大好きなあなたへ
祖父は優しい人だった。どんな夢もバカにせずちゃんと話を聞いてくれた。魚を捌くところを見せてとか、たまには中華みたいなメニューが食べたいと言っても、嫌な顔一つせずに私に見せてくれたし、食べさせてくれた。
ネットには疎かったし、頑固な性格であったことに疑いの余地はない。口数も少ないし、価値観もなかなか変化できていなかったから、父や母が家族の親愛を抜きにして、多少不気味がってしまうのもなんとなく分かる気がする。
それでも、オレはそんな祖父が大好きだったのだ。
「…ねぇ、おじいちゃん。どうして、おじいちゃんはそんなことができるの?」
中学生くらいのころだったか、このような質問を投げかけたことがある。
純粋な疑問だった。
祖父の料理の腕は疑いようがない。オレは彼が世界一の料理人としての手腕を持っていると確信している。
それでも、怪異の肉を…当時は悪いモンスターの肉だと教えられていたものを、どうして料理に使えるのかがずっと謎だった。
最初に知った時は眩暈がしたものだが、祖父母への愛ゆえか、それとも単純に受け入れられる態勢があったのか、すでにこのときは動じなくなっていた。
「…俺にはな、一つ上に兄貴が居たんだ」
「お兄さんってコト?」
祖父は明日の料理で使うジャガイモを剥きながら答える。私も皿洗いを手伝っていた。
「そうだな。お兄ちゃんだな。それから、妹と弟が一人ずついた。」
「へぇ、そうなんだ」
祖父は懐かしそうに微笑む。
「そうだ。しかも、友人もいたんだ。7人くらいな」
「おじいちゃんもお友達がいたの?」
「ああ、いたさ。俺には勿体ねぇくらいいい奴だった。年端もいかねぇガキの集まりだったが、俺には十分すぎた」
すると、祖父は突然見たこともないほどに悲しげな顔をして黙り込み、ジャガイモを剥く手を止めた。雰囲気が変わったのが瞬時に分かった。
「…けど、ほとんど死んじまったんだ。戦争のせいでな」
「戦争?」
「食いもんがなかったんだ。配給品だけじゃ足りなくてな、サツマイモの葉や茎を食べたり、虫や蛙も食った。生きるためだ。けど、それでも足りなかった。兄貴は俺たちに優先的に食わしてくれたせいで、ある日、全く動かなくなっちまった。妹も持病の喘息に加えてあの飢餓だ。間に合わなかった。弟と俺は生き残ったが、友人は2人まで減っちまった」
祖父の口調は打って変わって暗いものに変わっていた。オレもなんだか気まずくなり、口を閉ざした。
そのときだった。オレの祖父が____泣いた。普段は能面のように表情を変えることはない祖父が、大粒の涙を流し、少し嗚咽をあげながら泣いていた。白内障により見えなくなった右目と唯一残った左目双方から、ボロボロと透明な血をこぼしていた。
あまりにも突然のことに、オレは一瞬唖然としたが、すぐに気を取り直して耳を傾けた。
祖父はしばらく泣いた後、タオルを使って涙を拭きとり、言葉を紡ぎだした。
「俺は最低な男だ。二人が死んだのは俺のせいだ。俺はバカで、事情も理解せずに駄々をこねた。その結果、兄貴は死んだ。もう本当に限界だったんだ。妹もそうだ。俺がふがいないばかりに、食いもんを手に入れられなかったせいで死なせた。家も燃えた。神様だって焼けちまった。もう俺は、一生皆に合わせる顔がねぇ…だから俺は、ダメだと分かっていても、ご先祖様の知識をどうにかして手に入れたんだ」
「奇跡的に親父の残した書物があった。それを基に俺は化け物のことと、退治方法、特殊な技術も学んだんだ」
「もう、誰も飢えて死なせたくなかった…だから、俺は、出来の悪い頭を必死に動かして、戦後の食い扶持を得た。唯一残った弟のために、左手の小指を失ったり、額に傷を負っても、化け物どもを殺し続けた……だから、俺は化け物も捌けるようになったんだ」
オレは天から落下するような感覚に襲われていた。脳内は大困惑し、冷や汗も鳥肌も止まらなかった。心臓の鼓動が妙に煩わしい。
どんな苦しみを、あなたは抱えて生きてきたんですか?そう問いたかったが、声が出なかった。
「…最初はこの店だって、普通の定食屋だったのさ。あくまで化け物の肉は応急処置だ。体にどんな影響が出るかもわからねぇもんは出せない…だが、創業してたったの半年で、店は赤字になった。俺がお人よし過ぎたのもある。バカで、読み書きがそんな得意じゃなかったのもある。けれども、とにかく俺の店はこのままでは閉店まっしぐらだった」
「…化け物の肉はな、あまりにも魅力的だったのさ。少し手を入れれば、豚にも、鳥にも、牛にも、どんな肉にだって調理次第で限りなく近いものにできる。おまけに味も良いし、腐りもしない。俺は___抗えなかった」
「嫁に迷惑を掛けたくねぇ、せっかくできた常連を失望させたくねぇ、当時やってたガキたちに出してた料理だって、辞めたくはなかった。どんな奴らであれ、店に迷惑を掛けねぇのなら、できるだけ安くて美味しいもんで満足するまで食ってほしかった…」
祖父は欠けた左手の指を見つめながら、神に祈るようにぎゅっとその手を握った。
「…もう、今更やめられねぇんだ。味を覚えちまった。もう、どうやったらこれ以外の方法で店を続けられんのかもわからねぇ。後からいくらだって批判は受ける。もちろん、地獄にだって行く」
「俺はとっくのとうに、救われねぇんだ。大助」
祖父はすべてを諦めた顔で、そんなことを呟いていた。
オレは言葉が出なかった。ただ茫然としているだけの存在だった。
おじいちゃんの部屋には、白い蜂駆除用の防護服と古びたガスマスクが、押し入れの奥に眠っている。結局、この部屋の主は、信頼たる家族にしか本音を話さなかった。
おじいちゃんの懺悔を知っているのは、オレとおばあちゃんだけ…
…おじいちゃん。それを知ったオレも、見て見ぬふりをしていたおばあちゃんも共犯だ。オレは祠を壊したことに後悔はない。あなたからのお願いを、断らなかったことに悔いはない。
親友には洗いざらいすべてを話した。できる限りの資料を渡したし、あなたの過去につながる情報も渡した。
オレは…祠を壊したせいだからか知らないけれど、つい先日から、知らない和服の人が見えたりするんだ。二年くらい前からぼんやり何かがいるのは分かっていたけど、ハッキリと見えるようになったんだ。つい最近の話だよ。
きっと、天罰なんだろうね。変なミミズのような触手も、たまに目に映るんだ。
別にいいさ。どうせ、くだらない命だ。許されない罪だ。
いつ死ぬかは分からないけど、きっと、一年も生きられないだろう。
なんとなくそんな気がしてするんだ。
大丈夫。オレだって救われないよ。
罪はオレも一緒に背負うよ。おじいちゃん。
オレはあなたの孫なのだから。あなたのことが大好きなのだから。
狂っていても構わない。
誰にも理解されなくていい。
地獄に逝くこと。それだけを願って今は生きるよ。




