118話 人界頂戦譚・柒
真正面。作り出された翠の人形等が一斉に赤霄へと襲い掛かり、左腕から放たれる暴力とも言える光線が、空間全てを埋め尽くすように解放される。されど、既に常詩と似た個体を斬蛇は二つ飲み込んでいる。襲い掛かる分身と光線。その最中、赤霄は蛇の頭をこちらに向かわせ、短い詠唱と共にその首を斬り落とした。これで攻撃術と範囲術を剥奪、貯蔵できた。
本来であれば、首を斬り落とした瞬間に飲み込まれていた個体は外へと放出されるものだが、斬蛇が飲み込んだ者は翠の術色で編まれた人形。故にその糸は解かれ、解放と同時に霧散した。
瞬間、閃光を帯びた白い腕が魔剣に直撃した。その衝撃を赤い剣で吸収し、集束し、新たな形と性質を与えて、襲い掛かる全ての翠に向けて一気に解き放つ。
消却。塵一つ残すことなく向かってきた光を消し去った。しかしまだ残っているものがある。迫り来る大量の光線の一部を掴み取り、強引に蛇に流し込ませていく。あらゆる方向からの同時攻撃。ならばこちらも同様に、あらゆる方向からの攻撃で返すのみ。
「オオォ─────!」
力を込める。人形を焼き切った力に新たな力を注ぎ込む。こちらの装弾数は二つ。ここで途切れさせてしまえば残りは一つだけとなってしまう。故に継続させる。多少体力を削ってもこれだけはしなければならない。
数多の緋と翠が衝突し合う。瞬刻、末端からの圧力で中心を破壊するように、無数の風が一気に砕け散った。
エレクトロニックフラッシュ。彼の体は光とて人間。強烈に連続する閃光には耐えられまい。その一瞬を隙と見なし、発動中の範囲術を破棄し空白なく攻撃術へと切り替え、強靭な一撃を奥の本体に見舞う。
僅かに動きを止めていた常詩の上半身が、物体が突き抜けた雲のようにごっそりとなくなった。だが、
「この体になって色々とやってみたけど、やっぱりボクはボク自身を作る方が向いてるみたいだな。分身だとかそういうのじゃなく、全くのオリジナルということだ。結局、どれだけ似た性質のものを作っても、実行命令を出しているボクには成り得ない。殺された百人のボクだって、こんな感じに戻ることはなかっただろ?」
消し飛ばされた上半身は元に戻っていき、更に常詩の足元を中心に、翠色の粘液が周囲へ広がっていった。地面はもちろん、壁も、そして天井までも。瞬間、目前の体はズプンと沈んでいき、沈んだ体は壁から垂直に立っていた。
その体を壊すことはできても、殺したと確信し得るのは果てしなく遠い。そして殺せなければ、例え全てを潰しても絶対に止まることはない。されど、
「─────関係ない」
関係なく真正面から突撃する。十五メートル以上にわたって広がる翠の粘液の中央へ踏み込み、その周りから突き出てくる大量の棘を斬り払い、炎を纏った魔剣を振り下ろす。常詩の体は半分になるが、その黒い海に漂う蒼い星はギラリと輝き、白を裂く黒い口は健在であった。
「無駄だ。どれだけ攻撃しても、ボクの体は無限に再生する。お前の策にあるかは知らないが、彩法調和も無駄だぞ。それを防ぎたかったら、ここを元素の無い空間に染め上げるしか無いな」
無論それは不可能。素粒子ならともかくとして、元素が全く存在しない空間などこの世のどこにも存在ない。
瞬刻、赤霄の下方から太い柱のようなものが突き出てきた。その表面に体は衝突し、赤霄を後方へ追いやる。
「さて、お前はあとどのくらい動けるんだ?どれくらい大技を発動できるんだ?」
鼻で笑うように常詩は発した。
赤霄の剣も術色も、彼の体を削り取っている。だがしかし、その削られた部分は何事もなかったかのように再生し、その間にも翠色の粘液は壁や天井へ次々と広がっていく。刹那、飛来する紅蓮の斬撃により頭部が消失する。すると今度は、その首無しの人影は重力を無視して壁面の翠へパチャンと弾け、少し離れた場所に新しい常詩が生成される。
今の常詩は、翠の術色で構成されているが確実に人間ではある。しかし人間に備わっているはずの何かが決定的に失われている。
「これが術色使いの頂点だ。死の淵に掴んだ核心─────お前がどれだけ強い牌を引こうと意気込んだところで、こっちはずっと天和地和なんだ。そもそもの話さ、届いてないんだよ」
アキレスと亀。近づいているはずなのに、そこには永遠に届かない。海水を桶で空にしようとしているみたいに、その果ては永遠に見えてこない。
「もう何分戦っているかは知らねぇが、生身での戦闘ももう疲れただろ?いいよ、ゆっくり休ませてやるよ。待ってろ………今一瞬で楽にしてやる」
そう言った次の瞬間、常詩を中心に翠の粘液が渦を描き始める。その勢いはどんどん増していき、彼の足元は暗黒に染まっていく。始めは、全てを飲み込む闇の渦だと赤霄は思考した。しかしそれは直後の光景によって不正解だと告げられた。
「──────────」
あり得ないものを見た。
だってそうだ。そんなものはあり得ないのだ。奴は色容体で、翠の術色に選ばれた者。それだけではなく、型も三つ全て持っている。周知の事実。誰でもこのことは知っている。だというのに、今自分が頬に受けた攻撃は、そしてこの痺れと焦げる匂いは、黒い渦と周りから大量に伸びる紆曲した光線は───────
「………空の、術色?」
これは赤霄の見た幻覚ではない。間違いなく目前には、空色をした線が幾つも暴れていた。
これは術色などではない。そもそも術色は、この世で起こる現象の過程を天の奇跡によって省略したもの。そしてその自由を拘束するために型というものが存在している。されど、今目の前で起こっているものは、過程を一切省略せず何にも縛られていない、この世の現象『プラズマ』だった。
凄まじい渦を展開したことで、大気中の気体分子が重力等で圧縮され、核融合反応によって原子レベルで別な物質に変化した際に遊離電子が発生、磁場と重力によって遊離電子諸共プラズマと化している。
この現象の原理は、使用者である常詩すら知らない。フィナーレの手前に行ったそれは、ただの直感、偶然、運命の悪戯。
大空洞の一角を埋め尽くさんとばかりの翠の渦から、大量のプラズマが暴れる。それらはデタラメに動きながらも、しっかりと赤霄の体を狙っている。回避は難儀。例え成功したとて、その先に続くものがない。あらゆる数のものを味方につけ、究極の創造を得た常詩は、爆発的なカウンターと破壊を持つ赤霄にとっては最悪の相手となってしまった。
いつかどこかで限界を迎え、追い詰められ、命を奪われる。しかし、今の常詩にそんな概念は存在しない。ただ待っていればいい。緩やかな坂の上から転がってくるボールをキャッチするように、ただゆるりと待つだけでいい。故に座す。
絶殺のプラズマが、無数に埋め尽くさんとばかりに標的へと殺到していく。しかし襲ってきたのはそれだけではなかった。翠の中から無数に伸びる棘と背中の翼。殺意に尖る先端も伸長していく。ただ一方的に延々と数多の攻撃を繰り出し続け、向こうが潰れるのを待てば安全に、そして確実に勝利できる。
両の腕を広げて常詩が呟いた。
「まぁ終わってみれば、色んな感情が入り混じっているな………勝つっていうのは必ずしもプラスの方向に働くわけじゃ無いんだな。それもそうか。自分のまだ見ぬ自分の発見とは裏腹に、壁の低さに失望した。テメェを殺して、大きなことを学んだよ」
暴力の具現、文明の崩壊、世界の終焉。そのような言葉でしか表せないようなこの状況。常詩は自分の限界の奥底を掴み取った。赤霄は未だ自分の奥底を理解していない。そんな時に、ブ─────ン、と常詩の動きが停止された。まるで電源を切られたように、全ての動きが一斉に止まった。
「…………………?」
怪訝な顔をしたのは、赤霄だけでなく常詩本人もだった。暗い大空洞を照らしていたプラズマは消え失せ、大量の棘と翼の先端は赤霄の寸前でピタリと止まる。
「……な、んだ?」
翼を携えた悪魔は小さく呟いた。否、震える程度にしか口を動かすことができなかった。
「どういうことだ………?元素がなくなった?いやそんなわけがない。だったら何だ、何が原因なんだ………お前か?何を、した?例えその蛇で吸収したところで、奪えるのは型だけだろ?体の権限までは奪えないはずだ………何を」
「──────そういうことか」
赤霄は簡単な調子で呟いた。
「確かにその体は永遠だ。空気がある限り無限に生成され、そして再生する。おれの体力切れを狙うのも当然だ。だが、おれもだったが、お前も大きなモノを見落としているぞ。それを阻害したのはおれではなく、紛れもない………お前自身なのだ」
瞬間、常詩の額にピシンッと罅が入り始める。それだけではない。この大空洞を支配していた者の首、体にも亀裂が生じている。地に落ちる稲妻のように、その亀裂はどんどん体中に広がっていく。
「ボクは勝っていたんだぞ!あいつの体力はもう切れる……だというのにっ!」
「残念だが、気にするべきだったのはおれの体力ではなく、お前自身の体力だったな。お前のそれは覚醒ではなく、ただ中身が溢れただけのもの。故にお前の体は今もどこかで動いていた。だがその時が来た。死亡か意識不明かはわからんが、少なくともあの体は意識を保つことができなくなったのだ」
須臾の思考戦の時、赤霄は天井付近に隠れていたことで、外で光琅達が話していた内容を耳にすることができた。だが狙っていたわけではない。ただ、その時が来たというだけ。
無限に実行命令を行い、無限に反映させる者のただ一つの弱点。その大元が止まればいい。
「あまり派手ではない結末だが────宝剣を賭けたこの戦い、おれの勝ちだな」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
途端、翼と棘の先端が折れたと同時に、まるでスティックボムの如く破壊が次々と連鎖していった。棘は完全に消え去り、今度は埋め尽くそうと広がっていた翠の粘液までもが硝子のように砕け散っていく。やがてそれは、中心に立っている常詩の体まで到達しそして、
「あああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁくそぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
咆哮と共にその悪魔のような体は崩壊した。
その時だった。ゴォォォン!という大きな音が大空洞から響く。どうやらあの翠色の粘液がなくなったことで、元々崩れそうだったここが限界を迎えたのだろう。
危険を察知した赤霄は呼吸を整えて、揺れる地を蹴って徐々に広がっていく天井の穴目掛けて跳躍した。数瞬後にはこの体は外に出る。崩落する地上と地下。
瞬間、地上へ出る寸前の所で、赤霄は二つの影と上下にすれ違った。あの形は間違いなく、我々と対峙している少女達のものだった。