14話 進め、先へ、とまれみよ
「話って、さっきの戦いの比喩じゃないの?」
尚無鏡はそう赤い男に言い放つ。
男は溜め息をついて、それを否定する。
「いいえ。さっきのはただの時間稼ぎですよ」
「時間稼ぎ……?」
「耳を澄ましてみてください。きっと、さっきの戦いでは聞こえなかった音が聞こえてきますよ」
そう言われ耳を澄ませる。
されど──────
悲鳴。
咆哮。
剣戟。
爆発。
「な、何……この音は…?」
男は表情を変えること無く口を開く。
「匠歩国で妖鬼の襲撃が起こっているのです。最近、妖鬼の出没頻度が増えたと噂立っていたでしょう?」
尚無鏡は体を匠歩国の方へ向け駆けだそうとする。
しかし。
「話はまだ終わっていません。それに、今このまま行ったところで何にもなりませんよ」
「どういうこと?」
「アナタは、『鬼将』という存在を知っていますか?」
鬼将?
今まで生きてきて初めて聞く。
「鬼将は妖鬼を束ねる者、言わば統率者。群れとなって歩かない妖鬼を支配する者」
「だからあんなに……」
「鬼将には三つ、『破壊』『創造』『維持』を統べる者が居ます。原初の妖鬼が死する際、恨みを抱きながら三つの種を落とした。そして一つの種が芽生え、最初の鬼将である『破壊』が誕生した。彼は五千年前に完全に封印されましたが、現在匠歩国を襲っているのはその最初の鬼将である『破壊』の鬼将。本来であれば彼が目覚めるのは七千年も先でしたが、手間を掛けワタシが今宵復活させました」
「一体…何のために」
眉間に皺が現れる。
すると男はこう放った。
「アナタの為ですよ、尚無鏡」
私の、為──────?
「ワタシはアナタに可能性を感じた、だからこそ体力を大幅に消費させてでも鬼将を復活させ、匠歩国を葬る必要があったのです」
「何を言っているのかわからないんだけど────説明してよ、私の為なら言えるでしょ!?」
男は再び溜め息が零れる。
「言えませんよ。せっかく面白くなるかもしれないんですから。ここで本人にネタバラシなんて、そんなつまらないことはできません」
歯を噛む。
目前の赤を睨む。
もういい。こんな訳の分からないことを言ってくる奴には構ってられない。
今すぐ行かなければ──────!
「ちなみになんですが、『破壊』の鬼将の力はアナタの数十倍です。アナタが戦闘に加わったところで成す術なんてありませんよ」
「すぅ……じゅう倍────?」
「はい。仙界の中でも腕の立つアナタでも勝てません。ですが、一つだけ勝てる方法があります」
ここで初めて、赤い男は微笑んだ。
喉が鳴る。
「民の前で自分が晄導仙華であると名乗るのです──────」
「それはダメだ!」
思考が巡るよりも早く、尚無鏡は否定した。
それは当たり前のこと。おかしい情景ではない。
その仙人を信じていてもいなくても、自分が仙人であると人界の民に告白することは禁忌だからである。
禁忌に触れれば最後。
死刑が確定する。
男は続ける。
「その後に護衛や武弁に自身の仙声を繋ぎ、民達に術色を与えるのです」
「、──────あんた…狂ってるわ」
そう、これも禁忌なのだ。
仙人が人界の民に仙人のみが扱える力を干渉させる。
この男は、なんなのだ。
「狂っている、確かに狂っている提案です。ですがこうしないと民はおろか国ごと跡形も無く滅びます。仙声というものは道観や像などを通じて流れてくるものです。ですが仙人が受け取る仙声は僅かですよね?それはその過程があるせいでこちらに来るまでには量は変わらないが濃度は薄れてしまっているからです。つまり、民の声を直接体に流し込めば何倍、いえ何十倍もの力を瞬時に手に入れることができるのです。そう、それはつまり─────」
「──────鬼将を、倒せる…」
「倒せるかどうかはあなた次第ではありますが、少なくとも相打ちには持っていけるでしょう」
そうすれば民を、国を守ることができる。
だが、心には光が差さない。本当にするべきなのか?鬼将を復活させたのはこの男だ。そんな男の提案に乗ってしまえば何が起こるかわからない。
故に躊躇逡巡。
手の上で踊らされている。
「────────────」
男は問いかける。
「どうするのですか?このまま民と国を見殺しにするか、自分に何が起きても民と国を救うか。それとも無謀に突っ込んで皆さん仲良く亡くなるか」
喋るな。
けれど、今は奴に民と国を人質に取られているということ。
禁忌を破ったらどうなってしまうのだろうか。
いつ、どのようにして処されるのだろうか。
くそ……。
尚無鏡は剣を鞘に納め、匠歩国の方を向く。
「行くのですか?」
黙れ。
「それしかないでしょ下郎。次に生まれ変わったら、必ず殺してやるから──────」
刹那。
地を抉って跳んでいく。まるで5000マイル先へと向かうような勢いで。
普通の人であれば鼓膜が破れそうな音を放ちながら飛んでいく。
「他の道は初めから塞がれている。どれだけ考えても進む道は一つしかない。色濃く浮き出た精神はやがて虚無の中へと落ちる。そこに行けば最後です。決して、無事に帰れるなどと思わないように──────」
◆
「クッソ!なんて数だ!」
「こちらの体力も限界に近い…もう解憶は打てない」
「それでも、ここは私達が食い止めなければなりません。仙華様が来るまで持ちこたえましょう!」
陳湛、木煙、魏君は燃え盛る家屋を背に、妖鬼の大群を退いている。
風が覆い、雷が刺し、凍てつく氷斬が捌く。
「僕達があのデカブツを相手しなきゃいけないのに…!」
「どれだけ倒しても、次から次へと妖鬼が……」
「あの狼みたいな奴は何だ?見たことも聞いたことも無い」
私達では、力不足です。
今はあなたに頼るしかありません。
早く戻ってきてください、仙華様──────!
瞬間。
煉獄に満ちた国に、天翔ける星が一つ。
そしてその星は、救うべく地に落ちた。
それは誰もが知っていた。
「ごめん、遅れた──────」
三人、いや他の護衛も目を見開く。
「仙華様……遅れすぎですよ────」
彼女の背中に向かって陳湛は呟く。
目前にはあの狼が立っている。
「グルルアアァァァァァ!」
空間を震わせるほどの咆哮が襲う。
彼女はそれに怯むことなく前進する。尚無鏡は自分の二倍ほどの大きさをした狼を睨みながら呟く。
「コイツが、鬼将……」
「グルルゥ──────」
周りには死体。
込み上げる怒りを剣に乗せる。
あの男の話を完全に信用しているわけではない。私に禁忌を破らせようとして極端に言っている可能性もある。
本当に、本当にダメだと思った時、自らを明かそう。
それまでは──────