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有田の話


あのとき、俺は親友同然の店主を不気味に思ってしまった。

あの店主には、人すら食材に見えるのか____?



「うんまいなぁ。この豚丼」


ある日の昼時過ぎ。常連客であり、この店主である久我篤長(くがあつなが)の親友である有田邦弘(ありたくにひろ)は、豚丼定食に舌鼓を打っていた。

厨房とほど近い、濃い木の匂いのするカウンター。客は彼以外にはすでになく、夕時に向けた準備が厨房内では進みつつあった。

店主はいつも通りの調理白衣を身に纏い、丁寧に人参とごぼうを切っている。


事実、この店の豚丼は目が飛び出そうになるほど美味い。

ふっくらとした艶やかな光沢を持つ甘めの白米と、ほどよい食べ応えのある柔らかさに、醬油ベースの特製ダレがかかったうま味の溢れる豚肉。ほんの少しの刻み唐辛子もいいアクセントになっており、いくらでも食べれるのでは錯覚してしまいそうになる。このほんのり香ばしい匂いから、すでにうまい。


「そいつは良かった」

店主である篤長はいつもの仏頂面ではあるものの、長年、この店に通う有田は、その口元がわずかに緩んでいるのを見逃さなかった。

(ったく、相変わらず素直じゃねぇな)


意外にもこの店主、褒められると喜ぶんだよなぁ。そんなことを決して口には出さず、有田は黙々と豚丼を食べていく。


たまに、豆腐とわかめ、ジャガイモの入ったかつお出汁ベースの味噌汁を飲み、千切りキャベツとミニトマトのサラダを口に放り込む。

味噌汁の温かさと素朴な出汁の味わい、不思議と落ち着く味噌の香り。

心地の良い音の鳴るキャベツと、甘酸っぱさを含んだミニトマトの優しい風味。

そして、勢いよくかき込む濃厚な豚丼。

すべてが口の中で素晴らしいハーモニーを奏で、手を止めさせようとはしない。


この地域で活動する木材の職人として、日々加工を重ねていく自分の体にとって、今食べているこの料理たちは生命線そのものであった。


結局、「ゆっくり食べよう」という脳の意志に反してしまい、あっという間に食べ終えてしまった。


「ふぅ。ごちそうさま。最高だった」

「おぅ。まいど」

少ない口ではあるが、これはいつものことだ。滅多ことがなければこの店の店主は長話に乗ろうとはしない。

そもそも額の大傷のせいで、話しかけるのが難しいだけだ。

純粋に料理を評価されること。それが彼にとっての存在理由であり、この店が長く続き、繁盛する要因なのだろう。


ただ、この日は少しばかり違った。


「なぁ、あつさん」

「何だ?」

「久しぶりに映画でも見に行かねぇかあ?」

「…映画?」

「ああ。あんた映画好きだろう?特に海外のホラーものとかさ。今度、面白そうなゾンビ映画が来週末にやるんだよ。一緒に見に行かねぇか?」


この二人はもう数十年の付き合いからか、すでに店主と常連客以上の謎の友情が芽生えていた。もともと歳も近く、苦労して店主の口を割ってみれば、趣味も意外と合う。

実は店主が、ホラー映画やB級映画の鑑賞が趣味であることを知っているのは、その家族と邦弘しかいない。

普段は家族以外に人と関わろうとしない店主にとって、邦弘は一定の世間話やお誘いのできる、数少ない人間だった。


「ゾンビか…悪くはねぇな」

「だろ?最近はアルバイト君も頑張ってるみたいだし、どうだ?たまには一息ついてみないか?もちろん、あんたの空いてる日で結構さ」

「…分かった。あとで連絡する」

「了解。けどそろそろ、ガラゲーは卒業しろよ?」

「スマホはよくわからん」

「はっ、そうか」


苦笑しつつも、邦弘はようやく店主を誘えたことに内心安堵していた。


実は彼の妻から「最近、元気が無さそう」という相談を受けていたためである。

原因はおそらく日々の老体に対しての労働。あるいは、数週間前に店に文句を言いに来た謎の青年関連のことだろう。

彼の妻である花子が「どうしてあんな人が来たのかしら…」と困惑した声色で、電話越しに自分に話していてたのを思い出す。本当にとんでもない話だ。こんないい店に何の文句があろうものか。


そのため、もうすでに友と言える店主には、多少の息抜きというものを提案したかったのだ。気分転換も、大事な人間の営みの一つだ。

最近はよく友人たちと気分転換することが多い。


「じゃ、また」

彼はそう言うとガラガラと店の扉を開き、職場のある実家へと戻っていった。



「いやー、面白かったなぁ」

結果的に言えば映画は素晴らしいものであった。

当初の予定通り、なんのトラブルもなく、週末の映画館を楽しむことができた。


あのハリウッドのゾンビ映画であり、しっかりとした人物描写、派手なアクションシーン、見せる演出に、見事な伏線回収。

どれをとっても一流のエンタメとして成り立っていた。


「しっかし、この歳でコーラを飲むのも、背徳感があって逆にいいものだな。なあ、あつさん____あつさん?」

二人で歩きながら一方的に邦弘が感想を語っていると、邦弘は篤長が何かを考えこんでいるのをその目に捉えた。

彼は少しの違和感を孕んだ声で篤長に向けて話しかける。

普段の様子からなら、映画が終わっても口数が少ないのは特に疑問には思わない。

しかし、今この時においては、なぜか「おかしい」と思ってしまう何かが彼の胸に渦巻いていたのだ。


「ん?ああ…スマン」

「もしかして、あんまりお気に召さなかったのかい?」

「いや、違う。映画自体は良かった。久しぶりに楽しめた。ただ___」


その後を口に出そうとして、篤長の言葉は唐突に途切れる。

顔にはためらいの表情が生まれ、自らの感情を言語化していいのかと悩んでいるようだった。

しかし、しばらく歩き続けて数十秒後。彼はその重たい口をようやく開き、「俺の感想だけどよ…」と前置きをしてから、邦弘へ答えた。


「…ただ、気持ち悪いかもしれねぇが…どうすれば効率よく、ゾンビを捌いて食べられるかなと思ってな」

「あと、あいつら、ゾンビはよく腕を噛んで人を食うだろう?もっと、うまいところ…例えば、腹とかの部位から食えばいいのにと思ってな。動物の肉は結構、腹や背中に良いのがついているからなぁ」

「こう、もっと胸とかうまく切ってみたらさ、いい臓器も出せるから、モツ煮にもなれそうだよな」


邦弘が手に持っていた白っぽい映画のチケットは、いつの間にか手放され下へ落ち、ひっくり返され、裏の真っ黒な一面を表にされたまま、地面に被さった。


邦弘は、初めて店主を不気味に思い、一瞬拒絶した。


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