。選手だった頃の記憶がよみがえる。ボールが跳ねる音。バッシュと擦れ床が鳴く音。ボールがバックボードにぶつかる鈍い音。遠ざけてきたものが今は目の前にある。陸人は今すぐにでもコートに飛び込みたい気持ちを抑えてアップに専念した。ここで怪我をするわけにはいかない。逸る心に身体はついてこず、なまっているのを実感するばかりだ。まともにプレーできず自分のせいでまたチームの足を引っ張ったら。そう思うとコートに向かう気持ちに急ブレーキがかかり、熱意と恐怖が心に軋轢を生んだ。

 ミニゲームに参加する全員にビブスが配られる。余裕そうな笑みに対する挑戦に輝く瞳。上級生対新入生。腕試しといったところだろうか。ミニゲームの前に10分間の休憩が与えられる。それぞれがスポーツバッグからドリンクを出して身体に流し込んでいた。

「先輩が後輩に負けてごらんなさい。グラウンド30周よ。あたしの愛のお仕置きが待ってるわ」

 副キャプテンの恵が言うと上級生が一斉にうめく。

「うわぁ……」

「それは勘弁……」

「せめて体育館にしてくださいよ」

 やいのやいのと文句が飛び交う。その和やかな雰囲気に陸人は戸惑っていた。自分が知っているチームはもっと殺気立っていた。プレッシャーに満ちていて、勝つことに強くこだわっており、それを思い出しているとガラリと体育館の大きい引き戸が開く。

「お疲れーーーーーっす!」

「……遅れた」

「か、風祭先生、ちゃんと行きますってば!」

 補習で遅れた2年生の真白龍也と3年生の如月慧。そして菜緒に襟元を掴まれて引きずられるように連れてこられた男が外部監督の里見透だ。透に会うのが初めてなのは陸人だけではないようで1年生に召集がかかる。激戦区の都大会で毎年ベスト8のチームを率いている監督。陸人は乾いた喉を鳴らした。緊張気味に姿勢を正して挨拶をする1年生たちに向かって透は手を振ってそれを制する。どうしたらいいか戸惑う1年生との間にキャプテンの剛士が入ってくれた。

「菜緒先生、ありがとうございます。里見先生、1週間も練習にこないでなにをなさっていたんです?」

 剛士が厳しく問い詰める。そんな剛士の迫力にも動じず透はにへらと笑って言った。

「えっとね、釣り」

「は?」

「春はスズキが旬でね。二階堂の一緒にどうだい?」

 剛士の言葉と共に陸人の頭の中にも疑問が浮かぶ。もっと厳しい監督を想像していた陸人は拍子抜けした。

「1年生諸君、解散解散。休憩中でしょ?僕のことは構わなくていいから」

 へらへらした笑顔で手の甲を向けられ追い払うように振られた。遠慮がちに1年生が散り散りになる。アップに戻ろうとする陸人を見つけた菜緒が駆け寄ってきた。

「日ノ本くん!来てくれたのね!」

「あっ、はい。成り行きで……」

「理由はなんでも嬉しいわ。大歓迎よ」

 菜緒が素直に喜ぶ様子に陸人は少し照れくさくなる。

「久しぶりだな!やっぱりバスケやるんじゃねえか」

 突然背伸びして先輩が肩を組んでくる。その馴れ馴れしさに陸人は身を固くした。しかし久しぶりという言葉によくよく相手を見ると入学式に初めて言葉を交わした先輩であることに気づく。

「あっ!ど、どうも……」

「なんだ?真白と日ノ本は知り合いか」

「あら?じゃあ日ノ本海人の弟がいるのをたっちゃんは知ってたのかしら?」

「知らねー。てかお前、日ノ本陸人っていうんか。俺、真白龍也!よろしくな」

「真白、先輩……」

 自分を指さして笑顔を見せる龍也に陸人は少し面食らう。バスケットボールをやっていて日ノ本海人の弟だと知っても態度を変えなかったものはひとりも居なかった。この人は日ノ本海人の弟ではなく日ノ本陸人を見てくれるのではないかと期待する。

「旦那、姐さん。俺、陸人の教育係やってもいいぜ」

「あらそう?まあ知り合いならちょうどいいわね」

「なにかと世話を焼いてやれ」

 陸人を蚊帳の外に恵と剛が了承し、話が進んでいく。

「ってことだから、なんかあったら俺に言え!」

 龍也が明るく笑う。陸人はなんだか肩の荷がおりたような気がした。その一連を透が外から眺めていた。

「ようやく一歩踏み出したってところかな」

「休憩時間終了です!ミニゲームを始めます!」

 タイマーの後ろに座った彼方が声を張りあげる。それを合図にコートに入る者とコートから出て行く者に分かれた。陸人は薫を目で追う。他の部員も同じようだ。レギュラーではないにしてもベンチ入りを狙っている上級生に薫がどこまで通用するのか。この試合の結果によっては薫のベンチ入りもありえるかもしれない。

「じゃあ始めるわよ」

 ジャージに着替えた菜緒がコート上の選手に挨拶を促した。

「しゃーっす!」

 センターサークルを囲んで部員が散り散りになる。菜緒がボールを持ってセンターラインに立つ。そのボールを挟んで睨み合う薫と上級生。一瞬時が止まり、再び動き出す。陸人は思わず息を止めてボールが宙に舞っているのを見た。試合が始まる。真っすぐにあげられたボールを薫は相手の遥か上で捉えた。ポイントガードがいるところへボールを飛ばす余裕さえある。

「すげえ……」

 思わず陸人の口から感嘆の言葉が漏れた。身長はわずかに陸人のほうが高いが、跳躍力で薫の上をいけるだろうか。周囲からも驚きの声があがっていた。攻守が決まり、素早くそれぞれにディフェンスがつく。陸人は目を見張った。中学のバスケットボールとはテンポが違う。成長途中の身体と鍛えられた身体ではこうも変わるのか。自分はついていけないかもしれない。 一滴の不安が陸人の心に滲む。いや、認めさせるのだ。日ノ本海人の弟として求められるものとは違う日ノ本陸人のプレーを。

 温まった身体から汗が一筋流れる。1年のブランクを打ち破り、もう一度コートの上に立って見せる。薫を見るともうスリーポイントラインにいた。目を離せば一瞬で見失いそうだ。ボールがなんとかゴール下に運ばれて薫に渡った瞬間、上級生チームの空気が変わった。薫がいくら中学MVPとはいえ上級生には一日の長がある。

「ゾーン!」

 透の鋭い声が聞こえ、陸人や他の1年生は肩を跳ねさせた。休憩中とは打って変わった様子の透が腕を組んで試合を観ている。ゾーンとはゴール下を全員で守るディフェンスだ。堅い守りに薫はどう対応するのか。絶妙な角度からゴールに向かってドリブルした薫ひとりに対し、ふたりのディフェンスが行く手を阻む。さすがに1対2は薫でも厳しいだろうと陸人は思った。自分ならここで一旦後ろにボールを返す。越えられない壁に一歩引いた薫も味方にパスを出すのかと思いきや、緩急をつけたドライブでディフェンスの壁を抜き去った。その一瞬の加速で薫はゴール下までたどり着く。さらに立ちはだかるブロックさえも跳躍力で越えて見せた。鍛えあげられた肉体、それを操る身体能力、そして一瞬の判断力。その全てが陸人の知るバスケの最高峰を体現していた。圧倒的な得点力。これがあればあの日の試合で負けることはなかった。これがあれば今も自分はコートの上に立っていられた。自分に薫のような力さえあれば。それは兄には抱かなかった感情だった。陸人は思わず立ちあがった。

(これだ。俺が求めていたプレー……!)

 揺れるリング。薫は挨拶代わりのダンクシュートをリングに叩き込んだ。体育館が一瞬の静寂の後、爆発的な歓声に包まれた。陸人の胸には言いようのない熱いものが込み上げてくる。それは興奮か、羨望か、あるいは過去への後悔か。

「すげえな、村沢!」

「ナイッシュー!」

 チームメイトから称賛の声があがる。ディフェンスに戻る薫は立ち止まって陸人に視線をよこし、意味ありげに笑って人差し指を自分のほうへ曲げてみせる。それは挑発であると同時に陸人をコートに誘う強いメッセージだった。薫の真っ直ぐな瞳は陸人の奥底に眠るバスケへの情熱を呼び覚ますかのように心を揺さぶった。陸人の心臓はまるで激しいドリブルの音に合わせていくかのように再び激しく脈打ち始める。全身の血潮が沸騰し、皮膚の奥から熱が込み上げてくる。まるで細胞のひとつひとつが長い眠りから覚醒していくかのように内側から熱を帯びていくのを感じた。それは忘れかけていたバスケへの渇望が最早抑えきれないほどに膨れ上がっていく感覚だった。

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