72話 閉幕、偽剣の副作用
つんとした空気の匂いを感じる。ゆっくりと瞼を開ける。瞬間、脳の奥を叩くような強い光が差し込み、耐えられず閉じてしまう。もう一度、ゆっくり開ける。ぼやける視界には漂う粒子が畝っている。指を動かす。何か柔らかい物の上に横たわっているのがわかる。眼前にはダークブラウンの板、おそらく天井だろう。瞬間、奥の方からガラリという戸を開けたような音が耳に届く。
「!────仙華様!」
聞き馴染みのある声。それを聞いたことにより、ようやく尚無鏡の意識が覚醒した。声の主を見ようと体を起こそうとしたがどうも言うことを聞かない。全身に力が入らない。すると、声の主が顔を覗かせてこう言った。
「無理に起きようとしなくて大丈夫ですよ。今はまだ安静にしていてください」
「陳湛…」
「すぐ皆さんを呼んできますから。ちょっと待っていてください」
陳湛は小走りで部屋の中から出て行った。扉の閉まる音で、さらに覚醒する。そうだ。私は負けたのだ。承影の強い光に包まれてそれから───────
負けたのは承知、よく解っている。だが自分がどうなったのかまでは解らない。覚醒したばかりであまり働かない脳で考えても仕方ない。皆が来たら改めて聞くとしよう。そう思って頭をごろんと右に向けた。すると視線の先には一人の少年が眠っていた。茶色い髪に赤色のメッシュとインナーカラー。いつも着ている赤い装飾が施された黒衣と、中に着ていた灰色の服と白の服は奥に干してあり、横たわっている彼の上半身は露わになっている。
そうか、崩星までも───────
尚無鏡は皆がここに来るまで、目を瞑っている彼をじっと見続けていた。
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昼前の空下、アーチの上。血溜まりに伏す一人の少年は、右腕で懸命に体を起こしながら後方に居る側面の宝剣を抜いた男に尋ねた。
「な、何で……君が宝刃戯派に居るんだ。どんな、理由で──────」
「貴様が知る必要などない」
彼の赤い剣は一部である赤い布に巻かれて背負わせている。抜いた宝剣は逆手持ち。向ける背中はガラ空き。隙だらけだというのに体が動かない。
カツカツと音を立て遠のいていく背中に崩星は吐く。
「おい…トドメは、刺さなくていいのか………?」
風は鳴り、音は止まる。相も変らぬ永久凍土に似た表情をする赤霄は、桃色の毛先、赤い裾を風に揺らしながらこう語る。
「今ここで、殺し損ねた貴様を殺すことは返った亀を踏みつけるほどに容易い。だが、おれの最重要事項はこの任務を成し遂げることだ。典礼は終わった。これから行われる閉会式に宝剣は必要不可欠であろう。それを果たすまでだ。貴様が何を言おうとも、何度でも挑もうとも、おれはお前と晄導仙華を否定し続ける。そして必ず、この手で貴様等を殺す」
口を閉じた刹那、赤霄はアーチから飛び降りた。崩星は懸命に彼のことを視線で追ったが、途中で見失ってしまった。ついに支えていた右腕に限界が来たか、胸元から再び血溜まりに伏す。そして、次第に視界は狭まっていき、やがて黒に支配された。
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ガラッ。
戸の引く音により、少年が覚醒する。少年の覚醒は早く、自分が今どういった状況に居るのかをすぐ把握する。寝そべる体、腹に巻かれた包帯、誰かが運んでくれたのだろう。その正体が数瞬後に明らかになった。
「よかった!目を覚ましたのね!」
「崩星も起きたのですね」
部屋の中に知った顔がぞろぞろと入ってきた。陳湛、魏君、木煙、飛川………あれ?誰か足りないような…
「結構眠ってたわね。典礼の閉会式が十時前だったから…ざっと二時間ってところかしら」
「形覚煙を浴びていたとはいえ、あんなに斬り刻まれてしまったら目を覚ますのにも時間が掛かってしまうのも無理ありません」
「崩星の傷も深かったけど……治療が間に合ってよかったよ」
「さて!二人が目を覚ましたので本題に入ろうか」
パンと両手を合わせて飛川がそう言った。彼女は尚無鏡が横たわっているベッドに腰を掛け、真剣な眼差しで口を動かす。
「他の人にはもう話したんだけど念のためもう一度……あなた達が追っているその宝刃戯派という組織は全員魔剣を所持している。でもその魔剣は造られた紛い物、つまり本物じゃないってことなの」
「──────ってことは、僕が戦った彼の剣も」
「ああ、もちろん偽物だ」
「それでここからが新情報。尚無鏡が承影と戦っている時、魔眼で解析していたの。魏君との試合では見れなかった、偽物の奥底の情報までね──────端的に言えば、彼等は魔剣に吞まれている」
一同は、放たれた言葉に目を見開く。そして飛川は続ける。
「魏君との試合と尚無鏡との試合の解析結果を統合して再び解析したの。確かに、主の唱えによって力が解放されている。でも結果は少し違った。あれは常時力を放っていて、無意識の内に強大な力に吞み込まれていってるの」
「ってことは、承影も、赤霄も、太阿や他のメンバーも皆──────」
「ええ……彼等にはとうに理性はなく、偽物の魔剣によって記憶も感情も歪められている。言ってしまえば、別人ね」
別人──────その言葉を聞いた崩星は脳裏に刺激が走った。
アーチの上でオレと戦っていた人物は間違いなく聶情だ。匠歩国の太子殿下として生まれ、何年も匠歩国で共に暮らし、共に尚無鏡と稽古し、そして─────国民を、家族を捨て去った仙人を恨み、その仙人を擁護するオレさえも恨んだ。彼は紛れもない、聶情なのだ。ならば何故、偽物の魔剣を手にして正気のままでいられるのだ。本物の魔剣?いや、魔剣に『赤霄』などという名前の剣は存在しない。書で見た限り、あれは邪剣の類。生物や妖鬼が触れれば吸収される死の剣。伝説では、あれは死界の悪人が仕掛けた罠だとか何とか。であれば、どうやって魔剣に影響されないようにしたのか。まさか、彼もオレと同じ─────あり得ない。一つは死に、二つは健在。そんなことは絶対にない。
だが今はいくら考えても答えには辿り着くはずがない。いずれまた、何かヒントを掴めるかもしれない。その時まで、コレは奥底にしまっておこう。
「そうなると、仙華様が見た五人のメンバーは見方を変えれば被害者ということですよね?」
「そうかも。本来の自分を捻じ曲げられ、その人を別人にさせた人物が居るってことだよね」
「……だね」
「なら、彼等をその偽物の魔剣から解放するのも目標になりましたね」
「でも宝刃戯派が求めている宝剣は残り二つ……宝剣を渡さないように彼等を解放か…」
「なかなか、難易度が高そうだね」
「とにかく、次に宝刃戯派が向かう場所は夜に聞くことにするよ。でもその前に────飛川さん、一ついいかな?」
「どうしたの?」
やはりあの時はまだ脳が完全ではなかった。会話中、ふと脳裏に過った彼の名を尚無鏡は足元に座っている飛川に向かって口にした。
「紅意段さんは、どこに行ったのですか?」
瞬間、部屋の空気が曇り出した。皆の表情からするに、崩星と私以外何があったのか知っているのだろう。ゆっくりと、飛川は曇らせた表情で話し始めた。
「彼は、処刑されたわ」
「え……し、処刑ってまさか──────」
「そう、禁忌を破ったのよ。そのせいで私まであっちに戻されて、あなたに解析結果を伝えるのが遅れたのよ」
「そういうことだったんですね……ちなみに、どんな…」
「力を使ったわ。その結果が──────あ、丁度来たみたい」
遠くからカシャン、カシャンという音が近づいて来る。まるで鎧を着た戦士のような足音だった。やがてその音は戸の前まで来て、戸の薄い部分を自身の影で覆いつくした。ガラリと戸を開ける。そこには──────
「な、なに!?」
首無しの騎士がそこに立っていた。
目を見開いたまま固まってしまった尚無鏡に飛川は問う。
「彼、誰だかわかる?」
「いえ、全く──────」
「難渉仁よ」
「はい?」
「難渉仁よ」
「初めて会った時の面影が無いんだけど…」
「お久しぶりです。決勝戦の結果は聞きました。悔しい思いをしておられると思いますが、とりあえずお疲れ様でした」
「ほんとに彼だ……」
首無し騎士は礼儀正しく言葉を掛け、尚無鏡は聞いたことのある声にぽかんとしていた。一体、何をどうしたら人がこうなるのか。今から死界に行って紅意段に直接聞いてみたいほどだった。
「どうして、そのような姿に──────?」
恐る恐る尋ねた。
「俺もよくわかってはいませんが……一つだけ。彼が助けてくれたことは、はっきりとわかります」




