Episode2 出会いと再会
東京私立静南高校の入学式は春の柔らかな光に包まれて行われていた。真新しい制服に身を包んだ新入生たちが体育館に整列し、緊張と期待が入り混じる独特の空気が漂っている。
「この私立静南高校に入学した諸君の目の前には無限の可能性が広がっており、我々指導者は……」
だが、その空気を重くするかのように壇上の理事⾧は延々とスピーチを続けていた。理事長の口上が響いた瞬間、期待に張りつめていた空気はジワリと重苦しい湿気のように変わっていった。声は低く抑揚に乏しく教育の重要性や人生訓に関するものだったが、言葉が冗⾧で同じ内容が繰り返されるばかりで古めかしい理想論の繰り返し。最初は緊張で背筋を伸ばしていた新入生たちも次第に姿勢を崩して目線を落とす。体育館のあちこちからため息が漏れ、周囲の生徒たちは無言で顔を見合わせながらまだ終わらないことに悪態をついていた。陸人は目だけを動かして時計を見た。信じられないほどに進みが遅い。陸人も例外ではなく背筋を伸ばして話を聞くふりをしながらも心の中では早く解放されたいと願っていた。 時計の秒針がひとつ進むのがまるで永遠の旅のように遅い。左隣の生徒は膝の上で指を組んだまま完全に意識を飛ばしかけている。壇上の理事長はそんな空気をよそにますます熱を込めて語り続けた。
「皆さんはこれからの日本を背負う若人であり……」
(いや、もう十分背負わせてるだろ……)
陸人は心の中で突っ込み、必死に笑いをこらえた。ようやく、本当にようやく理事⾧のスピーチが幕を閉じて入学式は形式的な拍手の中で終了し、体育館にいた新入生たちの身体は一斉に反応した。ガタガタと椅子が引かれる音。解放された鳥の群れのように少年少女は立ち上がる。
「ふぅ、助かったぁ」
「死ぬかと思った……」
そんな小声があちこちから飛び交う。陸人もまた席を立ち、肩を回す。重苦しい空気から抜け出した安堵感が胸いっぱいに広がり、ようやく息を吸えた気がした。そして列をなしながら教室へ向かう新入生たちの姿はまさしく新しい物語の扉を開く者たちの群れだった。
新入生たちはそれぞれのクラスへと移動していく。陸人も自分のクラスである A 組へ向かうが、すれ違う生徒たちの視線がやけに気になった。⾧身の陸人はどうしても目立ち、物珍しげに見られていることが学校という狭い範囲の中で息苦しさを生んでいた。その途中で掲示板が目に入る。真新しい新入部員勧誘のポスターの中で居心地が悪そうな古い学校新聞。記事を読み始めるとそれは昨年のウインターカップ予選のレポートだった。そこには静南高校が決勝リーグ進出を賭けたブロック決勝戦で王者東雲高校に完敗した様子が書かれていた。しかし同時に静南が都大会で万年ベスト 8 に食い込む侮れない存在として紹介されており、陸人は少し意外に感じた。姉が借りたマンションから交通の便で適当に選んだ学校が単なる弱小校ではないことを知り、胸の奥で小さなざわめきが生まれる。
「君、新入生だろ?」
背後からかけられた声に振り返れば意外と近い目線に知らない男子生徒が立っていた。周りからさらに視線が集まっている。しかしそれは陸人に向けられるものとは少し違って女子からの熱を持った視線が多かった。陸人はなにも答えなかった。それを気にする風もなく男子生徒が自己紹介する。
「俺は村沢薫。よろしくね」
「……日ノ本陸人。よろしく」
「日ノ本?君、もしかしてお兄さんいる?」
嫌な質問が来たと身構えたところで場違いに明るい声が2人の間の微妙な空気を切り裂いた。
「陸人くん!陸人くんじゃん!久しぶり!」
目線の遥か下から声がする。走ってきた女子生徒はこじんまりとしていて見覚えがなかった。
「えっと、初めまして……?」
「あっ!陸人くん、忘れたの?薄情者!あたし、田中彼方だよ。りっくん!」
その呼び名に幼い頃の記憶がよみがえる。自分と共に公園を走り回っていた少女、その無邪気な笑顔が目の前の女子生徒と重なった。
「彼方!?嘘だろ!全然分かんなかった!」
「そうだよ!まさか同じ学校なんて運命だね!……って、村沢くん!?」
「うん。俺も一緒」
「知り合い?」
陸人が訊くと彼方は大きく、薫は控えめに頷く。
「同じ中学校だったの。うちのバスケ部は全中ベスト4でね、村沢くんは都の中学MVPなの!スカウトされてると思ってたけど……」
「スカウトなら全部断ったよ。周りの奴らが強くて全国行けても当たり前だろ。俺は俺の力で全国に行きたい」
真っ直ぐな眼差し。その瞳に一切の迷いも計算もなかった。薫の言葉に陸人は目を丸くした。穏やかな奴だと思っていたが意外と我が強い。しかし中学MVPともなればそういうものかと陸人は1人で納得していた。
「あたし、バスケ部のマネージャーになる!」
突拍子もなく彼方が宣言した。手を挙げて背伸びまでして精いっぱいアピールしている。
「それはいい!先輩たちが知ったら喜ぶよ」
「も〜、女子ってだけで大袈裟!」
「まぁ、そのうち分かるよ」
薫はどこか遠い目をして言った。言葉の真意は分からなかったが、その口ぶりには静南高校のバスケ部にまつわるなにかを知っているような含みがあった。
「彼方……。いいのか?」
彼方には夢がある。陸人の記憶の中の彼方は夢に向かって一直線だった。その夢はどうしたのかと彼方を伺えば気まずそうな笑顔を見せる。
「まぁ、小さい頃のことはいいじゃん。2人のサポートは任せて!」
会わない間に彼方にもなにかあったのだろうか。夢を持ち続けられなかった幼馴染同士、薄暗い親近感が湧いた。握り拳を作って気合いを入れている彼方を見てハッとする。
「彼方、俺バスケ部に入るつもりはないよ」
「えっ!?」
「ん?」
2人のリアクションが返ってきて居心地悪く思っていると予鈴が鳴り響いた。3人で急いで教室へ向かう。薫はB組、彼方は陸人と同じA組だった。別れ際、薫が陸人の肩を叩く。
「また放課後な」
その目には親しみがこもっていた。入学早々できた友人に陸人は手を振り返す。彼方と共にA組の教室に入ると2人以外の生徒は皆、すでに着席していた。教壇を見れば担任であろう女教師が立っている。鋭い声で着席を促され、2人はすごすごと自分の席に向かった。
「私は風祭菜緒。1年生の担任は初めてです。担当教科は現代文。男子バスケ部の顧問をやっています」
バスケ部の顧問。陸人は思わずジッと風祭を見つめた。はっきりとした口調に強い眼差し。さっきの鋭い声を思い出し、練習風景を思い浮かべる。なかなかに厳しそうだ。次に生徒たちの自己紹介が始まった。遅刻したペナルティとして陸人がトップバッターを任じられる。
「……日ノ本陸人です。札幌から来ました。友達と喋ってて遅れました。すみません」
菜緒の顔を伺いながらぺこりと頭をさげると菜緒は目を細めパッと明るく笑った。
「もう友達ができたのね!友達がいるって素敵なことよ。皆も高校3年間を楽しく過ごしましょう!」
その目は輝きに満ち、生徒たちを包み込むような温かさを帯びていた。その後も生徒の自己紹介に一言ずつ相槌を打つ菜緒を見て、どうやら怖い人ではなさそうだと陸人は内心でホッとした。厳しさと柔らかさが同居したその人柄は独特で先ほどまで緊張していた空気が一気に和らいだ。陸人もまた少しずつ警戒心を解き、居心地の悪さを感じなくなっていった。
オリエンテーションが終わり、帰り支度をする者、なんとなく駄弁る者と各々が好きなように過ごしていた。雑然とした雰囲気の中でよく通る声が自分の名前を呼ぶ。見てみれば薫が扉の前で手を振っていた。女子生徒がさざ波のように湧き立つ。そんなことは気にせず薫は菜緒に軽やかに挨拶を交わしていた。
「村沢くん!来てくれたのね!」
「菜緒先生、改めまして今日からお世話になります」
その様子を見ていた陸人は村沢がバスケ部の顧問である風祭とも顔見知りであったことを知って驚きを隠せなかった。バスケ部の顧問とバスケ部入部志望。接点があってもおかしいことじゃない。そう考えながら薫の横に行くと薫が説明してくれた。
「菜緒先生のクラスだったんだな。俺、中学の頃から練習に混ぜてもらってて。田中さん!」
呼ばれた彼方が弾かれたように身体を揺らして走ってくる。女子の目線が彼方に集まっている。
「菜緒先生、こちらの田中さんはマネージャー希望」
「本当!?助かるわ。これから練習だからぜひ見に来て」
「じゃあ行こう」
連れ立って歩き出す薫と彼方を陸人は呼び止める。
「待って。俺、バスケ部に入る気ないから」
2人が振り返る。彼方の意外そうな顔が気まずい。
「今朝もそんなこと言ってたな。じゃあどうするの?」
「俺、料理部に入ろうと思って。姉ちゃんと2人暮らしなんだけど姉ちゃん料理できないから」
「ねぇ、見学だけでもどう?時間もあるし」
「いや、行かない」
きっぱりと断ると彼方が一瞬だけ目を伏せた。それに胸が痛んだが、次の瞬間には彼方は彼女らしいはつらつとした笑顔に戻っていた。
「まぁ、無理に誘っても悪いしね。村沢くん、風祭先生、行きましょう」
「私は一度職員室に寄ってから行くわ。村沢くん、案内お願いね」
「はい」
今度こそ2人は去っていくと思ったが、村沢は振り返って陸人に言った。
「バスケ、好きならいつでも待ってる」
その言葉には重さも押しつけもなく、ただ信じるような響きがあった。陸人は胸の奥で2人の気遣いに感謝しながらもどこか心の隅で小さな後悔が芽生えていた。
薫と彼方が体育館に向かう途中で菜緒が合流する。3人は体育館へ向かう渡り廊下を歩いていた。
「ねぇ、日ノ本くんがバスケを辞めた理由、田中さんは知ってる?」
「うん……。りっくんってお兄さんがプロバスケット選手でね」
「やっぱり。日ノ本って苗字珍しいもんな」
薫が頷くと彼方は複雑な顔をした。その分かりやすさも陸人を苦しめている一因だろう。陸人は地元札幌の中学校でバスケ部に入部した。日ノ本の名字を背負って戦った中学2年の全道大会準決勝、試合終了間際に放った逆転のシュート。誰もがゴールネットを揺らすことを期待した。しかしボールはリングに弾かれ、試合終了のブザーが鳴った。あの日、彼方は陸人に内緒で観客席にいた。誰よりも絶望して呆然と立ち尽くす陸人に浴びせられる失望のため息と心ない声に彼方は憤慨する。陸人のことをなにも知らない者が、陸人の1パーセントも努力してない者が好き勝手言うことが許せなかった。今すぐ観客席から飛びおりて陸人に駆け寄りたかったが、それもできなかった。同じく夢を諦めた彼方にそんな資格はなかったからだ。
「そのプレッシャーがあって……。りっくん、自分のミスを許せなくて。中学の途中で退部したの。あたし、知ってたのに無神経なことしちゃった。今朝は村沢くんがいることに驚いてみせたけど、あれ嘘だったんだ。りっくんが村沢くんと話してるのを見て、またりっくんが高校でバスケを始めるんだって早とちりしちゃって……。あたし、最低だよね」
「田中さん、過ぎたことは仕方ないわ。切り替えてこれからのことを考えましょう」
「なるほど。お兄さんがあの日ノ本海人じゃ、やりづらいだろうね」
「そうねぇ……。でも日ノ本くんって、きっとすごく才能がある子なんだと思うわ。だからこそ期待されて、その期待に応えようとして潰されちゃったのよね」
薫は陸人の立場を深く理解しているようだった。菜緒もまた同情の眼差しを向けた。教師として生徒の葛藤を真摯に受け止めている姿に彼方は少し救われる思いがした。
「でも日ノ本くんなら大丈夫だよ、田中さん」
「え?」
「彼は諦めたわけじゃないよ。ただ見ないふりをしてるだけなんだ。日ノ本くんの中にはまだバスケに対する情熱の炎が残っている。そしていつかその炎が再び燃え上がる時が来る」
見あげてくる彼方に薫はニヤリと笑って返す。
「それにバスケは諦められるもんじゃないしね」
「……男の子同士なら分かるもんなのかなぁ」
「ふふっ、青春だねぇ」
彼方は苦笑した。だがその笑みの裏に胸の奥に小さな悔しさがあった。
(男同士にしか分からない絆ってやつ?ずるいなぁ……)
それでも彼方は顔をあげて強く笑った。陸人と薫の間に流れる言葉では説明しきれない信頼と互いを理解し合う空気。それを彼方には理解できない、しかし確かにそこにある特別な絆のように感じられた。陸人と薫、そして自分という新しい関係性が芽生え始めたことに彼方は小さな喜びを感じていた。この新しい出会いが陸人の物語を大きく動かしていく。彼方はこの物語の始まりを誰よりも早く直感していた。




