114話 人界頂戦譚・參
「ぬぐ────!」
常詩の蹴りが赤霄の首に命中する。間髪入れず追撃を繰り出そうとしたが、右腕が言うことを聞かなかった。その僅かな隙に、赤霄が反撃の拳を腹に叩き付けた。
「ごはっ………!」
その勢いは凄まじいもので、一瞬にして壁に追いやられてしまった。血が吐き出される。刹那、赤霄は常詩の体をサンドバックかのように連続で殴打し、辺りに機関銃を撃っているような音を轟かせる。
だが、そこに弱点が一つ。攻撃に集中しているが故に守れない箇所がある。
常詩は歯を食いしばって自身の頭を赤霄の頭へと向かわせる。
鈍い音が走る。視界はぐらりと揺れ、拳の殺到は止められた。そこに容赦なく、常詩が膝蹴りを繰り出した。鼻が折れ、体は仰け反っていく。
「うおおぉ!」
動け、ボクの腕………動け!
右手を握る。だがそれが精一杯。残された右腕に、一滴の燃料も入っていなかった。あの完全な隙を見せている赤霄への攻撃は、逆に体勢を立て直した赤霄に返されてしまった。
再び壁に飛ばされる常詩。最中、赤霄は自分の鼻を掴んでぐっ!と捻り元の位置に戻し、纏まった鼻血を外へ出す。
流石は最強だ………まさかここまでとは…だが面白い。自分の限界を知らぬおれからすれば、この戦いは実に面白い。
影が揺れる。
くそ…右腕が動かねぇ………これじゃあ、攻撃術の発動もできやしねぇ。範囲術をこっちに回せば二対一になってしまう。
「─────────」
いや、ある。まだ──────
赤霄が地を蹴る。自分を殺さんと向かうその体に、
「な──────」
大きく太い赤が刻まれた。
湧き水のように血液が溢れ出る。されど、赤霄は自分の傷よりも目の前の敵の姿を凝視した。
右足を上げている。まさか、攻撃術を手からではなく足から繰り出したのか。足の力は腕の三倍。それは術色を放つ際にも参照されるのか。だが手より強力と言えど、発動のし難さは異常。よっぽど相手に隙が無い限りそんなことはしない。
だが奴はやった。敵が迫る中にやってのけた。これが最強………化け物─────
「がっ────!」
空白はここにあらず。足で風を放った直後、体を捻って足を突き出した。先ほどの攻撃が剣だとすれば、今回の攻撃は槍。弾丸にも負けない速度を以って、翠の光尖が赤霄の右脇腹を削った。
「はっ────…………」
赤霄の体が沈む。瞬刻、騒音が止んだ。後方で響いていた騒音がなくなった。違和感が走る。肩越しに後ろを見ようとしたその時、前方でよろめいてとしていた常詩から途轍もない輝きが現れる。
全てが遅かった。止んだ音、眩い輝き、これらに反応するのが遅すぎた。飛ぶ。常詩が目に見えぬ速度で赤霄の体とすれ違う。
「しま──────」
後方にあるものは、突き立てられた赤い剣と巻き付けられた赤い布。だがそこにあったはずなのに無くなっているものがある。
常詩は先ほど、向こうで発動していた範囲術を全解除して自分の体に戻し、ありったけの範囲術で勢いよく体を前へ押し出したのだ。弾幕を食らい続けていた赤蛇は次の獲物に目を付ける。神速で接近してくる獲物に。
大きく口が開かれる。それに、
「止まれ斬蛇!」
と赤霄が叫ぶ。
されど無駄。斬蛇の状態解除は首を斬り落とすしか存在しない。声を上げたところで、あの蛇が止まることなどない。そして、その口腔に向かって飛んでいく体も────
「──────」
バクン、と常詩の体は再び蛇に飲み込まれた。目に追えぬほどの速度故に、飲み込んだ際に斬蛇の体がぐぐっと伸び、数瞬後に元に戻った。
「くっそ………やられた」
赤霄はそう呟いて、傷口を抑えながら地面に刺した剣の場所へ歩いていく。
◆
「今──────」
立ち昇る蛇に向かう影を見て、巍儀芳がポツリと発した。彼女の反応からして、あの中に飛び込んだ影、常詩の身に何か変化があったのだろう。倒壊した建物が周りにあって衝撃のみしか確認できなかった。尚無鏡は隣で呟いた彼女に尋ねた。
「どうしたんですか…?」
「………今、国主の左腕が、なかった…」
「ええ!?」
「そ、そんな………」
驚愕が漏れる。当然。人界最強の人物の部位が欠損していることに驚かない奴なんて居ない。
やはり、型を剥奪された影響が大きいのか。それもそのはず。彼の戦い方は、複数の型を併用して予測不能な攻撃や防御を仕掛けるやり方だ。故に、どこか欠けていれば理想の戦い方ができないということ。それは最強でも同じことだった。
「しかも、あの蛇に飲み込まれたぞ……もしまた型を剥奪されたら─────」
「いや、それはどうかな」
と、木煙の言葉に対して魏君がそう言った。腕を組みながらそれを眺める魏君に木煙は返す。
「どうかなって、君は何かわかっているのか?」
「ただの推測だ。そもそも普通の者であれば、持てる型は一つだけだ。しかし国主様は型を三つ持っている。もし、ここで型を剥奪するとなった場合、初めに剥奪された型が返却され、残っている二つの型のどちらかが奪われる、と俺は思っている」
「…確かに、それはあるな………」
「もしその推測が当たっているのだとすれば、常詩様が先ほどあの赤い蛇の口に入られたのは────」
刹那、奥に漂っている赤い蛇の方から紅の光芒が放たれた。
◆
「………魂覚・赤霄」
地面に罅を描きながら飛翔し、プロミネンスにも似た赤い魔剣を蛇の首目掛けて斬り上げた。ザンッ!と切り裂いた箇所から眩い閃光が差し込み、先ほど入り込んだ常詩の体が外へ飛び出した。
奴の意識はある。だが速攻で数多の弾幕を展開しないということは今回剥奪したのは範囲術。そして、
「ありがとよ──────返してくれて」
奴の体に、塗着術が舞い戻ってしまった。そして更に、自分の目を疑うような光景が映り込んできた。
確かにおれはこの剣で奴の左腕を消し飛ばしたはずだ。だと言うのに何故、奴の左腕が生えているのだ。厳密に言えば着けられたと言った方が正しいだろう。
怪訝そうにこちらを見る赤霄に、常詩はニッと笑みを浮かべて語り出した。
「何で左腕があるのかわからねぇって顔してるな?いいぜ、今だけ気分が良いから教えてやるよ。攻撃術と塗着術の併用だよ。攻撃術で左腕を模したものを生成、それを塗着術でくっつけたってわけだ。だがこんなもんじゃねぇよ………ボクの術色は、更に上へ行く─────」
瞬間、ゴッ!という爆音が鳴り響いた。くるりと着地した赤霄が一気に跳ね上がり、上空に居る常詩と激突する。衝撃波が周囲一帯に炸裂し、建物に大きな罅が描かれる。手応えはあった。されど赤霄の顔はどこか違和感があったような表情をしていた。水の中で剣を振るったような重く滑らかな感覚が、剣を握る手に残っている。
落ちる最中彼を見上げる。無傷、そして浮いている。常詩の全身を、滑らかな翠の風が包み込んでいた。否、訂正。あれは風ではあるが、その実態は大きな翼であった。あの形は鵬の翼であろうか。ひとりでに広がる翼は四枚へと分かれ、常詩の背中でゆったりと羽ばたく。
再び地面に着地をし、空中に浮遊している彼の姿を睨んだ。
「ふっ、随分と派手なお洒落だな」
「だろ?もっと褒めてくれていいんだぜ?」
この短い会話がゴングとなり、両者は動き出した。ドン!という爆発めいた音でまたも飛翔する赤霄に対し、常詩は翼で空気を叩いて真横へ飛んだ。一息で十メートルほど間合いを開けて着地をした常詩に、上空で赤霄が剣を振って虚空を切り裂いて紅蓮の斬撃を放ち、常詩の体を撃ち落とそうとする。
「──────シッ!」
それを、器用に翼を動かして回避する。
上空から降りてくる赤霄と、ふわりと回避した常詩が、建物の屋根に着地をしたのはほぼ同時だった。