29話 黒い復讐、煙る汚水
「陳湛!術色であそこまで飛ばして!」
「了解です!」
扇を開く。舞のように腕を振るい、三人を囲むように緑色の陣が現れる。次の瞬間、下から風が吹き、体がだんだんと浮いていく。そしてその陣は黒い柱を目掛けてだんだんと傾いていく。
「準備はいいですか?」
「「もちろん」」
陳湛の言葉に答えながら、疑問に思うものを確認する。
何故、崩星はこれに適応しているのか。今は問題ないが、最初はバランスを取るのに少し手間取ったのだ。私の見ていないところで既に経験していた?それとも何か別の理由が……?
とにかく、最も優先するべき問題はあの黒い柱だ。陳湛は前に突き出していた腕を上に勢いよく上げる。
瞬間、暴風が巻き起こり、三人は大砲の如く射出された。この速度であれば、目標に着くのに6秒もかからないだろう。
けれど、それが叶うことは無かった。ここを通ると予測していたのか、複数の影がこちらに迫ってきた。
「な──────」
ここで、分断される。
秋河は尚無鏡の服を掴み、二人が戦っていた崖へと連れて行く。
陳湛と崩星は赤い妖鬼の群れによって、そのまま下に落とされる。
妖血歩団の妖鬼は頑丈と聞いているが、ここまで力があるとは──────
妖鬼の体を確認する。なるほど、肉体が強化されているのか。以前森で会った妖鬼とは比べものにならないほど筋肉量があった。それが十体ほど。これは相当時間を取られそうだ──────
◆
崖の上にドーンと音と砂煙が上がる。
けれど尚無鏡は傷一つなく逃れていた。地に着く直前、体を旋回させて服を掴んでいた手を離したのだ。
すぐに姿勢を正し、目前の敵を睨む。
「──────久しぶりだね、秋河」
目前の妖血歩団の長は口角を上げ、両腕を思い切り横に広げながら汚らわしい舌を動かした。
「ああ久しぶりやな。俺は嬉しいで。ずっと待っとったこの日ぃ迎えることできて」
「…聞きたいことが一つある」
「なんや?殺す前に聞いたる」
「何故こんなことをしている」
「お前を殺すためや」
「何のために」
「何のためにやと?──────決まってるやろうが!あんたが突然俺等を置いて逃げて、国めちゃくちゃにしたんやろうが!」
逃げた?
いや、違う。あれは強制的に仙界に戻されたのだ。と言ったところで、彼はそれを聞き入れることは無いだろう。たった一言が、一千年の恨みを曲げることはできない。
「そうかもしれないね。でも、あんた達はここまで来るのに何人の人を殺したの?」
鬼は下卑た笑みを浮かべる。
「さぁな。少なくともあんたが見殺しにした数には届いてやんと思うけど。俺等の数合計しても」
その倫理観の皆無さは、流石妖鬼と言わざるを得ない。
妖鬼という存在は元々が人間の場合が多い。仕組みとして、生きてきた中でひどく恨みを持っている人間が死んだとき、死して活動を停止した魂を支配し、朽ちた体を起動させる。それが妖鬼。感情というものは本来存在しない。過去の恨みの身で動いているただの哀れな傀儡。最早人ではない。
匠歩国の民は、『破壊』の鬼将の呪いによって死んでいき、晄導仙華を途轍もなく恨んでいる。
「やっぱり。妖血歩団の長が、あの秋河だって知った時、大体想像できていたけど────妖血歩団は、元匠歩国民だったわけね」
「そういうことや。まぁ一部の民が集まっただけやけど、情が湧いて簡単には殺せやんやろ?他の連中はあんたと一緒におった二人の方を相手してる。あいつらは無事にあれを止められるかなぁ?まぁ無理やな、あんた殺した後に俺に殺されるんやから」
「別に、妖鬼になった時点で理性を保とうが人間じゃないからどうってことない。それに、よっぽどの自信を持っているようだけど、あんたは私には勝てないよ」
瞬刻。
黒がこちらへ駆け出した。キラリと光る短剣を手にしている。まだ一本。もう一本の短剣には注意せねばならない。
「ぬかせ!あんたこそ、この俺の塗着術の前には勝てるわけあらへんのや!」
秋河が駆け出したと同時に、尚無鏡は弓を握り弦を引く。炎の矢が手元に現れる。瞬間、それを秋河の心臓目掛けて放った。もちろんそれは──────
「はっ!無駄や!俺にそないな攻撃は通用しいひんのや!」
体に穴が開き、そこから煙が出てくる。
降りかかる刃。尚無鏡は巧みに体を捻ってそれを避ける。
「チィ────────ッ!」
確認した時にはもう開いた穴は元に戻っていた。こちらに顔を向け、秋河は絶えず口を動かす。
「あの二人も惜しいとこまで行ったんやけどなぁ、あんたからはその兆しが全然見えへんわ」
揺れる。
再び秋河目掛けて矢を放つ。
「そやさかい意味あらへんねんて。なんべん言うたらわかんのや。別にええんやで、わかるまでなんべんも撃っても」
「────────それじゃあ、遠慮なく」
すると尚無鏡は弓を上に向けて三本の矢を放った。その光景を見ていた秋河は深い溜め息をついて呆れながら言った。
「なんべんも撃ってええっていったけど、どこに撃ってんねん。アホなん?」
三本の矢が秋河の真上を過ぎようとしたその瞬間、矢の形が変化した。まるで液体みたいにグネグネし、やがてそれは本当に液体となり降り注いだ。
落ちる最中、その液体は自分が何者であったかを思い出したように、再び赤い炎の矢へと姿を変える。それも無数。降ってくる雨が矢に変わった。
当然、その矢は秋河に降り注がれる。炎が地面に着き、煙を上げる。炎の雨が終わり、煙が風によって退かされる。だがその先には、尚無鏡が思っていた光景が広がっていた。
「ぐ……──────何でや、何で俺に傷があるんや。なんで血ぃ出るんや…!」
「あれ?意識してそういう仕組みにしたと思ったんだけど違ったんだ?でもまぁ傷入ってくれたし、それでいいか」
「どういうことや…言えやカス──────」
尚無鏡は溜め息交じりに言葉を投げる。
「あんたは体と術色を一体化することができる。それによって攻撃をすり抜けさせることができる。でも、それは攻撃を完全に無効化しているんじゃなく、外へと流している。まるで、波紋のように」
「──────!」
「だからその受け流したもの同士がぶつかり合ってあんたに傷がついた。波紋のように広がる性質、煙のように漂う性質。意識してそうやってたって思ってたんだけど無意識だったなんてね」
笑う。
肩を揺らして、不気味な雰囲気を醸し出しながら笑い、爆発したかのように憤怒する。
「せやったら…あんたに弓を撃たせなええだけの話やああぁぁぁぁ!」
もう一つの短剣を取り出し、再びこちらに迫ってくる。
近距離では弓を構える時間など無い、と秋河は考えたのだろう。本当に、つくづく呆れる。さっきの芸当を見て、何故突っ込んでこれるのか理解ができない。
「ハ───!」
弓を握る手とは逆の手、赤い剣が握られている。間合いは十分。確実に当たる。だがこのまま振り下ろせばすり抜けるだけ。
故に、
「なん──────」
振り下ろすと同時に、攻撃術で構成された剣を崩した。さっき上空で、矢の形を変えたように。
下ろされるはずだった剣は液体として宙に取り残されていた。秋河の体をすり抜けるものは何も無かった。
途端、その取り残された赤い雫達は新生する。元々剣であったものが、鋭い結晶となり再び秋河の体に数多の穴を開ける。
秋河に新たな傷が生まれ、それを加速させるように大きな塊が襲い掛かる。
「ぐあああぁぁぁぁぁ!」
点々としていた傷に加えて、斜めに斬られたような細い傷が二つできる。散々「お前を殺せる」だの何だの減らず口を叩いていた者から聞こえる苦痛に耐える声というのもは実に清々しい。
「何がどうなってるんや……何やねん、それ。何の型や!」
叫び問う。
それを言った者に対する顔は、家の害虫駆除を任されたような顔だった。
「あんたって、自分のこと以外何も知らないのね」




