63話 落つ憎しみ、もう一つの帳
流石に人を殺すことに容赦のない黒手党の人間であっても、宝剣が破壊されそうにもなると素直に交渉へと移ろうとする。上層部の一人が老大である猛明胡を呼びに走って行った。ふと、温帆寧に気配が走る。その気配は屋根から、金色のシグナルを追って難渉仁が追いついたか。
そしてやがて、何人もの人を連れた髭の男がこちらに向かって歩いてきた。頬は少しコケており、開く目には光など宿っていなかった。まぎれもなく、彼が黒手党の老大・猛明胡だ。彼が連れていた部下は、温帆寧を囲むように動いている。逃げ道を塞ごうとしているのだろう。
「───────」
目前を睨んで唾を飲む。ひと悶着あるかと覚悟していたが、まさかこうも簡単に出てくるとは思っていなかった。猛明胡は腰に手を組みながら、ゆっくりとこちらに近づいて口を開く。
「まさか、こういう手段を取るとはな…温帆寧」
「フフフ…まぁ落ち着いてください。まさか、そこまでしてこの宝剣を回収したいとは…これ以上騒動を起こされると面倒ですので、わざわざあなたをここに呼んで取引がしたかったのです」
そう口にして、温帆寧は羽織ってるマントを翻して腰に携えている宝剣を見せた。猛明胡は眉を寄せて、その場所を睨む。されど、
「おっと、誰も近づかないでくださいよ。わたしに近づいていいのは猛明胡、あなただけです」
「ちっ、感づかれたか…お前等、少し下がっておけ。それで大泥棒、取引とはどんな内容だ?」
「───────」
「おい、聞いているのか?取引の内容は!?」
猛明胡の叫ぶ問いに、温帆寧の不敵な笑みを浮かべる。瞬間、温帆寧は黒い傘を手に持ち、石突を思い切り地面に突き付けて言った。
「取引の内容は──────そういえば、特に何も考えていませんでしたね」
刹那、石突の先端を中心として黒い煙が噴き出した。範囲は辺り全体を覆うほど、高さも建物の半分にまで達している。これは傘の細工などではなく彼自身の持つ術色。黒、範囲術、帳の中に新たな帳を巻き起こす泥棒である彼にはピッタリすぎる術色だ。
「くっそ!やはりコソ泥の交渉なんざ信じなければよかった!お前等!」
だが、この煙の中では状況などわかるまい。ただ一人を除いて─────
「──────!」
上空から、殺意と共に何かが落下してくる。親を、幼馴染を殺された者の絶殺を込めた刃が、風を切り裂きながら迫ってくる。敵の位置は把握している。このまま落ちれば奴を真っ二つにできる。煙が起こってから1秒も経っていない。いきなりの煙幕にすぐ対応できるはずがない。猛明胡の近くには上層部の人間は居ない。すぐ近くに近づくことはできない。近付いたところで、こちらの方が確実に速い。
取った──────!
難渉仁は鍘刀と下に構えながら煙へと突っ込んでいく。ドォォン!という衝撃が温帆寧付近の煙を晴らす。そして、その目に映る光景にかの有名な大泥棒でさえ一歩遅れを取るほどであった。
「な────!?」
「!──────────」
猛明胡の悪運が強いのか、難渉仁の運が悪いのか、目の前で起きた状況が理解できなかった。難渉仁は確実に仕留められる位置だった。けれど、あの黒煙の中で猛明胡は偶然にもその場に転がっていた少々大きめな小石を踏んでおりバランスを崩していた。ただそれだけ、たったそれだけのことで、憎しみの落雷を躱したのだ。
晴れた黒煙、黒い壁に囲まれた領域には三者、温帆寧、難渉仁、猛明胡の姿。難渉仁は地面にめり込んだ鍘刀を急いで上げようと力を込める。温帆寧は偶然にも一撃を回避した猛明胡を仕留めに右足に力を入れる。猛明胡は地面に倒れんと手を地に着けて元の姿勢に直そうとしている。
鍘刀が地面にめり込んでいて持ち上がらない!クソ!こうなれば──────!
難渉仁は手を猛明胡の方に出す。武器が持ち上がらないのであれば、代わりの攻撃をすればいいだけのこと。激流で奴を無力化する。そう思いを込め放とうとしたその時、視界の真ん中に黒い何かが映る。それは難渉仁の眉間にグサッと刺さり、一瞬走る痛みはこれから放つ力を奪った。瞬間、ゴウッと一際大きな音が立った。視界は明るい橙色に支配され、明るさが帯びる熱により今がどういった状況なのかを理解した。
周りが火の海と化していた。これは温帆寧でも難渉仁でもない。猛明胡の技だ。彼もまた術色を扱う者の一人だったのだ。
彼の元に近づこうと走り出した温帆寧は、目の前で突如起きた炎の壁によって遮られてしまった。いくら術色を扱うと言っても温帆寧の術色は黒。目の前に聳え立つ炎を退かすことなど不可能だ。
「無事ですか!」
温帆寧は熱に負けじと叫ぶ。すると、奥から声が返ってきた。
「俺はいい!テメェはさっさと逃げろ!宝剣が渡っちまえば終わりなんだよ!」
わたしは泥棒、逃げるのなんて朝飯前だ。
「──────わかりました。また、会いましょう」
そう炎の奥に告げ、温帆寧は再び黒煙を発生させ、今度は空の闇へと消えていった。炎の奥からは「おい!温帆寧を追うぞ!」「ああ!老大を信じて行こう!」と猛明胡の部下達の声が聞こえてくる。
力が入らない体を懸命に動かす。そのひっくり返った虫のような動きをする人間目掛けて、猛明胡は腰に携えていた剣を抜いて大きく振りかぶった。須臾、何の躊躇いもなく無造作に振りかぶった剣は背中に振り下ろされた。
「ガッ────」
鈍い音を立てて、だんだんと難渉仁の下から円形の赤い絨毯が広がっていく。眉間に刺さった短刀も抜けず、背中には炎のような熱が支配する。
「猛明胡────!貴様だけは、貴様だけは殺す!必ず!」
貴様だけは、貴様だけは殺す!絶対に!
突如、遠い昔に聞いた子供の声が猛明胡の脳内に溢れ出した。そこでようやく、地面に這いつくばっているこいつが何者であったかを理解した。
「俺は殺した奴やその関係者をすぐ忘れちまう。だけど、俺の中でずっとキリキリと耳障りな金切り声が偶に響くんだよ。もしかして、お前がその時のガキか?あれから十年ほど経ってるし、ありえるな」
「何のために…何のために俺の親を、幼馴染を、殺したんだッ!」
「黒手党に殺しの理由なんて問うなよな。強いて言うなら、関わっちまった、かな。悪いが俺にはあまり時間がない。野次馬が来る前にさっさとここを去って、温帆寧の持っている宝剣を回収しなければいけないからな。ではな巡守隊、ここで生涯を終えろ」
「なら、一つ教えろ」
神経の痺れを懸命に振り払って、絞るように喉から声を出した。どうしても、確認しなければならないことが一つある。
「なんだ?死ぬ前に聞いてやろう」
「以前、お前が巡守隊に捕まり死刑が執行された。そして程なくして黒手党は壊滅したと聞いた。なのに何故、こうしてお前は再びこの世に舞い戻り、黒手党を築き上げたんだ」
「あの時、巡守隊に逮捕されたのは俺の弟だ。双子ってわけじゃないから身代わりの為に何度か整形させた。そしてまんまと奴等は引っかかった。それから俺は数人集まって裏社会でちまちまと活動して、再び黒手党を立ち上げたのだ。冥途の土産としては満足か?」
「ああ満足だ。テメェを呪い殺すには十分すぎるほどに満足だ」
「それはよかった──────」
背中に刺さったままの剣は引き抜かれ、じんわりと熱が広がる。刹那、その血の塗られた剣は脳天へと振り下ろされた。
覚醒は不可。藻掻く体は完全に停止し、瞼という帳は下ろされた。
「しかし、ここまで執念が強ければいずれ妖鬼として戻ってきそうだな。とはいえ、その時には自分が何者であるか理解できないだろうがな─────チッ、野次馬が来る前にずらかるとするか。大分数も減っちまったな。次の日は俺も積極的に動かなければ間に合わないかもしれんな」
剣に着いた血を払い、納刀しながら暗闇に向かって走り出す。もの凄い音が鳴ったとはいえ、周りに人が居なかったのは幸いだった。駆け付けている足音は一つ。これなら簡単に逃げ切れられるだろう。
老板が闇へと溶けたと同時に、その駆け付けて来た者が到着した。難渉仁の下に広がる血は瓢箪のような形となっており、その体は一切の動きも見せなかった。
「ウソ、だろ……難渉仁──────」
駆け付けた者は、下頼殿の者により自身を人間・巡守隊という位置付けにして、数ヶ月間を経て共に仲を深めていった仙人・紅意段であった。




