第5話:「慰謝料の誘惑」
陽子は、流星グループから届いた手紙を手に取った。その封筒には、「慰謝料に関するご案内」と大きく書かれている。中身は簡潔で冷徹だった。流星グループは、信田の死に関して一切の責任を取らず、その代わりに「慰謝料」として一定額の金銭を支払う提案をしてきた。しかし、陽子はその提案を受け入れるつもりは毛頭なかった。
「慰謝料……?」
陽子は言葉をつぶやき、無造作に手紙を机の上に放り投げた。信田の死の真相がまだ明らかになっていない今、金で問題を解決しようとする流星グループの姿勢に対して、怒りが込み上げてきた。
「こんなもの、受け入れるわけにはいかない。」
陽子は心の中で決意を固めた。慰謝料をもらうことで、信田の死が埋もれてしまうのは嫌だ。それに、金銭で解決されるような問題ではない。彼女が求めているのは、真実だけだった。信田の死に隠されたすべてを暴き、関与した者たちに責任を取らせることが、陽子の唯一の目的だった。
「でも、これで終わりにしてはいけない。」
陽子は再び信田のスマホを取り出し、先日見つけた「黒いヒマワリ」のアイコンを思い出した。あのメッセージが伝えようとしていたものは、まだ明確には分からない。しかし、確実に彼女の手がかりになるはずだ。信田が自殺したその日、彼は一体何を見て、何を感じていたのだろうか。誰に追い詰められていたのか。そして、その答えを知るためには、さらに踏み込まなければならない。
その時、陽子のスマホが震えた。通知が来たのは、矢口正志からだった。矢口は信田の先輩芸人であり、陽子にとっては一度も直接話したことがない人物だ。だが、彼が信田の死に何らかの関わりを持っている可能性は高い。矢口からの連絡が来たことに、陽子は少し警戒しながらも、電話に出た。
「もしもし、矢口です。」
矢口の声は、いつものように冷静だった。だが、その裏には何か不安を隠しているような気配が感じられた。
「陽子さん、突然だけど、今、会えるか?」
陽子は一瞬戸惑ったが、すぐに答えた。
「今、ちょっと時間があるわ。」
矢口は少しだけ安心したように笑った。
「じゃあ、俺の部屋で話をしよう。話したいことがあるんだ。」
陽子はその言葉に疑念を抱きつつも、矢口の部屋へ向かった。矢口が何を話そうとしているのか、陽子は分からなかったが、きっと信田の死に関する何か重要なことを知っているに違いないと感じていた。
矢口の部屋に到着すると、彼はドアを開けて陽子を迎え入れた。部屋の中には、過去に見たことのある資料や雑誌が散乱していたが、陽子の目はその中に見覚えのあるものを見つけた。
「これは……?」
陽子は目を見開いた。部屋の隅に置かれていた書類の中に、「闇営業の謝礼金の領収書」があった。矢口がそのことをどうしても隠したいと考えている証拠が、目の前に現れた瞬間だった。陽子はその領収書をじっと見つめ、矢口に向かって言った。
「これは……信田の死に関係しているのでしょう?」
矢口はその言葉を聞き、微かに顔色を変えた。だが、すぐに彼は冷静さを取り戻し、陽子を見つめ返した。
「陽子さん、君にはまだ話すべきではないことがある。」
矢口はゆっくりと椅子に座り、深い息をついた。
「信田が死んだ理由を知りたければ、君も覚悟を決めるべきだ。お前が知っていることは、君の手に余ることかもしれない。」
陽子はその言葉に冷静に反応した。
「覚悟? 私は真実を知りたいだけ。信田が死んだ理由を、あなたが知っているのでしょう?」
矢口はしばらく黙っていたが、ついに口を開いた。
「俺は、信田があの『闇営業』に巻き込まれたことを知っていた。だが、彼がどこまで関わっていたのかは分からない。お前も知っているだろう、芸人たちが裏で金をやり取りする世界だ。俺だって、関わりたくはなかった。」
陽子はその言葉に驚きと共に怒りを覚えた。
「関わりたくなかった? それなら、信田に何か手を貸したりしたの?」
矢口は陽子の目をじっと見つめた後、重い口を開いた。
「正直に言うと、俺も信田には迷惑をかけた。でも、俺が手を貸したわけじゃない。信田が自分で選んだ道だ。」
陽子はその言葉を信じることができなかった。矢口の言葉は、どこか言い訳に聞こえた。それでも、陽子は冷静に次の質問を投げかけた。
「それなら、信田の死に関して、何か知っていることがあれば教えて。」
矢口は少し間を置いた後、静かに言った。
「信田が死ぬ前、彼は俺にあるメモを渡してきた。『黒いヒマワリ』という言葉が書かれていた。俺もその意味が分からなかったんだ。」
陽子はその言葉を聞き、再び胸の中で何かが弾けるような感覚を覚えた。信田が最後に渡したメモの中に書かれていた「黒いヒマワリ」。それがすべてを解き明かす鍵になるかもしれない。
「そのメモ、どこにあるの?」
陽子は矢口に食い入るように尋ねた。矢口は少しためらった後、ポケットからメモを取り出し、陽子に渡した。
「これが、そのメモだ。だが、注意してくれ。信田が書いたものだとしても、誰かに見られたら大変なことになる。」
陽子はメモを手に取ると、そこに書かれていた言葉を確認した。
「黒いヒマワリ。誰にも言うな。」
その一行が、陽子の中で全てを繋げる鍵になると確信した。信田が書いたこの言葉には、彼が何を隠そうとしていたのか、そしてその秘密を知っている誰かがいることを示している。陽子はメモをポケットにしまうと、矢口に向き直った。
「ありがとう。あなたが教えてくれたこと、無駄にしないわ。」
陽子は矢口に礼を言い、部屋を後にした。その足取りは、次第に確かなものになっていった。信田の死の真相はまだ明らかではない。だが、「黒いヒマワリ」の謎が、彼女を次の一歩へと導いてくれるはずだった。
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