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仙華頌籟 -A fateful reunion beyond a millennium-  作者: 織葉りんご
第一部 第四章 嵌合、夢幻、再会
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92話 限界、一滴の血

 刹那、前方の壁から何かが突き出してきた。それはどんどん近づいて行き、振り下ろした腕を止めて回避に徹した。


「うおっ!?な、なんや!?」


 壁から突き出してきた物に目を向ける。それは、柄頭に鉤縄を引っかけた黒と金の剣だった。この剣、そして向かいの部屋は確か─────そう思考した瞬間、その壁から男が突き破ってきた。

 入ってきた扉が勢いよく開かれたのはそれと同時だった。


「──────た、太子殿下…!?ここで何を?」

「い、いや……えらい音がしてはったから心配で見に来ただけで────」

「いや、それは嘘だね」


 壁を突き破った崩星バンシンが服に着いた埃を払いながらそう言った。


崩星バンシンまで………これは一体…」

「この人は音がしたからここに来たんじゃない。阿鏡アージンを殺す目的で来たんだ。その証拠に、彼は後ろに短剣を隠している。君の方からは見えないが、こっちからは完璧に見えている。疑問に思ってたんだ。妖血歩団に拉致された太子殿下がどうやって根張国に戻ったのか」

「まさか………」

「そう。国民に配ったこの香炉で眠らせて、阿鏡アージンを殺害しようと企んだ君は、太子殿下夕剪平(シージェンピン)の体を乗っ取った秋河チウハーだな?」

「─────────」


 見下す。

 手前に居る何者かは歯を噛み砕くほどの強さで食いしばっている。そしてその口角は徐々に上がっていき、やがて下卑た笑みへと変貌した。


「せや……俺は太子殿下なんかちゃう、自分達がよう知る妖血歩団の長秋河(チウハー)や───」


 瞬間、秋河チウハーの視界がブレ、鋭い痛みが奔った。自身の出す風で加速したか、陳湛チェンジャンが雷霆の如き拳で以って秋河チウハーの顎を殴りつけた。


秋河チウハー、まだ生きていたのですか………さっさと太子殿下の中から出て来なさい!この手で殺してやる!」


 今までにないほどに激怒した陳湛チェンジャンに、夕剪平シージェンピンに憑依した秋河チウハーが血の混じった唾を吐きながら笑う。


「挨拶代わりに一発おおきに!ギャハハハハハハハハハッ!」


 別人の顔だったが、この気が触れて錯乱したような笑顔は秋河チウハーでなければ誰だというのだ。陳湛チェンジャンが殴りつけると、秋河チウハーは傷ついたように顔を覆う。それがまた逆鱗に触れたのか、陳湛チェンジャンは胸座を思い切り掴んだ。そして秋河チウハーは喚く。


「何そないに怒ってんねんな?別に自分等に手なんか出してへんやろ?クハハハハハハ!」


 瞬刻、陳湛チェンジャンの両目に血を走らせ、掴んだ体を奥の壁に叩き付けた。


「もういい、秋河チウハー!そこから出て来なさい!普通の人間に憑依して仙華様を殺害しようなどと……ただでは許しません!出てこないのなら、その狡猾な舌ごと魂魄を引きずり出してやる!」

「出るわけあれへんやろバーーーーカ!そないに引きずり出したいならやってみぃや!ほら、どないした?こないに隙だらけなんやで?ギャハハ!まぁそしたら、俺はまた魂をどっかに飛ばして逃げるだけやし、この国の太子殿下は死んでまうし、自分達のめっちゃ好きな晄導仙華も民も一生目を覚ませへんねんで?そやかてええならやってみぃや!ヒヒヒヒヒ!クハハハハハハ!」


 陳湛チェンジャンの呼吸はますます荒くなり、眩暈がして体が震えだす。その異常に気付いた崩星バンシン陳湛チェンジャンの肩を掴んだがこちらに気付く様子は全くない。


 秋河チウハーの頭蓋を叩き割りたくてたまらないというのに、手を下すことができない。


「どないした、ほら!やるんやろ?やれへんのか?舌引っこ抜いて俺の魂出すんやろ?まぁ別に後に支障をきたすんは太子殿下やけどな!ハハハッ!やれや!早よ!ハリー!ハリー!」


 拳を作る。されど、陳湛チェンジャンが激怒すればするほど秋河チウハーは喜ぶ。そしてそれを燃料に煽りの言葉を乱射してくる。


「なんやなんや!?結局晄導仙華が居らな自分はなんも決められへんのか?それともなんや?俺がさっきけったいなこと言うたから、どこに怒りをぶつけたらええのか迷うてるんか?ほんまにアホやなぁ!居るやろ目の前に!クハハハハッ!そもそもこの国なんて茶以外なにがあるってんねん。そんな臭い国の太子殿下が居らんくなって国民が寝たきりになってもなんも変わりはせえへんのやで!晄導仙華かてそうや!死なな別にええやろ?なら俺を殺して目ぇ覚ませへん晄導仙華を抱っこしておんぶしたらええやん!そのデカい乳でミルクでもあげてよちよちしたらええやろ!ギャハハハハハハハハハ!」


 挑発とも、得意になっているだととも取れる高笑い、故にシニカルに陳湛チェンジャンの我慢にも限界が訪れた。懐から扇を取り出して開き、その鋭い弧を秋河チウハーの首に突き出した。


 しかしそれは、首に弧が到着する前に、腕は崩星バンシンによって止められた。


崩星バンシン、何故……ッ」

「今ここでコイツを殺してしまえば、君は禁忌を侵す可能性がある。中身は最悪の妖鬼でも、その体は一国の太子殿下。善悪の対象が外殻ならば、君は善良な人間を殺したということで罪人になってしまうだろう。そうなれば、君はもう阿鏡アージンと会えなくなる」

「─────────」


 刹那、陳湛チェンジャンの目に走っていた血はだんだんと引いていく。突き出された腕の力みも同時に抜けていく。崩星バンシンは掴んだ腕を離すと、だらんと下に垂れた。


「ハンッ!」


 それを見ていた秋河チウハーは鼻を鳴らし、ハハハッ!と笑った。


「結局自分にはできへんって思うとったさ!その掴んだ手ぇ振り解いてでも殺したいんちゃうんか!?禁忌だのなんやので止まりよって!腰抜けが!ギャハハハハッ!」


 秋河チウハーは舌を回すが、既に陳湛チェンジャンは平静を取り戻していた。すぅと息を吐き、凍てつくほど冷たい視線を向ける。


「そう言えるのも今の内です。今はあなたをどうすることもできませんが、どうにかする方法は必ずあるはず……あなたの命はその時までです」

「ヒヒ!そうそか………ならその時が来るまで暴れさせてもらうで!」


 秋河チウハーが叫んだ瞬間、辺りに謎の波動を巻き起こす。その謎の質量により、胸座を掴んでいた陳湛チェンジャンの手が離れてしまった。その須臾の間に、秋河チウハーは弓から放たれる矢の如くこの部屋から飛び出して行った。


「な、なに!?」


 二人は入り口の方を向く。だんだんと遠のいて行く笑い声に陳湛チェンジャンは奥歯を噛み締める。


「あいつ、一体どこに………っ」

「もしかしたら、根張国をめちゃくちゃにするつもりかもしれない…」

「それはまずい……!崩星バンシン、追いますよ!」

「ああ!」


 そう返事をし、先行する陳湛チェンジャンの後を着いて行こうとしたその時、ふと彼女の方に目が行った。胸を浅く上下させて、何事もなかったかのように眠っている。


 彼女も、オレ達が見ていたような不思議な夢の世界に居るのだろうか……オレは進まなければならないと、奥底に仕舞われた自己を取り戻して脱出できた。おそらく陳湛チェンジャンもそうだろう。憶測だが、その世界で自分が何であるかを思い出せない限り、或いは秋河チウハー本体を倒さない限り、永久に覚醒しないかもしれない。彼女なら夕剪平シージェンピンに憑依した秋河チウハーを引き出すことができるかもしれない。

 オレは暗い石蔵に閉じ込められたあなたを助けられなかった。だけど今度は救う。その夢の中から救い出す。


 崩星バンシンは親指を噛み、少量の血が出る。腕を前に、それを尚無鏡シャンウージンの唇に一滴落とした。乾いた唇に到達し、小さな赤い泡沫が幾つか跳ねる。確認した崩星バンシンは体を翻し、飛び出して行った秋河チウハーを追った。


「それじゃあ行って来る。起こしに行くけど、なるべく早く起きてね…師匠─────」







                  ◆







 口元にじんわりと熱が奔る。それにより私は浅い微睡みから引き戻される。重い瞼を持ち上げて、熱の奔った唇を手の甲で拭う。


「──────」


 何もない。重力に負けた頭を上げる。橙色が染める部屋に粒子が舞っている。埃だろう。目を擦って体を起こす。ふと左を見ると白く薄いカーテンの奥には銀色の窓枠と小さなキズが幾つかついている古いガラス。そして正面に視界を向ける。


「──────」


 何も書かれていない黒板。誰も座っていない机が四十弱。時刻も夕方を指している。ホームルームの途中で寝落ちしてしまったのか。


 机に手を掛けて立ち上がる。椅子のガタッという音が教室に虚しく響き渡る。後ろのロッカーに入れてあるザックを肩に掛ける。


 頭が重い。映画を立て続けに数本も見たような疲労感が纏わりついている。しかしながらその内容は全く思い出せない。だが、どこか心が寂しい……そんな残滓リフレインだけがこびりついている。

 ザックの中から水を取り出して、ぐいっと一口流し込む。食道を伝う冷ややかな感覚に頭が少しばかりリセットされる。ペットボトルをザックに仕舞い、教室の後ろの出口に向けて歩き出しながら、無意識に、小さく、こう呟いた。



「……夢か─────────」

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