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雷火と白梅  作者: オクト
3/3

和装の美女

 覚醒は、暗い水面から無理やり引き上げられたかのような早急さで起こった。

がばりと上体を起こした僕は、周囲に視線を向けながら無意識の内に右手の人差し指と中指を真っ直ぐに伸ばし、手の平側に曲げた薬指と小指を親指の腹で押さえる『尖手(せんしゅ)』の構えを取っていた。活劇写真の中で忍者が術を唱える際の印にも似ている。

 ぱりぱり、と空気が爆ぜるような音がして僕の指先に紫電が灯り、鼻腔を刺激する独特の臭気が起こる。

 幼い頃から父さんに叩き込まれてきた荒事の対処法だ。

 目が醒めたばかりなので輪郭がはっきりしない視界の中で、鳴神の家とは違う座敷に寝かされている事に気付く。

 欄間(らんま)から差し込む日の光が部屋を明るく照らしており、ここが大体八畳程の広さだという事が分かった。

 一面を壁、残り三面は襖に囲まれており、掃除の行き届いた青い畳や精緻に山岳の風景が描かれた襖、床の間の花瓶に活けられた桔梗の枝振りなどから、この部屋は客人をもてなすための部屋なのだろう。

 実際、僕にはちゃんと掛け布団が掛けられていて、元々手荒に扱うつもりはないようだ。

 気持ちが少し落ちついた途端、部屋の隅の暗がりで何か白い物がこんもりと形をなしているのが見えた。

 眼を凝らしてじっと見ると、それは少しうつ伏せになるようにして横になっている小梅だった。

「こ、小梅!」

 僕は『尖手』を解いて布団を撥ね上げると、小梅に駆け寄って彼女の顔の前に左手をかざした。

 吐息が手の平に温もりを与える。僕と同じように眠らされているだけみたいだ。

 小梅も僕同様に無理やり連れて来られたのだろうか。それにしては着衣に乱れはない。

 紐結纏と名乗った少女の事が思い出す。

 彼女が自分の名を口にした時、途端に湧き起った気迫に僕は呑まれてしまった訳だけど、それぐらいで昏倒したというのは流石に変だ。僕の、男としての沽券にも関わる。

「ん、んんん……」

 彼女の口から意外に色っぽい声が零れる。意識が戻りつつあるみたいだ。

「小梅、小梅ってば。ほら、しっかりして」

 小梅の肩に手を乗せて少し揺する。すると、うっすらとだが彼女の瞳が開いた。

 眼が動き、黒目の勝った瞳が僕の顔に注がれる。

そして、黒真珠が艶光りするかのように、小梅の瞳に意思の輝きが灯った。

「……、そ、総士郎様!」

小梅がバネ仕掛けのように起き上がる。

 僕は、心から安堵しながら、

「小梅も無事みたいだけど、怪我してない?」

 そう訊ねると、膝立ちの小梅は身体の各所に両手をやって怪我がないかを確かめた。

「い、一応は、怪我らしい怪我はなく……、そ、そんな事より総士郎様です! 突然お倒れになるから、何処かお怪我をなさいませんでしたか?」

「うん? 僕なら大丈夫だよ。それより、ここ何処だろうね。座敷に連れて来られた訳だから、ぞんざいに扱うつもりはなさそうだけど」

「あ、あの小娘!」

 小梅は紐結纏の事を思い出したのか、ぎゅっと眉根を寄せて割烹着の裾を掴んでいる。

「鳴神のお屋敷に無断で入っただけでなく、総士郎様に毒霧(どくむ)を当てて連れ去るとは、絶対に許しません!」

「毒霧? そんな物騒なもの僕に使ったの? あの()

 怒気交じりの小梅の言葉にあった「毒霧」という単語に、僕は驚きと同時に妙な納得を覚える。そうか、あの時僕が倒れたのは彼女が使った毒霧のせいか。うんうん、毒を使われたんじゃ、どうしようもないよね。

「あの娘だなんて、そんな可愛げのある輩じゃございません! あの小娘自身が『紐結』と名乗っていたではありませんか! 紐結は、毒を持つ妖魅の中でも大家中の大家で知られる蛇の毒妖(どくよう)でございますよ!」

 流石物の怪。妖魅に関しては僕以上に詳しい。

 確かに紐結纏が持つ美しさは、毒性を帯びてこそ到達する美の極致のような気がする。よく、猛毒の生物は派手な色彩である事が多いが、紐結纏の美しさもそれに類似するのではないか。

「蛇の毒妖のお嬢さん……が、一体僕に何の用なのかな」

 そこが分からない。拉致された身だが今の待遇を考えると、特別鳴神家に恨みがある訳ではなさそうだ。しかし、父さんに用があったのならば、後日改めてくればいいだけの事なのに、その息子である僕や小梅まで無理に攫ったのがおかしい。

 と、僕はあまり賢くはない頭で考え事をしていたのだが、

「総士郎様、何をのんびりなさっているのですか! 事は重大な拉致監禁でございますよ! 一刻も早く大旦那様に御知らせし、報復の手立を打っていただきましょう」

 小梅が口から火を吐きかねない勢いで言い募った。そんなに緊張感のない顔をしていたのか、僕は。

 うーん、と腕組みをした僕は、

「取り敢えず、少し落ち付こうよ小梅」

 と、言った。とにかく一晩経ってしまったようだし、父さんが家に戻って来るにはまだ日数がある。下手に動くと藪を突ついて蛇を出す事にもなりかねない……て、もうご大層な美人の蛇に絡まれた訳だけど。

 しかし、小梅は眼を三角にする。

「これが落ち付いてなどいられますか! 紐結だろうと何だろうと、明らかに鳴神家への敵対行為です。私は絶対にあの者を」

 これはまずいと思った僕は、小梅の顔をじっと見詰めて口を開く。

「――ねえ小梅。小梅が無事でいてくれて、どんなに僕がほっとしたと思う?」

「え?」

 突然自分の事を言われ、戸惑う小梅。

「もし、この場に小梅がいてくれなかったら、僕もこんなに落ち付いてはいられなかったと思う。一人取り残された小梅がどういう目に会わせられたのか、僕に知る術はないからね。それに、小梅の身にもしもの事があったのなら、――僕は絶対に彼女を許さない」

「そ、総士郎様……」

「だから、小梅がこうやって僕と一緒にいてくれたのが、僕はとても嬉しいんだ」

「も、勿体のうございます」

 小梅が顔を俯かせる。が、ぱたぱたぱた……と忙しく振られているしっぽを見れば、彼女の気持ちは一目瞭然だ。ふう、どうやら収まってくれたみたいだ。

「まずは相手が僕達に何を望んでいるのか、それを知る事からだ」

「流石は鳴神家の血筋のお方。泰然としていらっしゃるのですね」

 突如女の声が聞こえたと思うと、襖が開いてしっとりとした雰囲気の着物の女性が、廊下に正座をして現われた。

「何奴!」

「ま、待てったら小梅。あ、貴女は?」

今にも飛び掛らんばかりの小梅を片方の手で制止ながら問うた僕に、女性は床に両手をつき、深々と頭を下げる。

襖の向こうは廊下を挟んで美しい日本庭園が広がっており、樹木の緑と暖かい陽光を背景に着物姿の女性が端然と平伏している姿は、まるで一枚の絵のようであった。結い上げて後頭部でまとめている黒髪に差してある赤漆の簪が、目に染みる程に合っている。

「此度の件、誠に申し訳なく思っております。私の名は雲原梢(くもはらこずえ)。貴方様の御屋敷に現われました紐結纏は、私の旧き友にてございます」

「それじゃ、僕に用があるのは君の方なの?」

 雲原梢と名乗った女性に、僕は再度問うた。

「はい」と顔を上げて答える梢。

 歳の頃は十八、九か。僕と然程歳は離れていない。藍の濃い久留米(くるめ)がすりに赤い博多帯(はかたおび)を締めていて、襟元から覗いている半襟が白く眩しい。

 もっとも、蛇の毒妖である紐結纏を旧き友と呼ぶ彼女だ。人間ではなく妖魅に類する者と見た方が良さそうだ。

 しかし、雲原梢も整った綺麗な顔をしている。

 紐結纏も相当の美貌の持ち主だったが、この女性にはそれとは異なる美しさがあった。

 目鼻立ちは特に華やかなようなところはないのだが、顔を構成する各部が全く均等なのだ。

 大きく垂れ目がちの双眸と、低いが形の良い鼻筋。ふっくらとした赤い口唇。それに、着物の上からでも分かる程に肉感的な体付き――。

「――総士郎様、何を鼻の下を伸ばしているのです?」

 小梅がそんな事を言うものだから、思わず僕は顔の下半分を手で押さえてしまった。

 その様子を目の当たりにした梢は、一瞬目を丸くした後、着物の袖口を口許にやって上品に笑った。

 邪気のない少女のような笑顔に、僕も心の構えを幾らか落とす。

「……それじゃ、えと雲原さん、まずここが何処なのか教えて欲しいんだけど」

 僕がそう訊ねると、梢は目を伏せて、

「申し訳ありませんが、この地をお教えする事は出来ないのでございます。どうか、お許し下さいませ」

 すまなそうにそう応えた。

 内心そうなるだろうなと思っていたが、小梅がいきり立つのが気配で分かったので、

「成る程。誘拐犯が攫った被害者に居場所を教える場合、殺してしまう気があるのだと聞いた事があるから、少なくとも雲原さん達にはそんなつもりは無い訳だね」

 僕は小梅にも言い聞かせるように口にした。

すると、小梅も分かってくれたようで、考え直したように身動ぎする。

 目の前の梢は無言だ。僕は言葉を続ける。

「……それじゃ、どうして僕達がここに連れて来られたのか、その訳を教えてくれないかな」

 すると、厚い雲が日の光を遮ったかのように、梢の顔に陰が降りた。

「はい。もう察しておられると思いますが、私達がお呼びしたかった方は、貴方様の御父上であられる幻九郎様でございます。ですが、生憎不在との事。本来ならば前もって鳴神家へ伺う旨の文を送るべきでありましたが……何分、急を用する事にございましたので」

「――回りくどい言い方は止めて下さいまし。たとえ貴女方が妖魅の大家であろうと、今回の件が通らぬ道理である事は承知のはず。ならば、言葉を弄するのではなく真意を詳らかにする事が筋でありましょう」

 小梅が険のある口調で梢に詰問した。

 正論だが流石にこれは言い過ぎだったので、僕は小梅に注意の眼を向けようとした時、

「まさしくその通りでございます。ですが、――どうか私共をお救い下さい」

 梢が再度床に両手をつき、深く頭を下げる。

 僕は鴨居の辺りを見上げて腕組みをすると、むむむ、と唸った。

 状況が状況だが、人の身であろうとなかろうと麗しの女性にここまでされたら、一応は日本男児の端くれである僕でも引き下がる訳にはいかないんじゃないのか。

 逡巡の時間を数瞬の間に費やした後、僕が承諾の旨を口にしようとした時、右腕をぐいと引かれた。振り返ると、小梅が剣呑な眼をして右の袖口を掴んでおり、そっと身を乗り出して僕の耳許に囁いた。

「お待ちを。安易に了承し、生き胆を差し出せと言われたらどうするのです。それにこの地を教えないから身の安全は保障するという理屈も、私達の早合点かもしれませんよ」

 生き胆はないだろ、とも思ったが、小梅の意見も確かにそうだ。

 誘拐犯が居場所を教えないのは攫った者を殺さないからだという理論は、結局は誘拐犯側の理論でしかなく、僕は希望的な憶測を口にした過ぎない。

 紐結纏の強引さや眼前の梢を見る限り、彼女達が相当切羽詰った状況である事は分かる。徳を積んだ高齢のお坊さんの生き胆は、妖魅にとってこの上ない食べ物だと聞いた事がある。生まれて二十にも満たない徳も積んでるのか崩してるのか分からない僕でも、身体には鳴神の血が流れている訳で、熟成が足りないけどそこそこ美味しいのかもしれない。

 と、そんな事を考えていたら急に怖くなった。安請け合いは禁物だ。

「……雲原さん達が、鳴神の人間を必要としているのは分かりました。ですが、どういった理由でそうなるのか、本当の事を教えてもらえませんか?」

 すると、梢は面を上げて、涙に潤む眼差しで暫く僕の顔を見詰めた後、

「私の、……婚約者の病を治していただきたいのでございます」

 そう言った。

 こんやくしゃ?

 ああ、婚約者ね。そうすると、目の前の雲原梢さんはもうすぐ結婚する訳か。へえ、妖魅も結婚するんだ。まあ、こんなに美人な女の人だし、そりゃ結婚ぐらいするよね。

 僕がみょーな納得をしていると、

「残念でございましたわね、総士郎様」

 こんな状況なのに、含み笑いさえ聞こえてきそうな小梅の声が耳に届いた。

 何がだ小梅!?

 思わず口にしそうになった言葉を無理やり飲み込む。

「と、ともかく、雲原さんの婚約者の方を診て見ない事には」

「左様ですね。――すみません、少し失礼します」

 梢は着物の胸の所に手を差し入れて懐紙を取り出すと、恥ずかしそうに横を向きながら目許の涙を拭った。

 そんな仕草が大変艶っぽいのだが、彼女には旦那さんがいる。

 何だ、この複雑な心境は。

「……お疲れが残っているかもしれませんが、この時間に診て頂く事は叶いますでしょうか?」

 女の人の潤みを残した瞳で見詰められると、嫌とは言えないのが男である。

「分かりました。父程に鳴神流に長けている身ではありませんが、出来る限りの事はいたしましょう」

 僕がそう言うと、再び梢の瞳からぽろぽろと涙が零れ出た。

 梢は玉のような涙を懐紙で拭う事も忘れて、

「……有難うございます。この御恩、生涯忘れません」

 三度、平伏した。

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