130話 舞台の支配者、剣神の一瞥
「二人の準備が整ったようですね。それでは、決闘を始めさせていただきます」
舞台の下に立っている湛慮がそう告げた数瞬後「始め」という合図が出された。
ルールは墨走国の典礼同様、戦闘不能、武器破壊、舞台からの転落で勝負あり。典礼と違うところは、不死煙という薬煙が無いこと。故に、目を潰されればその後は潰れたままだし、腕を斬り落とされればその後は隻腕だということだ。
体に緊張を巡らせる。それを一点に集中させ、この体から一気に解き放つ。まるでそれは彗星の如く。正面から翻弄する白い影、構えることの無い獲物を狩人が疾駆する。
「ふふっ────────」
合わせるように握っている長剣を動かした。無論、そういうスタイルだろうとは予測していた。彼から感じ取れる無気力の剣意。来た攻撃にタイミングよく迎撃するだけの戦意。されど、それを上回らなければこの壁を突破できない。
「シ──────ッ!」
息を擦り吐きながら、黒い剣と黄金の剣を打ち合わせる。だが、その一撃、その殺到で彼の体はほんの少ししか後退しない。寧ろ、
「んぐ!」
その弾きは強靭な一振りのように重かった。故に攻め入っているこちらが後退させられている。足に力を入れ、反発を利用して更なる攻撃を叩き込む。一撃の後に、容赦なく振るわれる分厚い狂気。
戦略変更。深追いはしない。一撃を加えたのなら距離を取って次弾に備える。
もちろん、軒轅の反撃を警戒してのことだ。しかし、その過程で術色による攻撃はできない。彼にとって、それは完全な隙でしかないからである。故に特別な事が起こるまでは封印する。
軒轅は涼し気な顔をしながら、黄金の長剣を指揮棒のように振るい呟いた。
「なるほど………これが君の剣跡か」
そこに剣が来るというのがわかっているように、迷いも力もない動きで黄金が繰り出される。
のっぺらぼう。彼の剣からは何も感じられない。雄々しく黄金色に輝いているというのに、この目で感じ取れるそれは真っ黒な闇そのものだった。
剣戟の最中、軒轅は続ける。
「始めに言っておくべきだったなぁ…………君は私には決して勝てない。それが私の計算の答えだ」
「────ッ、るさい!」
「計算通りの反応だ………」
「計算計算って、それしか言えないの!?」
そう吠えて、黒い煌めきを乱射する。
幾度となく衝撃音が木霊する。されど、呼吸が狂っていくのは尚無鏡の方であった。明らかに消耗している。軒轅の剣捌きは、あの外見から想像もできないほど卓越したものであり、完全に尚無鏡の速度と動作を見切っているという事実である。
「これが戦いか。他愛もない遊戯に過ぎんな…………」
「何……?」
「失敬。実際に戦いに興じるのは今日が初めてなものでね。私にとって、この戦いは目的を達成するための手段に過ぎない。そう、君達や赤霄君達と同じ……ただの道具だよ」
その言葉は傍観者である彼等の耳にまで届き、不安が増していく中で驚きの声を発していく。
「では、あの人は戦いの素人ということですか!?そんな人が、どうして仙華様を………」
「まさか、これが完成間近の究極の魔剣ってやつの力なのか……!?」
そこに、「いや違う」と光琅が否定する。
「これは魔剣の力なんかじゃない。あいつの魔剣は、まだ発動していない」
「なんだって!?」
「軒轅は、疑似魔剣に付属されている補助能力のみで戦っている」
「そんなバカな…………あいつは既に、仙華様を凌駕していると言うのか。そんな奴の魔剣が動き出したら──────」
「だとしたら、この戦いの意味って一体何なんだ?」
刹那、ガキィン!という大きな音が闘技場全体に響き渡った。同時に後方から衝撃音にも負けないほどに大きな笑い声が鳴り渡る。
「アハハハハハハッ!いいザマですわ!叔父様、もっと虐めてやってくださる?」
「小さい癖に上からうるさいぞ!パチモンの魔剣持たされたパチモンの子は、大人しく口を閉じてろ!」
癇癪を起こす木煙に、干将莫邪は静かに返す。
「言ったはずですわよ…わたくしは他の奴等とは違うんだって──────」
それを証明するかの如く、声のトーンがだんだんと低くなっていき、干将莫邪の左目の色がボウっと反転する。それは嘗て、聶情が魔剣を覚醒させた際になった時と同じように。その様子を垣間見た光琅の奥底で、ドクンと大きく鼓動した。
「そうか…………そういうことか……」
「どうしたのです?」
「わかったんだ。以前短日国の洞窟で、彼女ともう一人の女と相対した時、片方から途轍もない力が溢れ出ているのを感じたんだ。聶情のような解放時ではなく、解放する前から………なるほど、あいつのは偽物の魔剣じゃなくて──────」
「お分かりいただけまして?わたくしが本物だってことが」
スッと、服に被された鞘から魔剣を抜剣した。
剣身の半分は白、もう半分は黒。鍔の部分で交差し、柄の部分では絡み合っている。陰と陽。その姿は間違いなく、古くから伝わる魔の剣・干将莫邪だった。
「本物って──────」
「宝の持ち腐れとは、まさにこの事だな………」
陳湛の呟きに軒轅が戦いの空白に続け、更に連鎖するように湛慮が拡声させて加わる。
「干将莫邪様がお持ちになっている魔剣は、本物の魔剣。故に干将莫邪様は、魔剣に選ばれし神童……真の剣神の子なのです。嘗て軒轅様は、とある場所から本物の魔剣を手にされました。しかし─────────」
「魔剣が選んだのは私ではなく、玄羅だった。それ故に、私は剣の神から一瞥を受けた子として剣神の子と名付けた。だが……玄羅はその剣神の子になろうとする野心さえ持ち合わせていなかった」
「だって~、剣神の子だとか、そういう感じのやつって面倒くさいんですもの。わたくしは楽しく遊べれば、それでいいんですのよっ」
尚無鏡は息を整え、剣を構えながら話を整理する。
まず、干将莫邪が持っている魔剣は偽物ではなく本物の魔剣だということ。それに軒轅が言っていた玄羅という名前は干将莫邪の本名で間違いないだろう。
そして、ずっと引っ掛かっていた概念である剣神の子というは軒轅が作った造語らしい。
そこに一つ、閃いたものがあった。
「……あんた、だから疑似魔剣を────────」
「そう。強大な力を得るために、何としても完成させる必要があったんだ。それ故、宝刃戯派を築き、利用させてもらった。人類解放という偽の大義を掲げ、私のための、ただ一つの、究極の魔剣を完成させるために。私達が求めるものそれは、この世界で起きる事象全てを計算し、動かす力だ。この魔剣が完成した暁には、この世界のありとあらゆる出来事が掌の上で廻るようになるだろう」
「ふざけないで!あんた、この世界を支配して神にでもなるつもり?」
「神?そんな存在になってやろうと意気込んだことは一度もない。しかし、その力を手に入れた時、人々は皆、神と呼ぶだろう!」
「宝刃戯派に神って言わせてたのはその下らない願望の予行練習だったみたいだね。でも、そんなこと絶対にさせない!何が計算よ!あんたの計算なんか私が壊してやる!今、ここで─────!」
瞬間、白い道袍が流星のように駆けていく。飛翔し、振り下ろされた剣の威力は今までの比ではないほどに強力。されど変わらず軽々と弾く軒轅に、第二第三の剣が繰り出される。隙間なく間断なく、目前に火花を散らし続ける。
気合を込めたとてこの性能差。彼女のように強い者でなければとっくにその現実に打ちのめされ、剣を下ろして挫けていただろう。
「尚無鏡君。私の計算通り、君の負けだ──────」
されど、奥底から込み上がる。
「ふざけないで………私は必ず、あんたを倒す!」
架空の回路に、黄金の血が巡る。仙声。しかしそれは少しの量。多くても体に負荷がかかるだけ。自身の剣術を強化するならこの程度で十分。
その時、軒轅の顔に歪みがあった。それは苦しいものではなく、何かを確信したような笑みだった。だがそれに気が付いたのは尚無鏡ではなく陳湛だった。
「はあぁ!」
声を腹から出しながら尚無鏡は地面を蹴った。軒轅も剣を構え直し、意外にも間合いを詰めてくる。
そして超高速で連続技の応酬が開始された。尚無鏡の黒い剣は黄金に阻まれ、軒轅の黄金の剣を黒が弾く。二人の周囲では様々な色彩の光が連続的に飛び散り、衝撃音が闘技場の石畳を突き抜けてゆく。強敵を相手に、尚無鏡は嘗てないほどの加速感を味わっていた。感覚が一段シフトアップしたと思う度に、攻撃のギアも上げて行く。
まだ…………まだ上げられる!
「全く、君は計算通りだよ──────」
全能力を解放して剣を振るう何かが尚無鏡の全身を包んでいた。剣戟の応酬の最中、軒轅の奏でる攻撃のテンポが極々僅かに遅れた気配を感じた。
行ける─────────!