76話 支配された国、陽柱国
陽柱国、何の変哲もない普通の都市。強いて変わっている部分を上げるとすれば、郊外に遺跡などが多く見つかっていることと、他の国と比べて平均気温が少し高いことくらいだ。それ以外は特に変わった特徴はない。
建国してから、民同士の争いは一度も起こらなかった。手にした武力は全て、国を、民を守るために使われていた。役職自体に上下があっても、人の扱いには上下が無いほどに平和という言葉が相応しい国だった。あの日を境に、平和という言葉は打ち砕かれた。たった二人の手によって──────
これは約一週間前、尚無鏡達がまだ短日国に滞在している頃、陽柱国であることが起こっていた。民はいつものように、自分のため、愛する人のため、守る者のために一生懸命働いていた。その時、国門から途轍もない轟音が響き渡り、藁の家であったら全壊するほどの暴風が襲い掛かった。当然、こんなことは起きたことが無い。武弁達も今まで妖鬼しか相手にしていなかった故に、ここまで恐ろしい存在を目の当たりにして奥の歯をガタガタと言わせている。
轟音を聞き、宮殿から身を乗り出す国主は、国門辺りに漂う砂煙の奥をぢっと見た。するとそこには、二人の影があったのだ。一人はとても体が大きく、もう一人は隣よりは小さいが肩幅はがっちりとしているのがシルエット越しでもよくわかる。
やがて砂煙は晴れ、彼等の全貌が明らかとなる。
体の大きい男の方は、毛量が多くボサボサしながらも、ブルートルマリンのように美しい色であり、とても険しい表情をしている。顔は若く、上半身は一糸纏わぬ姿でありながらも、一つ一つが大きい宝玉を繋げた首飾りを身に着けていた。
その隣の人物は、髪と同じ色をした立派な髭を携えており、こちらもまた険しい顔をした中年の男だった。
二人の容姿を遠方から確認した刹那、大きい男の方がこちらに向かって勢いよく飛んできた。それを認識して僅か2秒ほどで、その男は国主目掛けて突っ込んで行った。宮殿からは瓦礫が飛び散り、大地を揺らすほどであった。
意識はある。だが骨は砕けている。全身でないのは把握しているが、衝撃により体全てがダメージを負っていてどこが砕けたのかは把握できない。国主は奔る痛みの最中、喉の奥から懸命に声を出す。
「お、お前達…は、何者……だ─────」
「それは、私の口から説明しよう」
と、国主の問いに答えたのは、目の前の若い男ではなく隣にいた中年の男だった。国門からこの宮殿までは走って三分ほどの距離だ。若い男がここに突っ込んできてからおおよそ一分は経過している。この男よりは早くはないが、この中年も相当な速さを持っている。
「これより、この国は我々の計画の為に支配させていただきます。そしてお前達と国民は私達の奴隷となって働いてもらいます。さぁ、さっさとそこから退きたまえ。その玉座に座るのはあなたではありません。私でございます」
「ふ、ふざ………けるなっ!武弁、此奴等を──────」
瞬間、辺りに居た武弁が全員吹き飛んだ。
一体何に?中年と若い男はそこに居る。いや、若い男が手をあちらに向けている。何かしたのか?術色か?であれば見えていないとおかしい。何か違う方術か?それも違う。方術もまた別の形で視認できるはずだ。何なのだ、これは。
「もう一度言いますぞ、国主。そこはあなたが座る場所ではありません。あなたは今日から私の奴隷なのです」
「あ……うぅ──────」
グラッと視界が揺らぎ、やがて国主は気を失ってしまった。その様子を見ていた他の武弁達は、腹底から出でる雄叫びを上げながら若い男に向かって突撃していく。
「国主から離れろぉぉ!」
「恐れるな!かかれぇ!」
されど、雄叫びを込めた刃達は、若い男の謎の力によって蹂躙されてしまった。壁に背中から衝突し、また何人も気絶してしまう。その手前、階段のすぐ近くの物陰に隠れていた老人はその様子を目に焼き付けていた。いずれ、この二人を打倒してくれるであろう人に託すために、少しでも情報を得ようとする。
若い男は腕を振るだけで人を吹っ飛ばすことができるようだ。方術は少しだけ扱うことができるが、あんな方術は見たことがない。あんな、『無』で人を吹き飛ばす術など…だが記憶に刻み込め。解明をするんじゃない。ヒントを与えられるように、しっかりと─────
しかし、それは中断される。理由は二人に攻め込む武弁達が少なくなってきてしまったからだ。ここでじっとしていれば自分にも危害が及ぶ可能性が高い。そう判断した老人は、音を立てずにこの場から逃げ去った。
暫くして、陽柱国の国民の半数が男達の奴隷となり働かされたり、過酷な訓練をさせられたりした。もちろん、その奴隷の中には先ほどの老人も混じっている。だがこれは逃げ遅れたのではない。内部に留まることで、助け舟にすぐ捕まることができると判断したためである。残りの半数は、騒動が起こった時にすぐ郊外へと逃げて行った。幸い、陽柱国の郊外には遺跡が多く存在しているので、雨風は凌ぐことができた。飲食に関しては、川の水、近くの木の実で耐え忍んでいたが、だんだんに限界が訪れる。
平穏であった国に突如として地獄の時代が幕を開けてしまった。助けを求めても、誰も太刀打ちできない現状。助けを呼ぼうとも、周りには草木だけで走ったとて体力が持たない。この日々はまだ数日しか経過していないが、既に何年も時が経ったかのように感じさせるほどの劣悪な日々。
そしてその一週間後に、何も知らない旅人がこの国に訪れることを、民達はまだ知らない。
◆
太陽が地面と垂直になる時間。ガラガラと揺らぐ牛車は、豪華絢爛な馬車の後ろをついていく。何も事情を知らない人間がこの光景を見れば不思議に思うだろう。
尚無鏡は現在向かっている陽柱国で降りる二人に話しかける。
「ねぇ…本当に二人で大丈夫?」
「問題ありません。寧ろ、典礼での名誉を挽回する機会が与えられたと思っています」
「典礼だけじゃないさ。僕達は秋河にも敗北したんだ。僕個人に至っては、謎の炎にも負けている。ここら辺でそろそろ白星を取らないと、恥ずかしくて仙華様の隣を歩けません」
「そんなこと気にしないよ」
「ですが、我々にもプライドというものがあります。どうか、この我儘な心を許してください」
「そこまで決心しているなら、私も無理に止めないけど…でも一つ約束して」
「なんでしょう」
「絶対にやられないでね」
「ええ、約束します」
「精一杯努力します…」
自信のありそうな返答と、あまり自信がなさそうな返答が来る。
ガタンと牛車が揺れた瞬間、少し遠くの方から声が聞こえてくる。その声の正体は根張国主の専属御者であった。
「もう少しで陽柱国に着きます!あまり長く停車できませんので、降りる方はすぐ準備をしてください!」
その声を聞いた後、魏君と木煙は目を合わせて頷く。そして、五分ほど揺られて陽柱国付近に馬車と牛車は止まった。二人は軽い荷物を持って牛車の荷車から降りる。
「では、行ってきます」
「くれぐれもお気をつけて」
「そっちは頼んだよ!」
「お任せください」
魏君と木煙は再び動き出した馬車と牛車に手を振りながら、フーと一息を吐く。くるりと体の方向を変えて、少し先に見える陽柱国を眺める。
「では行こうか。もしかしたら、既に奴等は居るかもしれない」
「ああ。警戒は怠るなよ」
「君ではないのだから怠るはずがないだろう」
「…一言余計なんだよ、君は─────」
小言を言い合いながら、陽柱国へ続く道に沿って歩き始める。けれど、つい先刻までは晴天だった空に、南の端から小さな黒い雲がだんだんと伸び上がっているのが視界に映った。木煙が呟く。
「少し風が湿ってきたな。早く進んで、国内に入っておいたほうがよさそうだ」
「そうだな。あの様子ではすぐには降らないだろうが、少し急ぐとしよう」
木煙の言葉に相槌を打ち、魏君は背負っている鞘を繋いでいる革帯の位置を直す。遥か遠くで鳴っている雷が秘剣・罅樹と響き合い、魏君の心を僅かに震わせた。
何か不穏な空気が漂っている。宝刃戯派の気配ではない。もっと何か別の、そして強靭な何かの気配がする。しかも、初めてではない。この感じは以前味わったことがある。そう、短日国の国主である常詩だ。あの圧倒的強さを纏ったオーラは今でも忘れられないほどだ。それに近い気配を、奥底で感じている。
俺は一瞬、あの国に入るべきではないだろうか、という気が襲い立ち止まった。
「どうした?」
顔を上げると、不思議そうな目で見つめる木煙の顔が目に入った。魏君は少し呼吸を整えながら話した。
「感じないか…?この異様な気配」
「いや、特には感じられないな。少し空気が湿ってきたくらいだけど……何か感じるのか?」
「ああ……俺が短日国で常詩から感じたオーラと似たものを感じるんだ。当然、常詩ほどではないが、性質はすごく似ている……」
「その言い方からするに、赤霄ではなさそうだな。だとしたら承影という女か?」
「いや、彼女であれば逆に気配は感じない。墨走国に居た時、近くに居たのにも拘わらず俺は気配を感じ取ることができなかったからな…」
「なるほど…宝刃戯派ではないってことか?」
「俺はそう捉えている。ただでさえ秋河も厄介だったというのに、宝刃戯派と来てまた別の勢力が居るのか?」
「もう勘弁してくれ…でも、ここで降りた以上もう進むしかない。注意はしておけよ」
「言われるまでもない。君ではないのだから既にしている」
「ぐ……この状況でよく言えるな──────」
一通り話し終えた魏君は木煙と肩を並べて東へ向かう。異様なオーラが放たれている場所、陽柱国へと続く道を早足で歩き始めた。




